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夜のイルダ裏街区は、どこまでも暗かった。 遠くで鐘の音が鳴り響き、湿った風が石畳を這う。
「こっちだ、早く!」
リオの低い声が響く。
マントの裾を翻し、狭い路地を抜けるその背中を、ハレルは必死に追った。
背後では甲冑の兵たちの足音が近づいてくる。
光を放つ槍が壁を焼き、石片が飛び散った。
「……くそ、どこまで追ってくるんだ!」
「“観測者”を捕らえるのが奴らの任務だ。逃げ場は限られてる。」
リオは肩越しに答えながら、腕輪に手をかざした。
瞬間、淡い青の魔法陣が彼の前に展開する。
「《アーク・シェルド》!」
放たれた光の盾が壁のように立ち上がり、追撃の光弾を弾き返した。
衝撃波が夜気を震わせ、火花が散る。
ハレルは息を呑む。
「それが……リオの魔法か。」
「元は観測庁の技術だ。“記録された光”を再現する。」
リオの声にはわずかな疲労が滲んでいた。
横を並んで走るセラの輪郭が、微かにノイズを帯びている。
髪が風に揺れるたび、粒子のように光が崩れ、また再構成される。
「セラ……大丈夫か?」
「平気。ただ、少し信号が乱れているだけ。」
そう言いながらも、その表情は僅かに曇っていた。
「観測領域が歪んでる。あの兵たちは、“記録庁”の残党かもしれない。」
「記録庁?」
ハレルが聞き返すと、リオが短くうなずいた。
「昔、世界の出来事を“観測・記録”していた組織。
今は崩壊して、改竄者どもがその技術を使ってる。」
セラの声が重なる。
「……彼らは“観測の欠片”を持つ。つまり、私と同じシステムで構成された存在。」
その言葉に、ハレルの胸がざわつく。
「同じ……って、セラ、お前も……?」
セラは一瞬だけ彼を見たが、答えず前を向いた。
「今は逃げるのが先。」
やがて三人は廃聖堂の前に出た。
黒ずんだ扉が半ば崩れ、ステンドグラスの破片が光を反射している。
中から冷たい空気が漏れてきた。
「ここなら一時的に隠れられる。」
リオが腕輪をかざすと、扉の魔法鍵が青く光って開いた。
中は広く、かつて祭壇があった場所には古い装置の残骸が散らばっていた。
鉄と油の匂い。壁にはひび割れた碑文が刻まれている。
《記録(ログ)は真実を写す。だが観測者が歪めれば、神の眼も欺かれる。》
ハレルはその文を見つめながら呟いた。
「……この言葉、前にもどこかで。」
リオが頷く。
「現実世界の“クロスゲート・テクノロジーズ”の社章の裏面だ。
まさか、あの会社の理念がこっちの世界にも刻まれてるとはな。」
「つまり、二つの世界は最初から繋がっていた……?」
ハレルの問いに、セラの輪郭が一瞬だけ乱れる。
「まだ答えられない。でも、あなたの父がそれを知っていた可能性はある。」
「父が……?」
ハレルの瞳に影が差す。
「本当にこの世界と関わってたのか……?」
「……言葉を選ぶなら、“観測した”のは彼自身。」
セラの声が微かに震えた。
その時、聖堂の外で鈍い音が響いた。
足音。数は少ないが、明らかに近づいている。
リオが魔法陣を展開する。
「セラ、結界を張れるか。」
「試してみる。」
セラの手が光り、空気に微細な粒が広がる。
だが、光は途中で途切れ、彼女の体が一瞬だけ透けた。
「セラ!」
「……問題ない。ただ、通信帯域が不安定。」
その言葉にハレルの胸が締め付けられる。
(まるで……彼女がこの世界の“AI”みたいだ。)
リオが短く言う。
「今は隠れる。敵が通り過ぎたら南の路地へ抜けよう。」
「了解。」
三人は瓦礫の陰に身を潜めた。
外では兵たちの声が響く。
「“観測者”を見た者は?」
「報告なし。だが確実にこの区域に入った。」
「なら記録を上書きしろ。痕跡を消せ。」
その会話を聞きながら、ハレルは息を殺した。
(記録を……上書き? 本当に、世界を“書き換えて”いる……。)
やがて、足音が遠ざかる。
沈黙が戻った。
セラが小さく息を吐く。
「……今のが“観測部隊”。彼らはまだ表層の動き。
本隊が出てくる前に、ここを離れた方がいい。」
ハレルはリオの横顔を見る。
「なぁリオ……この世界で何が起きてるんだ?」
リオは短く答えた。
「――“真実”が殺されてる。」
その言葉が、静かな廃聖堂に重く響いた。
外では再び鐘が鳴る。
異世界イルダの空が、ゆっくりと紫に染まり始めていた。