テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ホームシック?
「…チッ。もうこんな時間か……」
リヴァイは時計を見て小さく舌打ちした。
報告書に目を通していたら、気付けばあと少しで日付が変わるくらいの時間になっていた。
さすがに疲れたので、もう時間も遅いが何か甘いものでも口にしようかと調理場へ向かう。
「…ん?」
調理場の灯りがついている。
いつもならもうとっくに消灯されている時間なのに。
アンナの奴、珍しく消し忘れか?
調理場を覗くと、隣接する食堂の机に突っ伏す杏奈の背中が見えた。
まだエプロンをしたままだ。
「おい、アン……」
声を掛けようとしてやめた。
杏奈の背中が規則正しいリズムで上下する。
静かな寝息を立てて。
数ヶ月前、突然現れた彼女。
初めて会った時から常に笑顔を絶やさなかった彼女の、机に伏した横顔。
そっと覗き込むとその頬には濡れた痕が…。
湿り気を帯びた睫毛。
赤くなった瞼と鼻先。
…泣いていたのか……?
リヴァイは自分の制服の上着を脱いでゆっくりと杏奈の背中に被せる。
『…ん…』
目を擦りながら上体を起こす杏奈。
「起こしちまったか」
『……ふぁっ!?へいちょう!?』
驚いたようにこちらを振り返り、目を見開く。
「こんな時間まで仕事してたのか?」
『あ…来週の献立考えてて……。その…寝ちゃってたみたいです』
言いながら目が醒めてきて眠るまでのことを思い出したのか、少しばつが悪そうに俯く。
『…リヴァイ兵長も遅くまでお疲れ様です』
「ああ。ちと疲れたんでな。何か甘いものでも失敬しようかと思って来てみたらお前がグースカ寝てたってわけだ」
『わたし鼾かいてたんですか!?』
「いや、静かに寝てたぞ」
『なーんだ!よかった〜』
そう言って杏奈は普段と変わらない笑顔を見せた。
泣いた痕が残っている以外は。
『甘いの食べられた後は、もうお休みになるんですか?』
「まあ、そうだな」
『そしたら、お腹に負担にならないのがいいですよね』
何かあったよね〜…と言いながら、杏奈が冷蔵庫の中を覗く。
『兵長、ちょっと待っててくださいね』
「ああ。悪いな」
杏奈は冷蔵庫から取り出した何かを小さな鍋に移し、弱火で熱する。
それとは別の小さな鍋に牛乳を入れて、同時進行でこちらも温めていく。
『お待たせしました!』
5分もしないうちに、出来上がったものを小皿とマグカップに移してリヴァイのところへ持ってきた。
「…これはリンゴか?」
『はい。砂糖水で煮込んでコンポートにしました。あと、ホットミルクもどうぞ。ぐっすり眠れるらしいですよ』
「ありがとうな」
いい香りだ。
リンゴの甘酸っぱい香りと、温めた牛乳の優しい香りが鼻腔をくすぐる。
わたしも少し食べよ〜っと言いながら杏奈もリヴァイの斜め向かいに腰掛け、リンゴをフォークで刺して口に運ぶ。
リヴァイも“コンポート”を口へと運ぶ。
「!……美味いな」
『お口に合ってよかったです』
ホットミルクを吐息で少し冷ましてから口に含み、ゆっくりと嚥下する。
しばらくして、リヴァイが口を開いた。
「で。何か悩み事か?」
『えっ!?……何もないですよ』
「泣いてただろうが」
リヴァイの言葉に目を白黒させながら俯く杏奈。
コンポートとホットミルクを平らげたリヴァイが席を立ち、ドカッと杏奈の隣に腰を下ろす。
『…大したことじゃないんですよ……』
「話してみろ 」
口調は荒いが声色は優しいリヴァイに促されて、杏奈は重々しく口を開いた。
『……その…、元の世界が恋しくなっちゃって……』
「……」
『仕事中は、皆さんの食事の準備と後片付けとか服の修繕で忙しくて考えずに済むんですけど…、それが一段落してひとりになると、思い出しちゃうんです。家族とか、友達のこと……』
話しながら、杏奈の瞳が潤んでいく。
『血で真っ赤に染まった包帯でぐるぐる巻きにされて、たくさんの機械に繋がれて…、目を開けないまま息を引き取った自分と、その傍らで泣き崩れる家族のことを思い出しちゃって。……まさか死後に別の世界でこうして生きていられるなんて思ってなかったし…、すごく贅沢なこと言ってるの理解してるけど、元いた世界の、大好きな人たちに会いたいって考えちゃうんです……』
聞けば自らの死の瞬間も、葬儀も火葬も全て俯瞰で見ていたという彼女。
幸い一緒にいた友人は軽い怪我で済んで命に別状はなかったとのこと。
『友達にも会いたいし、何より家族に会いたい……。お母さんのごはんが食べたい……!』
とうとう堪えきれなくなって、ぼろぼろと涙を流す杏奈。
『…大好きな人たちが悲しんでるのを見るのがほんとに苦しくて……。死んじゃったけど今は別の世界で元気に過ごしてるよって伝えて安心させてあげたいのに、それもできないし…』
杏奈の白い頬を、涙がいくつも筋を描いて転がり落ちていく。
それを服の袖で拭うが追いついていない。
俺は……。
こいつの明るい顔しか知らなかった。
いつも花が咲いたように笑う一面しか。
新兵たちが親元を離れて訓練兵の寄宿舎に入るのとはわけが違う。
住む世界から自分たちとは異なるこいつは、たった1人で別世界に来て、その上心の拠り所となる存在に会うことさえもう叶わない。
どれだけ心細かったか。
まだ幼さの残る彼女は、明るい笑顔を作ることで心の中にある大きな孤独を必死に誤魔化そうとしていたようだ。
遺された家族や友人を想って涙を流す杏奈。
話してみろとは言ったものの、自分が想像するより深刻な胸の内に、リヴァイは掛ける言葉に困ってしまった。
「…ほら。これ使え」
とりあえず、ハンカチを差し出す。
『…ぅっ……。そん…な、ハンカチ…汚しちゃいますよ……』
遠慮して受け取らない杏奈にリヴァイは小さく溜め息をついて、
「いいから。ハンカチは汚れる為にあるんだろうが」
と勝手に杏奈の濡れた頬を拭う。
『うぅ…へいちょ……』
杏奈が申し訳無さそうな声を出すが構わず続ける。
そしてハンカチを半ば強引に彼女の手に握らせて、軽くポンポン、と頭を撫でた。
「……まあ…何だ。俺たちはお前に出会えてよかったと思ってる。最初こそ警戒してたが、お前が作ってくれる食事も美味いし栄養も考えられてるし、隊服の修繕も朝頼めば晩には完了してるし。すごく助かってる。俺を含めみんなお前が来てくれてよかったと思ってる」
『へいちょう……』
「お前の、家族を恋しく思う気持ちは俺たちがどうにかしてやれるもんじゃないが、寂しくなったら周りを頼ればいい。誰も嫌な顔なんてしねえよ」
リヴァイの言葉に、杏奈がまた目を潤ませる。
『兵長…ありがとうございます。嬉しいです』
そう言って笑った杏奈は、目と鼻が赤い以外はいつもの明るく穏やかな顔をしていた。
『…なんか、話を聞いてもらったらスッキリしました。もう大丈夫みたいです』
「本当か?無理はするなよ」
『はい。ありがとうございます』
リヴァイは再び、杏奈の頭を軽く撫でた。
「さて、寝るか」
『ほんと、もうこんな時間!兵長、ありがとうございました』
杏奈はもうすっかりいつもの様子に戻っていた。
「気にするな。美味い夜食も用意してもらったし。俺のほうこそありがとうな」
2人で食器を片し、部屋へと向かう。
『わざわざ私のお部屋まで送ってくださってありがとうございました!おやすみなさい、兵長』
「ああ、おやすみ」
そう言って、リヴァイはそっと杏奈の額に口づけ、自分の部屋へと帰っていった。
『………。え!?』
突然の出来事に杏奈はしばらく部屋の前でフリーズしてしまった。
一方、リヴァイはというと。
「…………??…何してんだ俺は……」
無意識のうちにとんでもないことをしてしまった。
屈託なく笑う杏奈に、自然と身体が動いてしまっていた。
安眠の為にホットミルクを飲んだ筈なのに、今夜はなかなか眠れないかもしれない2人だった。