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気がついたら、ドラマに出てきそうな崖っぷちに立っていた。前髪を乱す感じで吹き上げる冷たい風に躰を縮こませながら、崖の下になにがあるのかを確認してみる。
「……なにも見えない」
突風に近い風が吹いているというのに、崖の真ん中あたりに鬱蒼とした濃い霧が漂っていた。そんな奇異な景色に眉根を寄せた瞬間、なにかで背中を強く押された。
「わっ!!」
咄嗟に両腕を振り回したら、運よく崖の淵に手をかけることに成功した。足先を使って崖壁を引っかけてみると、ちょっとだけかけられそうな足場を見つけることができた。そこにつま先を引っかけながら踵を伸ばし、腕にうんと力を込めて、立っていた場所を目指そうと顔を上げてみる。
「ば、んにんさま?」
胸の前に両腕を組んで自分を見下ろす、番人の顔はぱっと見、美術館に置いてる彫刻像みたいだった。
「思いきり力を入れて押したというのに、結構しぶといな」
もともとマネキンのように整った面持ちなので、冷たい感じを宿してはいたが、敦士と肌を重ね、会話が増えていってからは、表情にあたたかみがあるのを、垣間見ることができていた。
しかし今、自分を見下ろす番人は、はじめて逢ったときよりも、冷淡という言葉が似合う顔つきにしか見えない。
冷ややかな眼差しに射抜かれて、敦士は声が出なかった。ショックなのはそれだけじゃなく、告げられたセリフが信じたくない内容で、他に誰かいないか、思わず探してしまった。
「本当に馬鹿な男だな、敦士。ここには俺とおまえしかいない、夢の中の世界だ」
言いながら番人の足が、崖を掴んでいる敦士の指先を容赦なく踏みつけた。
「痛っ……」
踏まれている指よりも、引き裂かれるような痛みが心の中に走った。
「俺の手をこうして煩わせる、無能なおまえを見てるだけで、反吐が出そうになる。早く落ちてしまえ」
「うっ……」
「そんな言葉ひとつに絶望して、簡単に落ちるなよ。おまえは無能じゃない。やればできるんだからな」
聞き覚えのある声が、敦士の心を自動的に奮わせた。それは踏みつける番人の足の力を跳ね返しそうなほど、手の中にある力が漲るなにかに変換された瞬間だった。
「なんだとっ!?」
踏みつける足の力を跳ね返す、敦士の底力に驚く番人の声が、辺りに虚しく響いた。それをかき消す、もうひとつの声が聞こえてくる。
「こうして悪夢の中で、自分と対峙するとは思わなかった。それだけリアルで、敦士に負荷をかけてしまったということか」
耳に聞き覚えのある、空気を引き裂く音がした。その音と指先にかかっていた圧が消え去ったことで、番人が腰につけた縄を使い、自分を落とした番人を滅したことを知る。
「番人さま!」
「俺は手を貸さない。自分で這い上がってこい」
崖にぶら下がっている敦士の位置からは、姿の見えない番人が、無理難題なことを要求してきた。
「そ、んな――」
「おまえは、気づいていないだけだ。自分の中に眠る力を。その力を信じて、ここまで来い! おまえなら必ずできる、絶対だ!!」
「番人さま!!」
「いい加減に登ってこい」
どんなに大きな声で叫んでも、崖の上にいる番人は姿を見せなかった。
「番人さま!! 番人さま!」
「…………」
何度呼びかけても、応答すらしなくなった。もしかしたら呆れ果てて、すでにいなくなった可能性だってある。
本当は番人に、手を差し伸べてほしかった。そして今まで触れられなかった躰をぎゅっと抱きしめて、あたたかさを確かめたいと強く思った。
「番人さま、絶対にここから這い上がってみせます。見ていてください」
崖上からの反応は相変わらずなかったが、衝動的ともいえる熱い想いが、敦士を突き動かした。まずは片足を使って、よじ登れそうな足場を探す。見つけ次第そこにつま先をひっかけながら、両腕に力を入れた。
「よいしょっ!」
普段から力仕事をしないせいで、反動をつけてもうまく登れない。
(腕の力がなくなる前に、とにかく片腕だけでもよじ登らなければ!)
「せ~のっ!」
何度目かのトライで、右半身を何とか崖の上に乗せることに成功した。別の足場を探して踵を伸ばし、息も絶え絶えの状態で元居た場所にたどり着く。
両手両膝を地面についたまま呼吸を整えていたら、視界の中に見慣れたグレーの布地が目についた。
「よく頑張ったな、偉かった」
優しくかけられた言葉に導かれるように立ち上がり、目の前にある番人の躰に抱きついてしまった。