『―――やめろっ!!』
ハッと目を開けると、そこはリーゼロッテの部屋でベッドの上だった。
洞窟でルイスに抱えられたまま、意識を失った事を思い出した。
(今のは……夢?)
頭の中に響いた声に、聞き覚えがあった。
リーゼロッテが目を覚ました事に気が付いたテオは、ベッドに飛び乗ると擦り寄った。
『……大丈夫か? うなされていたぞ』
テオは心配そうに、リーゼロッテの頬にスリッと顔を寄せた。フワフワの柔らかい毛が、くすぐったくて笑みが溢れる。テオを抱き上げて、ギュッと顔を埋めた。猫吸いならぬフェンリル吸い。
「こうしてると落ち着くわ……」
『……そうか?? 主人よ何かあったのか?』
「少しだけ思い出したの。**あの時――**剣を振り上げた人物以外に、もうひとり居たの。やめろ、と叫んでいたわ。あれは誰だったのかしら?」
『焦ることはない。……まだ先の話だ』
優しく慰めるように言ったテオは、ペロッとリーゼロッテの手を舐めた。
「うん。ありがとう、テオ」
だが――。
それから特に思い出す事は出来ず、進展の無いまま数年が過ぎて行った。
◇◇◇
13歳になったリーゼロッテは、日々自分を鍛えることに時間を費やしていた。
無論、筋肉ムキムキとかを目指したのではない。
子供部屋での教育課程を終えると、リーゼロッテはブランディーヌの邸宅へと向かった。
社交界デビューの予行演習と称して、晩餐会へ参加したり、友人邸での小さな舞踏会へも連れて行ってもらっている。
これから先を考え……根回しするにも、リーゼロッテ自身の人脈パイプを作っておかなければならない。貴族社会では必要なことなのだ。
1周目では、自分から動かず辺境の地を言い訳にして、親の爵位に胡座をかいていた。
マナーやエチケットの知識だけは、外へ出ないぶん徹底して覚えていたので問題は無かった。むしろ、今はそれが役に立っている。
そして、時々――。
こっそりと離宮へ向かい、ブリジットとロビンと接触して、聖女アニエスの様子を確認した。
アニエスは、一周目とは別人の素敵な女性になっていた。やはり傍に信頼できる者が居るのは、とても大切な事なのだ。
辺境伯領では、テオとの花摘みや、時々ルイスと共に魔玻璃に魔力を流したりをしている。魔玻璃の魔力の蓄えが多い程、強固な結界維持に繋がるのだそうだ。
弟のフランツも大きくなり、だいぶ魔力が増えてきた。
ただ、近衛騎士だったルイスに憧れていて、剣の稽古ばかりをしている。このままいくと、領地をリーゼロッテに任せて、王都の騎士団に入りたいと言い出しかねない。
(……まあ、それでも良いのだけどね)
ルイスやテオ、美少年に成長したフランツを見慣れているせいか、舞踏会に行っても男性には全く興味がわかないのだ。
もともと中身が大人な上、これから先の事を考えると、それどころでは無いのだから仕方がない。
それを、何気なくルイスに伝えると、満面の笑みを浮かべるのは……解せないが。
――そんな、ある日。
辺境伯邸は、騒つく事態になっていた。
突然この辺境の地に、王都から高貴な客がやって来たのだ。
最近、魔物も落ち着き、例の回復薬のおかげで潤ってきた辺境伯領を視察する――という名目で。
側近のアントワーヌ侯爵と、ルイスの後任の近衛騎士を連れた、第二王子ジェラールがやって来た。
視察のはずなのに、なぜか応接室にリーゼロッテを呼び出したのだ。
(……どうして第二王子が私を?)
記憶を探るが、1周目で接点があったとは思えない。とりあえず、待たせる訳にはいかないので、正装し急いで向かう。
応接室に入ると、ルイスと向かい合って座るジェラールが居た。
丁寧なお辞儀を披露すると、王子から声が掛かるのを待つ。
「リーゼロッテ嬢、お会いしたかったです」
その声に、聞き覚えがあった。
(……え?)
頭が混乱する中、どうにか挨拶を終え、そのまま一緒にお茶をすることになった。
ジェラールは、リーゼロッテの3つ歳上の16歳。
癖のある美しい金髪に翡翠色の瞳、いかにも王子様な整った顔立ちの青年だった。
「リーゼロッテ。殿下は、王都の舞踏会でリーゼロッテの噂を聞いたそうなんだよ」
「噂ですか?」
キョトンとするリーゼロッテに、ジェラールはクスッと笑った。
「この、アントワーヌ侯爵の息子レナルドが、ある舞踏会でリーゼロッテ嬢を見かけたそうなのだ。まだ、社交界デビュー前にも関わらず、素晴らしい御令嬢だったとね」
ジェラールの側近アントワーヌ侯爵は、にこやかに頷く。
「まあ! お褒めにあずかり光栄ですわ。わたくしなんて、まだまだですが……」
楚楚と笑みを浮かべながら、記憶を辿る。
(レナルド侯爵令息……? 居たような、居なかったような……特に会話もダンスもしていないと思うけど)
疑問だらけの中、当たり障りない会話でどうにかやり過ごす。
ジェラールは帰り際、リーゼロッテの脇を通りながら耳元でそっと呟いた。
「……今度は、貴女を逃しませんよ」と。
聞き覚えのある声。
――全身が粟立ち、息ができなくなる。
そして、確信した。
あの洞窟で「やめろ」と叫んだ人間こそが、この国の第二王子ジェラールだと。