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2. Remember me for centuries
季節が冬になった。
雪がちらつくヨークシンシティのコーヒーショップで、クロロは本を読んでいた。
いつも使っていたテラスの席は、さすがに寒くなってきたので、最近は店舗内の隅の席がお気に入りだ。大きめの観葉植物が右隣にあって視界を柔らかく遮り、左は窓際で外が見える。窓の側は少し寒いので、黒いジャケットは着たままになるが、野ネズミの隠れ場所みたいな雰囲気で気に入っている。
その奥まった席に、わざわざ人がやってきた。
「相席いいか?」
黒いスーツを着た、ノストラード=ファミリーの若頭が、黒いコートを片手にクロロの座るテーブルの前に立っていた。
クロロは本から顔を上げ、声をかけてきたのが誰かを確認すると、すぐに目線を下に戻した。
「……どうぞ。用があるなら、あと15分待て」
それきり目線をあげないクロロに、クラピカは心の中で嘆息した。
鎖の念を胸に刺した張本人を目の前に、警戒もしなければ、意識すら向けず、本に没頭している盗賊の神経はクラピカには理解できない。だが相当舐められているということだけは、よく分かった。
ガタッと、わざと音を立てて椅子を引き、目の前に座ってもクロロは無反応だ。本当にあと15分は、クラピカが何をしても本の世界から出てこなさそうな雰囲気だった。
店員がオーダーを取りに来る間、クラピカはクロロが本を読んでいる様子を見ていたが、まるで相席相手など存在していないかのように、微動だにもしない。本へと下げられた瞳が微かに揺れるだけの彼は、さながら植物のようだった。
約15分後、クロロは栞をはさみながら本を閉じ、顔を上げた。
視線の先、相席の人物は、コーヒーを飲みながら頬杖をつき、細かい雪の降る窓の外を眺めていた。
クロロが本を閉じた気配を察したクラピカが、コーヒーカップをソーサーに置くのを視界に収めながら、クロロは少し考えを巡らせた。
因縁の相手を目の前に、「15分待て」と言われて、それを甘んじて受け入れた。そういう煽りを、仇からされて、我慢できる性質でもないだろうに。
前回だって、やけにあっさり自分に付いてきた。パクノダの死に、見当違いの後ろめたさを感じているからなのだろうと一度は思ったが、それだけでははないような気がする。
生来の色ではないのだろう、その黒い瞳はずっと物憂げに凪いでいて、以前のような憎しみの色はない。あらゆる感情がすっぽり抜け落ちていて、危うげな雰囲気を纏ったクラピカは、静かな口調で切り出した。
「……地下競売の後、当初お前たちはホームに引き上げるつもりだったとか」
「ヒソカから聞いたか?」
「そうだ。引き上げるというお前の方針を変えるために、危険な賭けに出たと言っていた。私への報復を主張していた団員を、お前が説き伏せていたともな」
「おしゃべりなピエロだな」
「蜘蛛は、一度行動を起こすと徹底的に奪いつくす。が、標的となるもの以外には、驚くほど慎重で穏当な判断を下すというのが私の印象だ。ゴンとキルアの一件も、……団員を倒した私へさえも。
だから、一度事が終わってしまえば、お前は「様子見」をするのではないかと検討をつけていた。これが、私がお前をすぐに殺らなかった理由の一つ」
「へぇ、他にも理由が?」
「そちらは……今はいい。私が言いたいのは「売られなければ買わない」という蜘蛛のルールを私は半ば予想していたということ」
「だから「別の話」をしてくれ、ということか」
「お前の言う「お礼の気持ち」が、口先だけのものでないのなら、私の望む話を」
虚ろな瞳の奥に、はじめて焦燥感が走った。クラピカの内で燻っている、燃え残った火の残骸が垣間見える声色だった。
その空気を軽く頰で感じながらも、クロロはクラピカが、以前の様に理性を手放して襲ってくることはないとみていた。だから少し強請ってみることにした。
「いいよ、その代わり……」
クロロは自分の左胸を、指で軽く叩いた。
胸に埋まったままのジャッジメントチェーン。
「これ、外して」
「……それはできない」
「なんで。お前にとって、俺はもう仇じゃないんだろう?」
「……なぜそう思う」
「そう思われても仕方のない行動を、俺の前でずっとしてるのに、なぜもなにも、なくないか?
念が使えないからって、蜘蛛が慎重な判断を下すだろうからって、こうもガードは下げない」
クラピカは閉口した。ぐぅの音もなく、その通りで何も言えない。
クラピカがクロロを仇だと認識しているのであれば、信号待ちでクロロを見つけた時から、いや、もっとそれ以前から、クラピカの言動は、全部あり得なかった。
「ほら、もうお互い敵意がない。言葉の上で確認もできた。これを外して、この件はおしまいにしよう」
まるで友達に向かって言うような、クロロの軽い口調に、クラピカはその整った顔を歪め、これ以上ないほどの嫌悪の表情を浮かべた。
「そして、お前たちはまた、盗みのための殺しをする。私を殺さずとも、私の見知らぬ誰かを殺すのだろう?」
「マフィアだって、それが仕事上必要だったら殺すだろう。何が違う?」
「殺しは最終手段だ。それしかないなら躊躇わないが、それ以外があるなら選択しない。地下競売を襲撃したような、お前たちのやり方は許容できない」
「地下に潜らなければ競売できないような、いかがわしい品を売り買いするような連中は、全員死んでしまえと俺は思うけど」
「同感だな。人間のパーツに値段をつける醜悪さには吐き気がする。全員死んでいい気分にもなる。
だがそれを実行して、平然としていられる貴様らの神経も全く理解できない。どちらも非常に不愉快だ」
その言葉で、「命を評価するな、不愉快だ」とノストラードの若頭が言い放ったエピソードをクロロは思い出し、ふと気づいた。
そうか、クラピカにとってノストラード襲撃のあの事件は、ヒロイックな美談などではなく、悲劇の再演か。
襲撃され、死ぬことを運命づけられた、ほぼ丸腰のノストラードの末端構成員たちが、クルタ族の最期に重なった。それを阻止するためなら、何が何でも、例え自分が死んでも、クラピカは彼らを助けたのだろう。その必死さが、結果的に組員からの絶大な支持に繋がったわけだが。
ーーそれにしても、こいつは、マフィアの地下競売に、自分と全く同じ感想と殺意を抱いても、その殺意を実行することに、同じだけの嫌悪感を抱くのか。
命のやりとりが身近にない一般人としては、真っ当でありふれた感覚かもしれないが、復讐者として生き、ファミリーのほぼトップに立ってなお、まだそんな嫌悪感を持っているとは、驚きだ。
「その調子で、他人の命まで惜しんでいたら、ファミリーは潰れるぞ。
抗争の最中に、人の生き死にに嫌悪感を感じているボスがいたら、そいつは無能だ。味方と敵の死体の数を見積もりながら、生きた兵隊を死地に送れないようでは、若頭など勤まらない」
「あいにく、ノストラード=ファミリーは占いだけでのし上がった新興最弱マフィアでな。なけなしの武装勢力も、先日、逃げてしまった。血なまぐさい事態になったら、誰かの命を惜しむ間もなく、殲滅されるだろう。
抗争で勝ち目のないノストラードの主戦場は、組の内政と外部勢力との政治だ。この最終防衛ラインで私たちが負ければ、ノストラードは終わる」
じとり、と恨みがましい湿度で、クラピカがクロロを睨めつけた。
「全マフィアにケンカを売るような雑なやり方は、圧倒的強者にしかできないのだよ。そんな危険人物、例えしがらみがなくなったとて、世に解き放つことに罪悪感を覚える。……この鎖はもはや、公共の福祉か公衆衛生の範疇だな」
やりたくもない仕事を成り行き上やらされています……。とでもいいたげな雰囲気のクラピカに、突然福祉の対象にされたクロロは、思わず笑ってしまいそうになって、顔をそむけた。
「公衆衛生」って、俺は病原菌か何かかよ。
殺伐とした話をしていたはずなのに、想像もつかない角度から、痛烈な罵倒をされた。
確かに、冷静でさえいれば、ノストラードの若頭はレスバに強いかもしれない。
「……ワンチャン外してくれないかなって思って聞いてみたけど、やっぱだめか」
最初からあまり期待はしていなかった、というそぶりでクロロは頰を緩め、クラピカが聞きたかったことを、ゆるりと話し始めた。
「5年前、幻影旅団は流星街との因縁があったクルタ族と交戦し、何人かを殺害した。
結果的にクルタ族の秘密を暴き、里の守りを壊すこととなったが、その後、里が殲滅された場には居合わせていない。だからそちらの詳細は語れない。
すごく端的に言ったが、そっちでもある程度調べはついているんだろ?
……それを踏まえて、お前は何が聞きたい?」
クロロがそう問うと、テーブルには沈黙が降りる。コーヒーショップのおしゃれなBGMと人のざわめきだけが、二人の周囲を取り巻いた。
しばらくしてから、クラピカが口を開いた。
「……なぜ、最初からそう言わない?
一部の者との因縁ある交戦と、非戦闘員を皆殺しにし無理矢理緋の目を奪うのとでは、意味合いがかなり違う。
虐殺という汚名を被ったまま、なぜお前たちは、訂正もせずに私と相対していた?」
「何を言われようが気にするような連中ではないしな。恨まれる心当たりがありすぎて、いちいち訂正するのも面倒だ。あと、汚名はありがたい」
「ありがたい?」
「そう、ありがたい。幻影旅団の悪名が、世界中に知らしめられて千年響き渡るなら、嘘八百だろうが、噂に尾ひれがついたものだろうが、歓迎する。
虚実交じる恐怖の幻影を纏うよう、俺が意図して作った」
詩の一篇のような言葉なのに、クロロの言い方は全く高揚感がなく、どこか事務的だ。
「幻影旅団の悪名よ、世界に轟け」と謳う悪の親玉の台詞としては完璧だ。実際、最凶の盗賊集団という実績を伴っている。それなのに言っている当の本人から、乾いた気配しか感じられなくて、クラピカは苦い思いを顔に出しながら指摘した。
「……そこは、悪い顔の一つでもしながら言う台詞だろうに。なんだその白けた顔は」
クロロは虚を突かれたような表情を浮かべ、瞬きをした。
クラピカはスーツの内ポケットから、グレーのハンカチと折りたたまれたA4の紙を出してテーブルに置き、クロロの前へ滑らせる。
「返す。それと、……これはウボォーギンを埋葬した場所を示した地図だ。正確ではないかもしれないが、若い苗木が目印だ」
「……埋葬?」
怪訝そうな声色で呟きながら、テーブルに置かれた地図を手に取り、内容を一瞥したクロロは顔を顰めた。ネットの地図をプリントアウトしたものに、手書きでメモをしたものだが、そもそもの示す場所が広い荒野の一角であるため、詳細な目印がなく、空白が目立つ大雑把なものだった。
「これは、地図?」
「あまり精度はよくないと言っただろう、だが苗木があるからわかるはずだ。」
「苗木って言われてもな……」
ここがどういう植生なのか知らないが、苗木みたいなのがその一本だけなわけがないだろうと、クロロは眉を寄せる。こういうことには細かそうな気質のクラピカが差し出して来たとは思えない大雑把な代物だ。この心許ない地図で、目的の場所へ辿り着ける気が全くしない。
「連れてってくれないか?」
クラピカは一瞬動きを止めて、聞き返す。
「私が?」
「お前以外、この場所を誰が知ってるんだ」
「それは……いないが」
「はぁ、本当にタイマンでウボォーギンを倒したのかよ。末怖ろしいな。弔いに行くのに、荒野を彷徨いたくないから案内して。」
なぜそうなる。
弔いに行きたいという心情は理解できるが、その足に、よりによってクラピカを使おうとする感覚が普通ではない。
だが目の前の男が「え、そのくらいしてくれるよね?」と本気で思っている様子に、クラピカは盛大に溜息をついた。
「……店の前で待て」