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大学生というのは、意外とやることが多い。
それを実感したのは、梅雨が早めに明けた頃。夏休みに入る一か月前のことだった。
突然いろんな講義の教授から、怒涛のレポート課題を出されたのだ。
アルバイトをしながら、というのが更にキツかった。
一年生の時は、テストと出席日数が足りていれば良い講義が多かった。なのに、いきなりこれだ。夏休みの為にバイト代を増やすことを目論んでいた俺は、まんまと首が回らなくなってきていた。
当然バイトから帰ってきた後から、寝るまでの時間だけじゃ足りるはずもなく。
親友に助けを求めるのは早かった。
「璃空! 助けてくれ!」
外で鳴き喚く蝉に、負けず劣らず唸っている空調が良く働いている講義室。
隣に座るなり両手を合わせて助けを求めた俺に、璃空は目を白黒とさせている。
「え、なに? どうした?」
「レポートの山が終わらないんだ」
肩を落としてそう言うと、璃空は噴き出した。
「なんで笑うんだよ!」
「いや、本当に切羽詰まった顔してたから。もっとヤバイことが起きたのかと思った」
「やばいだろ。レポートだぞ。A4のレポート用紙10枚を7セットだぞ。やばいだろどう考えても」
「あ、でも3セットは終わってるんだ」
「一応は。璃空は?」
「俺はね~、もう全部終わった!」
「この裏切り者ーッ!」
ちゃっかりウインクまで寄越してきたから、軽く拳で肩を小突く。それすらも気にならないらしい璃空に、ははっ、と笑われた。
クソッ! 笑った顔まで爽やかすぎる! 百点満点すぎるだろコイツ! クソッ! ひねくれたままじゃなくてよかった! ひねくれたままだったら終わってた! 社会的に俺が!
講義室の机に突っ伏してわなわなと震える俺を慰めるように、背中をぽんぽんと叩いてくれる璃空。クソッ! この百点満点の男がよ!
ブンッと音がしそうな速さで首を動かして、璃空へジト目を向ける。
――梢江くんってなんか青空のイメージ強いよね~!
――わかる~! 爽やかイケメンだよね~!
そんな噂をしていた女子の気持ちが分かる。確かに璃空は爽やかイケメンという名に恥じない風体をしている。こんなにモテるというのに、縁と恋人じゃなくなってから、璃空は一向に誰とも付き合わない。
前に理由を聞いたら、こっちが本気じゃないのが申し訳ないから、だそうだ。
俺がもし璃空だったら多分、告られたらその人が好きじゃなかったとしても試しに付き合ってしまうと思うのに。
こんなところまで百点満点なのだ、梢江璃空という男は!
でも一言言わせて貰うなら俺の中では、璃空は青空よりも夕暮れのイメージが強い。多分あの光景が、記憶に焼き付いてるからだけれど。
「書く内容は決まってる?」
「えっ、あ、ああ、レポート? まあある程度はって感じ」
「じゃあノーパソ持ってるし、手伝うよ」
「! ホントか!?」
「うん。今日なら空いてるし。代わりに終電逃したら洸んち泊めて」
「もちろん良いよ! あ、でもベッド1つしかねーんだけどいい?」
一瞬、璃空が固まったように見えた。でも俺の気の所為だったのか、頬杖をついた璃空が意地悪く笑う。
「それ、俺に襲ってくれ、って言ってる?」
「!? なっ、なに言ってんだお前! ンなわけねーだろ!」
さっきよりも強く肩を叩けば、ははは真っ赤、と笑われてますます居たたまれなくなった。
どうせ俺は童貞だし、お前みたいにスマートに躱せねーよチクショウめ!
フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「ごめん、洸。もう揶揄ったりしないから」
完全に機嫌を損ねたと思ったらしい。
わざわざ立ち上がって覗き込んでくる璃空をちらりと見遣る。
まるで叱られた子犬みたいだ。眉を下げて、俺を見つめている。心なしか体もすこし縮こませているように思う。この顔をされると、許したくなってしまうのは庇護欲を擽られるからなのか、それとも璃空の人となりが成せる業なのか。
はー、とわざとらしく溜息をついて、怒ってない、と伝えれば、ぱっと顔が明るくなった。尻尾があったらブンブンと高速で揺れていそうだ。ギャップがエグい、と姉ちゃんが言いそうだな、とどうでも良いことを思いながら口を動かす。
「ぶっちゃけ無理言ってんのは俺の方だしさ。とりあえず、レポートをガチで手伝ってほしい」
「もちろん手伝うよ。どこでやる?」
「うーん、俺んちだと絶対ゲームやりたくなるしな」
「じゃあ構内の図書館とか」
「冴えてんな、璃空! そうしよ。あ、縁もレポートあるって言ってたよな? 誘ってみるか?」
「おけ、声かけてみる」
言った傍からスマートフォンを取り出して、縁に連絡を取ってくれる璃空を横目に、講義のための教材とルーズリーフを出していく。いつも通り璃空の分のルーズリーフも出して、ん、と渡してやれば、ありがと、と満面の笑みが返ってくる。
璃空が椅子に座り直したのと同じタイミングで、スマートフォンが可愛い音を立てた。画面を見た璃空は、笑いながら言った。
「縁も来たいって。四限終わりに図書館の入口で合流でいい?」
「りょーかい。さんきゅ」
やけに上機嫌だ。久々に縁と会えるのが嬉しいんだろうか。
なんで別れてしまったのか分からないくらい、璃空と縁は今でも本当に仲が良い。
おこぼれみたいな形で俺も仲良くしてもらっているけれど、なんというか年季が違う。阿吽の呼吸というのか、勝手がわかっているというのか。
それだけ息が合うのに別れてしまうことがあるのか、と俺には不思議でしょうがなかった。
だから一度だけ璃空に、縁とどうして別れたんだ? と聞いたことがある。
その時の璃空は、目を丸くした後に、笑ったのだ。
――もう自分の気持ちに嘘吐くの、やめたかったから。
清々しくて、少しだけ胸が痛くなるような笑みだった。
そっか、とだけ俺は返したと思う。
深くは聞けなかった。縁には悪いことしちゃったと思ってる、とも言っていて、それ以上は聞いてはいけない気がしたのだ。
好きだけじゃどうにもならないことだってある。
そんな恋愛モノの物語に出てきそうなフレーズが、身にひたひたとしみわたっていくような感覚に、何も言えなくなってしまったのもあるのだけれど。
それ以降は、二人の関係について言及しない、と勝手に決めている。
実際、璃空と縁が仲良くしているのを見るのは、嬉しかったりもする。
どちらも大事な友だちだ。二人が楽しそうにしていると、俺も楽しいし嬉しい。受験勉強の時も随分助けてもらった。
つくづく俺は良い友だちに恵まれているなぁ。
そんな俺の思考を遮るように、教授が教壇に立ったのを見て、頭を切り替える。
色んな事を頭の片隅に追いやって、残りの講義に集中することにした。