TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

朝霧が森の木々に絡みつき

枝の先に露が煌めいていた。


逃走劇の余韻を残すように

草葉が踏みしだかれ

空気にまだ熱が残っている。


だがその中心で

アビゲイルは胸を張っていた。


メイド服のスカートに手を添え

堂々たる宣言の後──


アラインの表情には

珍しく〝迷い〟が浮かんでいた。


「⋯⋯えっと⋯⋯他じゃ、ダメかな?」


普段なら即座に機転を利かせるその口が

やけに歯切れ悪い。


彼は、アビゲイルの瞳に宿る信仰の色──

まっすぐすぎる輝きを、警戒していた。


それはときに

信仰者をも焼く業火になることを

彼は気付いている。


「ほら、ボク的にも

キミには近くにいて欲しいんだけどな?」


猫なで声で、片手を差し出す。


だが──


「アライン様?」


凛と響く声に、指先が止まる。


「先ほど〝何でも〟と仰いましたよね?

約束を違えるおつもりですの?」


「う⋯⋯」


眉根を寄せて呻くアラインの姿は

珍しく押され気味だった。


森のざわめきが沈黙し

鳥たちさえも息を潜める中で

アビゲイルの声は

まるで鐘の音のように響いた。


「ご安心くださいませ。

アライン様は、ライエル様と一心同体⋯⋯

わたくしが、お力になれるのであれば

異能のことはまだ

よくわかっておりませんが⋯⋯

必ずお役に立ってみせますわ!!」


燃えるような瞳が

彼を真っ直ぐに射抜く。


その気迫に

アラインはつい、片手を頭に添え

苦笑を浮かべる。


「参った⋯⋯わかったよ。

これ以上、キミの機嫌を損ねたくないしね?

時也に話しておいてあげる」


「ありがとうございます、アライン様!」


ぱあっと笑顔を咲かせ

アビゲイルはくるりと背を向けた。


そのまま、歩き出しながら小さく呟く。


「⋯⋯これで時也様とアリア様の

神話カップルを毎日拝めますし

時也様と、あの長身の方との

カップリングの想像も捗りますわ⋯⋯

うふふふふふ」


「え?

なんて言ったのか

聞こえなかったんだけど⋯⋯?」


背後から首を傾げるアラインに

アビゲイルはぴしっと背筋を伸ばし

振り向かずに声を張る。


「決意表明をしていただけです!!!

さぁ、今すぐ櫻塚様のところへ

参りましょう?」


その声に、森の空気が一変した。


もう逃げていた少女ではない。


今や彼女の背には

〝推し〟を支える烈火のような

信念が燃えていた。


アラインはその背中を見送りながら

口元を歪める。


薄く片眉を上げ、肩を竦めて吐き出す声は

呆れとも賞賛ともつかぬ曖昧な響きだった。


「⋯⋯推し活、恐るべし、だね」


森の奥で、露がぱちりと弾けた。


風が通り過ぎるたびに

少女の決意が

朝の空へと立ち昇っていった。



孤児院の大食堂には

陽だまりのような匂いが漂っていた。


焼きたてのカップケーキが

ずらりとテーブルに並び

小さな手で頬張る子どもたちの笑顔が

まるで春風のように広がっていく。


その中心

長い木製テーブルの一端に座る男──


櫻塚時也は、優しく目を細めながら

自身の前に置かれたケーキに

そっと手を伸ばした。


淡い桜色のアイシングに

小さな砂糖菓子の花が添えられている。


誰かが彼のために飾ったのだろう。


そのひと手間に

時也の唇がやわらかに綻ぶ。


「⋯⋯ふふ、上手ですね。

これを作ってくれたのは、どなたかな?」


問いかける声に

周囲の子どもたちが一斉に

「はーい!」と手を挙げる。


まるで春の花が一斉に咲き誇ったかのような

無邪気なエネルギーが弾けた。


時也の隣には

静かに座るアリアの姿がある。


銀のスプーンを指先でつまみ

彼女は何の表情も浮かべずに

ケーキを口に運んでいた。


だが、その動作は驚くほど丁寧で

指先ひとつ乱れない。


誰よりも静かに、誰よりも美しく

ただ一口ずつ

淡く甘い幸福を噛み締めている。


アリアの隣の席には

空になった紙カップが無造作に並び──


その向こうでは

ソーレンがすでに

子どもたちに「ジャングルジム」として

扱われていた。


「おい、痛ぇっ!肩に立つなバカ!」


「ソーレンおじちゃん、すっごーい!

まるでクマみたーい!」


「はぁ!?

誰がおじちゃんだ、誰が!?

クマでもねぇ!!!」


苦々しい声を上げながらも

どこか楽しげなソーレンの顔に

カップケーキのクリームが

ちょこんと乗せられていた。


そんな賑やかな空気を

ゆるやかに扉が切り裂く。


カタン、と音を立てて

開いた入口から現れたのは──


深い葡萄色のウェーブが揺れる影と

艶やかな黒髪を緩く結った

神父服姿の男だった。


アビゲイルと、アライン。


アビゲイルは静かに会釈しながら

すでに働いている

もう一人のメイドの横へと向かう。


その動作一つにも

どこか気品が滲んでいて──


時也と視線が重なった、その瞬間。


彼は、にこりと柔らかく微笑んだ。


空に差し込む光のようなその微笑みに

アビゲイルの目元が一瞬揺れたが──


心の叫びは、沈黙していた。


まるで水面に落ちる影のように

静かで、整った。


(……ああ、もう

感情は乱さないと決めたのです!

時也様にご迷惑をお掛けしては

いけませんっ!)


自らに言い聞かせるように

胸元で指を組み、彼女は姿勢を正す。


一方、アラインは悠然と時也に歩み寄り

彼の耳元に、息を吹きかけるように囁いた。


「ねぇ、時也?

この催しが終わったら、彼女を連れて

喫茶桜に行っても良いかな?」


囁かれた言葉に、時也は目を伏せ

緩やかに頷く。


「ええ。構いませんよ。

僕としても、その方が有り難いですし。

説得していただけたんですね⋯⋯

ありがとうございます」


その目は静かに

だがどこか安堵の色を帯びていた。


アラインは肩をすくめ

いたずらっぽく笑う。


「んー⋯⋯

めっちゃビンタ喰らったけどね?

ま、今のボクは

涙の宝石という経営資金も手に入ったから

何でも許せちゃう」


その声音は冗談めいていたが

どこか本気にも聞こえた。


時也は苦笑を浮かべただけで

返す言葉はなかった。


けれどその視線は

遠くに立つアビゲイルへと向けられていた。


──彼女が自らの意思で立ち

ここへ戻って来たことを

誰よりも彼が知っていたから。


そして、喧騒の中にも

一筋の静謐が差すように──


孤児院の大食堂には

カップケーキの甘い香りと

未来へ繋がる歩みの予感が

優しく満ちていた。


紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

612

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚