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「あ。私ね、こう見えて司書の資格も持ってるんですよ?」
ふふんと鼻を鳴らしてふんぞり返った日和美に、「図書館員は狭き門だからな」と事実を述べたら盛大にため息を落とされた。
「お、おいっ」
(もしかしてこれは地雷発言だったのか?)
あっちこっちの図書館を受けてみたけど全部落ちた、とか……そういうのかも知れない。
(いや、けどコイツ、俺に将来の夢を語ってきてた時、そんなこと一言も言ってなかったよな?)
理由までは聞かされていないが、大学生の頃、山中日和美の就活先は本屋一択だった、と記憶している信武だ。
その証拠にやはり。
「……バカですねぇ、信武さん。この町の図書館にはティーンズラブものが本屋さんほど充実していないの、ご存知ないんですかっ?」
ボーイズラブに至ってはもっと少ない。
当たり前だが新刊にだって、本屋にいた方がいち早く触れることが出来る。
だから自分は最初から司書になろうだなんて気持ちは毛頭なくて、ターゲットを書店に絞って就活したのだ、と日和美が胸を張るから。
信武は、(やはり俺の記憶は間違ってなかったな)とホッとしたのと同時、思わず笑ってしまった。
「日和美。お前、本当ブレねぇな」
笑いながらクシャリと日和美の頭を撫でたら、途端
「そっ、その笑顔は反則ですっ!」
言って、何故か日和美が真っ赤になった。
***
信武には申し訳ないけれど、日和美としてはハッキリ言って、今の信武からの仕草と笑顔は不意打ち過ぎて〝ヤバかった〟のだ。
だって――。
(今の、今の、今のっ! どう見たって不破さん!)
だったから。
不破と初めて出会った日、病院で同じようにされたのをふと思い出して胸の奥がキュッ、と切なく疼いた。
先ほど信武の口から聞かされた通り、〝不破は紛れもなく信武の一部〟なのだと言うことを、まざまざと思い知らされた気がして――。
日和美は大急ぎで信武の手を払いのけると、バクバクとうるさい心臓の音を信武から隠したいみたいに数歩後ずさった。
「おい、日和美……」
信武が何か呼びかけてきているけれど、今はあえて無視。
「わ、私っ。お風呂に行ってきます!」
いつもなら信武へ先に入ってもらうところを、現状から逃げ出したい一心でパタパタと慌ただしくその場を後にして。
(私、バカなのっ!?)
テンパる余り、脱衣所まで本を抱えてきてしまった。
日和美には本をふやけさせる可能性のある半身浴をしながら読書をたしなむ嗜好はもちろんのこと、蒸気がこもりがちな風呂場近くに本を持ち込む趣味だってない。
風呂上がり、通気が余り良くないここの湿度が駄々上がることを知っているから尚のこと。
一旦はピシャリと中から閉ざしてロックをかけた扉だったけれど、日和美は本だけでも避難させようと、恐る恐るそぉっと開けてみた。
――途端。
ヌッと伸びてきた大きな手を扉の隙間に差し入れられて。
「ふギャッ!」
思わず可愛さのかけらもない素の悲鳴が喉の奥から絞り出されてしまった。
「な、な、なっ」
何のご用ですか⁉︎と言いたいのに、余りの事態にうまく言葉が紡げない日和美だ。
そんな日和美に扉を全開にしてズイッと近付くと、信武が彼女の柔らかな頬を両手のひらでムギュッと挟んだ。
「お前なぁ、勝手に自己完結して逃げんな」
呼び止めたのに無視されたことが気に入らなかったのだろうか?
至極不機嫌そうな端正な顔に見下ろされながら、日和美は両頬を押しつぶされた自分は今、眼前の信武とは対照的に超絶不細工になっているだろうな、と自覚する。
「ひゃ、ひゃめてくりゃしゃい」
やめてください、と言ってみたもののうまく言えなくて自然眉根が寄ってしまったのだけれど。
「やめて欲しかったらちゃんと答えろ。お前、何でさっき、あんなに急に真っ赤になったんだよ? 俺の顔が反則ってぇのはどういう意味だ?」
(そこ、そんなに掘り下げる必要がありますかね⁉︎)
日和美としてはそっとしておいて欲しいセンシティブな部分なのに。
信武はそれをどうしても追及したいらしい。
いっそのこと、信武の手を振り解いてすたこらさっさとトンズラしてしまいたい日和美だったけれど、タイミングが悪いことに今、日和美の手には『ある茶葉店店主の淫らな劣情』が握られている。
本好きな日和美の選択肢に、本を床に投げ捨てると言うものがない時点で、どんなに頑張っても使えるのは片手だけ。
加えて男性である信武の方が力が強いときている。
どう考えても、日和美に勝ち目なんてないではないか。
しばし顔を押しつぶされたまま、せめてもの抵抗に信武を睨み上げてみたけれど効果はないようで。
仕方なく日和美は諦めた。
「しゃ、しゃっきにょ信武しゃんにょ仕草と表情ぎゃ……不破しゃんと被ってドキッとしたきゃられしゅ。たらしょれらけのことれしゅ」
自分では『さ、さっきの信武さんの仕草と表情が……不破さんと被ってドキッとしたからです。ただそれだけのことです』と告げたつもりだけど、ちゃんと伝わっただろうか。
――頬を押さえる手の力を緩めてくれないから上手く喋れないの、察してもらえませんかね!?
この人、私に話をさせる気が本当にあるの?と思ってしまった日和美だ。
それに正直な話、伝わっていてもいなくても日和美にとっては不利益しかない気がして。
だって、伝わっていたら『私、信武さんにときめいてしまいました』と言う告白に他ならないし、伝わっていなかったら恥ずかしいのにもう一度言わされる可能性がある。
そんなことを思いながら日和美がソワソワと信武を見上げたら、不意に頬を解放されて。
ラッキー、逃げなきゃ!と行動に移す間もなく、即座に感極まった様子の信武にギュウッと抱きしめられた。
「――なぁ日和美。それって俺に、ときめいてくれたって解釈であってるよな?」
信武が〝俺に〟のところにことさら力を入れるから。
日和美は図星を突かれてしまったと、ただただ動転して。「し、信武さっ、……ほっ、本が潰れてますっ!」と斜め上なことを言いながらジタバタした。
***
「んんーっ、……あ、はぁ、……んっ」
結局その後、さんざん濃厚な口付けの洗礼を頂いて息も絶え絶え。
ヘロヘロの日和美は信武の腕からやっと解放されて、それで何とか途切れ途切れ。
「わ、……私……、こ、れを本棚にしま、ってきます。なのでお、風呂、は……やっぱり信、武さんがお先にど、うぞ」
と告げて脱衣所を逃げ出したのだけれど――。
上機嫌の信武は当然のように風呂上がりの日和美を脱衣所の外で待ち構えていた。
「ひっ!」
日和美が小さく悲鳴を上げて、脱衣所に逆戻りしようとしたのだってきっと信武にとっては想定の範囲内。
グイッと日和美の手首を掴むと、そのまま自分の方へ強引に引き寄せた。
信武とのあれこれを考え過ぎて長湯してのぼせ気味。湯たんぽ張りにほこほこに温まった日和美の小さな身体をまんまと腕の中に閉じ込めて。
ギュッと抱き締めて逃がさないようにしておいてから愛らしい彼女の耳元、「日和美。お前の心が俺に傾いてんのが明白だって知っちまった以上、俺は、もう待つ気ねぇから。――今夜こそお前を食わせてもらうから覚悟しろよ?」とか言い出したからたまらない。
追い詰められた日和美は「ごっ、ごめんなさいっ、信武さん! 貴方のお気持ちにお応えしたいのは山々なんですけどっ。どうやら私、女の子の日になってしまったみたいで。そのお誘い、向こう一週間は無理そうですっ!」と起死回生の一手を放った。
これ、実際のことで嘘ではなかったのだが、問題をほんの少し先延ばしにしただけに過ぎないのは誰の目にも明晰。
――山中日和美、二十三歳。
どうやらふんわり王子様キャラの不破 譜和だけではなく、俺様ギャップ萌えキャラの立神信武という男にも、すっかりしっかり惚れてしまったようで。
それだけならまだしも、一番バレたくなかった信武本人にも、秘めたい気持ちにバッチリ勘付かれて絶体絶命。二十三年間守り抜いてきた日和美の操は今、風前の灯火みたいです!