鴉の診察
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あれから俺は、ちょくちょく聖麻琴と飯に行くようになった。あと甘味屋にも。
相手から誘ってくることはほぼないが、こちらから誘っても余程のことがない限り断られることもほぼない。
任務の報告書は鴉を飛ばして奴に来てもらい、聖麻琴が俺が言ったことを丁寧に文章にまとめてくれる。
綺麗な字だ。茶道も習わされていたと言っていたし、育ちがいいんだろうな。
『不死川さん』
「あ?何だァ」
一通り文章を書き終えた聖麻琴が、筆を持つ手を止めてこちらを見る。
『俺が代筆する前は報告書どうやってたんすか』
「あぁ。隠に書いてもらってた」
『なるほど。その人は?』
「事後処理中に怪我したらしくて、引退しちまった」
『そうなんですね』
少しの沈黙が流れる。
『…不死川さん。文字書く練習しませんか』
「え、なんで」
『覚えたらわざわざ爽籟に伝言頼んで俺が来て代筆…ってしなくていいんじゃないかと』
「ん…まあ、そうなんだがなァ」
『手取り足取り教えますよ』
大分様々な表情を見せてくれるようになった聖麻琴が、ニヤリと口角を上げて笑う。
「おい、変な言い方すんな」
『はいはい』
「……お前の言う通り、文字書くの覚えようかな」
『いいと思います』
読みはできていたが自分の名前以外は書けなかった。少々不便さを感じていたのが正直なところだった。
『ある程度慣れてきたら練習がてら俺に文(ふみ)を送ってください。添削してあげます』
「学校かよ」
こうして聖麻琴には、定期的に切り傷に効く薬をもらうだけでなく、文字書きも教えてもらうことになった。
柱合会議。鎹鴉たちも主と共に産屋敷邸に集まっている。
会議もお開きになり、柱たちは情報交換や他愛のない会話をしている。
その時。
トサッ
何かが木から落ちた。
「銀子!!」
時透の鴉だった。いつもの小憎たらしい様子からは想像もつかない程ぐったりしたまま、溺愛する主の声にも反応を見せない。ご自慢の艷やかな羽も、すっかり光をなくしてくすんでいる。
「銀子!どうしたの!?しっかりして!」
時透も珍しく慌てた様子で鴉を抱き起こし、必死に声を掛けている。
「何があった?」
「あっ、無一郎くんの鴉ちゃん!」
「おいおい、どうしたってんだ」
他の柱たちも集まってくる。
「胡蝶さん!銀子が…!診てやってくれませんか!?」
時透が必死な顔をして胡蝶に頼み込むが、彼女は申し訳無さそうに首を横に振った。
「ごめんなさい、時透くん。動物は専門外で……。獣医さんのところに連れて行ってあげたほうが確実だと思います…」
「それがいい。近くに動物病院はあっただろうか?」
悲鳴嶼さんの言葉に、情報通の宇髄でさえも眉を寄せて口を開いた。
「この近くにはなかったと思う。いちばん近場でも3里離れてるな……」
そんなやり取りをしている今も、時透は真っ青な顔で鴉を撫でている。
どうにかしてやりたい。こいつは俺らにはクソ生意気な態度しか取らないが、主である時透にはいつだって優しく寄り添い支えてやっている優秀な鴉だ。
でも、医学や薬学に長けた胡蝶でも診ることのできない相手。
誰か……、他に詳しい奴は……。
「…あっ!」
思わず声を出してしまった俺に、一同が注目する。
「時透、ダメ元でもいいならついて来い。胡蝶以外にも薬に詳しい奴がいる。もしかしたら、動物相手でも何か助言してくれるかもしれない」
「!はい…!」
“藁にも縋る思い”なのだろう。時透は鴉をぎゅっと抱いて立ち上がった。
俺が思い浮かべている相手と同じだったのか、胡蝶もはっとした顔をする。
「聖さんですか?」
「ああ」
「なるほど。彼なら何か、銀子ちゃんを助ける術を持っているかもしれませんね」
心配そうな表情の柱たちに見送られ、俺は時透を連れて聖麻琴の自宅へと急いだ。
確か今日は非番だと、数日前に話していた。
頼む、家にいてくれ!
聖麻琴の自宅に着いた。
強めに扉を叩く。
ドンドンドンドンッ
「おい!聖麻琴いるか!?」
数秒後、家の主が出てきた。
『あ、不死川さんに時透さん。どうしたんで……』
時透の隊服の上着に包まれたモノに目を向けた聖麻琴は、それで全てを察したようだ。
『急いで中に』
「っ、ああ」
「お邪魔します!」
一度来たことのある聖麻琴の家。室内にはたくさんの引き出しのついた箪笥が並んでいる。
そして、薬草のツンとした匂いが鼻をつく。
『何があったんですか?』
「あっ、えっと……」
「会議の後に急に木の枝から落ちたんだ」
身体が震えて上手く話せない様子の時透に変わり、俺が簡単に説明する。
『とりあえず、ここに寝かせてください』
床ではなく、動物相手でも座布団を差し出してくる聖麻琴。
『ちょっと診るよ。触るからね』
緊迫した状況にも関わらず、落ち着いた優しい声で鴉に声を掛け、そっと上着を退けて鴉に触れる彼に、時透が目を潤ませた。
聴診器…というやつだ。胡蝶も使っているのを見たことがある道具を鴉の胸元や腹に当てる。
『心臓はしっかり動いてますね。……骨折も…してない。…でも極端に身体が冷えてる。毛並みもよくない……』
聴診器だけでなく、手で直接触れて鴉を診察していくのを、俺と時透が固唾を呑んで見守る。
『…異常はありません。疲労が溜まっているんだと思います』
「そうなの?何かの病気とかじゃない?」
『はい。呼吸音も綺麗だし、大丈夫です。温かくして栄養を摂らせてあげたらじきによくなりますよ』
「…っ…よかったあ……」
聖麻琴の言葉に、時透が肩を小さく震わせた。
俺もほっとして、後輩の頭をぽんぽんと軽く叩く。
聖麻琴が立ち上がり、多くの引き出しのついた箪笥から何種類かの薬草を取り出して、お湯と混ぜてすり潰し始めた。その後、とろみのついた液体になったものを、針がついていない注射器のような道具に入れる。
「それは?」
『身体を内側から温める効果の薬草と、気つけ薬を混ぜたものです。… 銀子ちゃん。身体を起こすよ』
優しく声を掛け、鴉をそっと抱き上げる。そして、雛鳥に餌を与えるようにして、嘴を開けさせ、先程作った液体を喉に流し込んだ。
《ウエッ…何コレ苦〜イ!》
余程苦かったのだろう。今までぐったりしていた時透の鴉が、流し込まれた液体の味に顔をしかめながら目を開けた。
「銀子! 」
《…アラ?無一郎。ドウシタノ、ソンナ泣キソウナ顔シテ。…マサカコイツラニ苛メラレタノ!?》
目が覚めて早々随分な物言いだな、おい。
「…銀子ぉ…!急に倒れちゃうからびっくりしたじゃんか……。呼んでも全然返事してくれないしっ……、銀子死んじゃうんじゃないかって…怖かったよお…っ…」
時透の目から涙が溢れ出した。
溺愛する主人が泣いているのが自分に原因があると理解したのか、鴉が困ったような顔をする。
《アア〜無一郎、泣カナイデチョウダイ!ゴメンネ、心配サセタワネ……》
「うぅっ……疲れが溜まってるんだって…。…ひっく……銀子、ちゃんと休んで…!ごはんもしっかり食べて…、早く元気になって……。うっ…」
記憶を保てない時透。主人以外にはクソ生意気なこの鴉も、そんな彼にとってはかけがえのない心の拠り所なのだろう。
「…ぐすっ……不死川さんがここに連れてきてくれて。…麻琴さんが診察してくれたんだよ……。銀子もちゃんとお礼言って…!」
《…ア…アリガトウネ……。見苦シイトコロヲ見セチャッタワネ…》
なんだ。素直になれば少しは可愛げがあるじゃねえか。
「気にすんなァ。大きい病気とかじゃなくてよかったな」
『ほんとに。木から落ちたのに骨も折れてなくてよかった。翼が折れたりでもしてたら鎹鴉引退になってたかもしれないよ 』
引退。そりゃこいつにとっても時透にとっても恐ろしい事態だな。
時透が立ち上がり、聖麻琴に抱き着いた。
ア〜〜ッ!、と時透の鴉が嫉妬に狂ったような声を出したが、一応恩人だからと思ったのか、ぐっと我慢したようだ。
「麻琴さん…ありがとう。銀子がいなくなったら…って考えたら僕怖くて……。ぐすっ…麻琴さんがいてくれてよかった……」
『お役に立ててよかったです』
腕の中で涙を流す時透の頭を、聖麻琴が優しく撫でる。
時透がこいつを慕う理由が分かるな。一緒にいると安心するのだろう。俺だって、知り合って間もないにも関わらず、こいつといると不思議と気持ちが安らぐのだから。
「ところで。お前、動物まで診られるんだな」
『父が獣医だったんで、物心がつく頃には一緒に動物の診察の手伝いをしてたんです』
「へえ」
父ちゃんが獣医師、母ちゃんが薬師か。最強だな。
『時透さん。ご自宅で看病できますか?』
「…えっと…、できるよって言いたいけど、明日には何があったか忘れちゃってるかもしれないし不安かも……」
『なら、うちで預かりましょうか。時透さんも銀子ちゃんが元気になるまで泊まってもらっていいですよ』
「ああ、それがいいだろうなァ。こいつがお前んち泊まるより、薬草も道具も揃ってるここにいたほうが何かあった時にもすぐ対応してもらえるだろ」
俺たちの提案に、時透が少しほっとしたように表情を緩めた。
「じゃあ、そうします。麻琴さん、いい?」
『いいですよ』
「ありがとう!」
時透がシャツの袖で涙を拭い、笑った。
《アタシハ大丈夫ヨ〜!無一郎、家ニ帰リマショ!アナタト一緒トハ言エ、ココニ泊まるノハ嫌ヨ!》
「だめ。銀子無茶しそうだもん。麻琴さんがいるここにいたほうが安心だよ」
『そうだよ。ただでさえ疲れが溜まってるんだから。君は身体を温めて栄養と水分を摂って、ゆっくり休まないと。また倒れてご主人を泣かせたいの?』
《ウッ……》
鴉はゴネていたが、時透と聖麻琴の言葉に何も言い返せないようだった。
「んじゃ、俺は帰るわ」
「不死川さん!ありがとうございました」
「おう。鴉が元気になったら3人で飯でも行こうぜ」
「うん!」
嬉しそうに笑う時透の頭を、またぽんぽんと軽く叩く。
爽籟に頼んで、心配していた他の柱に詳細を伝えてもらう。 彩葉も協力してくれたようだった。
あれから時透と鴉は1週間くらい聖麻琴の家で過ごし、鴉が全回復したところで霞柱邸へと戻っていったそうだ。
つづく







