「……まぁ、作られた人格かも知んねぇけど考え方の根本は俺だし……そういうことになるんじゃね? ――そもそも……お前が不破を俺と区別してるからそれに合わせて話してっけど……正直俺ん中じゃ〝皆に好かれそうな自分を演じてる〟って感覚なだけで、別人格ですらねぇしな」
言われて、日和美は少しだけホッとして。無意識に「ふぅ」と吐息を落としたのだけれど。
どうやら信武はそれを、抗議の溜め息だと思ったらしい。
「ひょっとして……俺と奴が一緒だって言われんの、嫌だったか?」
だから不安そうにそう聞かれた時、日和美は慌ててフルフルと首を横に振ったのだ。
ついでに、「信武さんと不破さんが全くの別人じゃなくてむしろ良かったと思ってます!」と続けそうになったのを、日和美は慌てて口をつぐんで封じた。
だってそれを言ってしまったら……不破に恋していた自分が、信武のことを好きだと認めてしまうような気がしたから。
そんなの、ダメに決まっているではないか。
***
「で、それがその先輩におすすめされたって本か」
夕飯を食べ終えるなりソファでくつろぐ信武の前。
日和美が「じゃじゃ~ん!」と効果音を付けて、今日勤め先で買ってきたばかりの本を袋から取り出して見せたら、何故か苦笑されて。
「それ、文庫版もあっただろ」
日和美が手にした自著を指差して、「何も値の張るハードカバーを買わなくてもよかったろうに。ぼったくられたんじゃねぇの?」とつぶやいた。
そんな信武に、日和美は「チッチッチ!」と人差し指を立てて顔の前、「私、それもちゃんと分かった上でハードカバーを選んだんですよ?」と吐息まじりに指先を左右に動かす。
「私、ちょっとだけ調べたんです。作家さんに入る印税って……一概には言えないけれどほとんどの出版社さんで文庫もハードカバーも新書も……大体同じくらいの割合なんでしょう? でも、当然それぞれ単価が違うから。作家さんの実入り的には千円にも満たないような安価な文庫は、二千円近くするハードカバーより売れた際の儲けが少ない。――違いますか?」
買ってきた本を、両腕をクロスするようにして大切に大切に胸前へ抱えて。キッと睨みつけるように信武を見据えたら、瞳を見開かれた。
「――ま、まぁその通りなんだが」
ややしてポツンとそうつぶやくなり、信武は何故か真っ赤になって顔を背けてしまう。
「信武さん?」
そのことが不思議で、日和美はキョトンと小首を傾げた。
「何でお顔を背けるのですかっ」
「……いや、だってお前……それ、反則だろ」
そっぽを向いたまま信武が言うから。日和美はますますわけが分からなくて混乱する。
「何がですか?」
一歩ソファの方に詰め寄ってそう問いかけたら、突然立ち上がった信武にギュウッと抱き締められた。
「好きな女に〝あなたのために色々気ぃ遣いました〟みたいに言われてグッと来ねぇ男なんかおらんだろっ」
切な気に耳元でそんな風に落とされて、日和美の手からラグの上に本が落ちる。
不自然に開いた格好で伏せるようにして落ちたその本の表には、『ある茶葉店店主の淫らな劣情』と書かれていた。
立神信武フリークの多賀谷先輩曰く、エロスと純文学と、茶葉に対する雑学が入り乱れたこの作品こそ、立神作品の真髄らしい。
日和美的には『陽だまりの硝子玉』や『犬を飼う』の方が〝買いやすいタイトル〟で気になったのだけれど、ふとそこで信武の言葉を思い出した。
――「今度俺のコレクション見せてやろーか? 仕事柄お前のTL本なんて可愛く見えるよーなえげつねぇのだってゴロゴロしてっぞ?」
あの時、日和美はどんなお仕事をしていたら、日和美のTL本が可愛く見えるんだろう?と思った。
多賀谷が勧めてくれた本のタイトルは、そこに触れられるものな気がしたから。
日和美は「よし!」と決意してコレをレジに持って行ったのだ。
***
「あ、あのぉ……!」
今日はまだお風呂にも入っていないし、何より足元に落っことしてしまった本が気がかりで仕方がない日和美だ。
超絶美形の、俳優もかくやといった風情の日本人離れした容姿の男性に抱き締められていると言うのに、日和美は驚きの余り取り落としてしまった足元の本にばかり気がいってしまう。
幸い柔らかなラグの上に落下したから、本の角っこがへこんでしまったとか言うことはないはずだ。でも、落ちた拍子に本が開いて、伏せられた形になっているのが非常に気になって。
(今すぐ直したい!)
本好きならではの発想というか。
日和美はとにかく本が傷むようなあれこれを嫌うところがある女性だった。
書斎にしている寝室にいつも遮光カーテンが引かれているのだって、本を紫外線から守るためだ。
図書館で借りてきた本も傷まないよう小さな袋に入れて持ち歩くし、友人なんかがしおりがないからと読んでいたページを開いてテーブルなどに伏せて置くのを見るのも好きではない。
ティッシュでも何でもいいから挟んでー!っと心の中で叫んでしまう。
そうしてそれは、当然今日買ってきたばかりの蔵書、『ある茶葉店店主の淫らな劣情』にも発動するわけで。
「お前なぁ、こう言う時くらい少しは空気読んで、じっと抱かれておいてやろうかな?とか言う気になれねぇのかよ」
照れ隠し。結構いっぱいいっぱいな気持ちで日和美を抱きしめている信武としては、腕の中の日和美の反応が気になってたまらない。
それなのに――。
信武に「あのぉ!」と声を掛けるなり、にわかにモジモジし始めた日和美に、信武が思わず不機嫌そうな声を出したのもやむを得ないだろう。
「む、無理に決まってるじゃないですか! だってだって! 本がっ! 本が足元で大変なことになっちゃってるんですよ⁉︎」
少し身体を引き離すようにして彼女を睨みつけたら、これ幸いとばかりに日和美がスルリと信武の腕から逃れてしゃがみ込んだ。
そうしてラグからサッと本を持ち上げると、ページの折れなどがないか確認してすぐパタンと閉じて。
閉じた状態のまま、またどこも傷んでいないかを矯めつ眇めつ確認した。
ひとしきりチェックをした後、ほぅっと吐息をついて「大丈夫。立神センセぇのご本、無傷でしたぁ~」とニコッと信武に笑いかけるから。
信武は毒気を抜かれて文句を言いそびれてしまった。
そもそも自分の本を目の前でこんなに大切に扱われるとか……自分自身を大切にされているようで何だか面映ゆいではないか。
それに――。
(立神先生って……。何かこいつに言われるとやたら照れ臭ぇな)
などと言うあれこれの本音をひた隠した信武が、
「……お前、本当、本が好きなんだな」
ややしてポツリと何とかそう口の端に乗せたら、「でなきゃ書店に就職なんてしませんよぅ」と日和美が心底嬉しそうに目尻を下げる。
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