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信武は顔を伏せてこちらを見ようとしてくれない日和美をそっと抱き上げて風呂場へ向かいながら、「あれはそういうもんじゃねぇんだよ」と説明した。
初心者の日和美が失禁と勘違いしてしまったのは仕方がないことなのかも知れないが、女性が感じた時なんかに起こる現象で、珍しいことではないのだと説明したら「それって……『誘いかける蜜口』に書いてあったやつですか?」と腕の中からぽやんとした顔で見上げられた。
先程の情事の余韻が、身体の方はもちろん精神の方にも作用しているんだろう。
日和美がしっかり覚醒してしまったなら、こんな風に何の覆いもなく信武の腕に抱き上げられている現状を容認しなかったはずだから。
何せ日和美だけじゃなく、彼女を抱き上げている信武自身も素っ裸なのだ。
スライドドア全面が鏡面になっているウォークインクローゼット前を通過しながら、信武は日和美の視線がそちらへ向かわなくて良かったと内心ホッとする。
日和美だって自分の裸は見慣れているだろうけれど、臀部や局所、下肢のあちこちに破瓜の痕跡を残した姿は、恐らく刺激が強過ぎるはずだ。
信武はなるべく日和美が覚醒しきる前に、風呂場でそういうものを綺麗に洗い流してやりたいと思った。
ついでにその後は自分だけサッと身体を清めてから、日和美にはゆっくり湯船に浸かるよう言い渡して、寝室のシーツなども気づかれずに綺麗なものへ整え直しておきたいとも考えていたりする。
日和美の初体験が、彼女のなかで負の記憶と結び付いてしまいそうなことは事前に取っ払っておいてやりたい。
お漏らし疑惑なんてその最たるものではないか。
「ああ。あん中で清佳が匠の手技で潮を吹いたってあったろ……。あれと一緒。お前が吹いたのはアポクリン腺液ってやつだ。――尿とは違う」
まさか自作に助けられるとは思っていなかった信武は、そんな説明をしながら日和美を浴室の床へそっと降ろしてやる。
「ひゃっ」
思いのほか床が冷たかったのだろう。
途端キュッと身体をすくませた日和美が、温もりを求めるみたいに信武にしがみ付いてきた。
(可愛すぎかっ)
なんて思いが溢れすぎると息子が再度漲ってしまいそうでヤバイので、信武はそんな日和美を無心でそっと抱き寄せてやりながら、湯張りスイッチを押す。
ついでにシャワーヘッドを壁の方へ向けてからシャワーコックをひねった。
足元を湯になる前の冷たい水が流れるからだろう。日和美のしがみ付きが一層強くなって。
柔らかな日和美の身体がキューッと肌に吸い付いてくるのを感じた信武は、内心(勘弁してくれ)と思ってしまった。
(また抱きたくなっちまうだろーがっ)
初心者相手、立て続けにそんなことをするのは鬼畜の所業だと思う。
だから理性を総動員して我慢しているというのに。
日和美の無自覚爆弾ぶりに、タジタジの信武だ。
湯気が立ち込め始めた浴室内で、日和美の下半身中心にシャワーを当てて優しく撫でさするように汚れを落としてやりながら、信武は心の中で仏説阿弥陀経を唱え続けている。
とはいえ経文の全てを知っているわけではないので、ラストの辺りに出る「南無阿弥陀仏」の繰り返しに過ぎなかったのだが。
***
シーツなどを綺麗なものに取り換えて、外したものを脱衣所に設置した洗濯機の中へ放り込んでスイッチを押したついで。
日和美の外泊グッズが入った鞄を勝手にあさるのは良くないと思った信武は、「とりあえず俺の服、置いとくわ」と、浴室内の日和美に声を掛けてから、自分のTシャツをふわふわの今治タオルとともに脱衣所へ置いた。
日和美に貸すTシャツ。実は白と黒とで迷ったのだけれど、白だと色々透けて見えそうでまずいと思って。
あえて生地が厚めの黒ティーを選んだ信武だ。
信武が擦りガラスの扉越し、そう声を掛けたと同時、中からパチャンッとお湯が跳ねる音がして、日和美が「ひゃいっ! ありがと、ござますっ」とどこか慌てた様子で返してくる。
(大分覚醒してきたな)
ほわほわに泡立てたボディーソープで彼女の全身を包み込んで清めた時には、まだぼんやりと信武の成すがままになっていた日和美だ。
あの後はお湯で日和美の泡を洗い流してから、ふらつかないようヒノキの風呂椅子に座らせたのだけれど。
すぐそば。
信武が自分の身体をガシガシと適当に洗うさまを、日和美がボォーッと照れる様子もなく見上げていたのを覚えている。
それは逆に信武が照れてしまいそうなほどの熱視線で――。
情事の前後、女性の前で裸になることを恥ずかしいと思ったことなんて一度たりともなかった信武なのに、今回ばかりは(マジ、勘弁してくれ)と思ってしまった。
見境なく再度日和美を襲ってしまうことを回避したくて、彼女の身体を見ないように意識していたのも照れに拍車を掛けたのかも知れない。
余りに早く湯船へ追いやってしまったら、日和美が湯あたりしてしまいそうで怖かったのが一旦彼女を椅子に腰掛けさせた理由だったのだが――。
正直信武は男性経験のほとんどない日和美から、至近距離であんなにまじまじと身体を見詰められるだなんて思っていなかった。
恥ずかしがって目をそらす姿は想像出来ても、あれは全くの想定外。
(意識の飛んだ日和美、色んな意味で最強過ぎんだろっ)
次に彼女を抱くときは、もう少し手加減しようと心に誓った信武だ。
***
「あ、あのっ、信武さん……」
ギューッとTシャツの裾を引っ張るようにして日和美がリビングに入って来て、信武は思わずホットミルクを用意しようと蜂蜜へ伸ばしていた手を止めた。
(やべぇ……)
声には出さなかったけれど、それが風呂上がりの日和美を見た瞬間に思った一番最初の感想だった。
「日和美、また〝さん〟が付いてるぞ」
心の中の動揺を押し隠すようにして何とかそんな指摘をすれば、日和美が戸口のところに突っ立ったままソワソワと眉根を寄せる。
「し、のぶ。その、申し訳ないんだけど……そこの、鞄……。それをこっちに向けて滑らせてもらっても……いい?」
恥ずかしそうにふわふわと視線を彷徨わせながら、それでもちらりとカウンターそばの鞄へ視線を投げかけた日和美に、信武は『あ……』と気が付いた。
(そう言やぁ俺、さっき……)
バスタオルとTシャツは脱衣所に持って行ったけれど、下着類は一切準備していなかったことに気が付いた。
(よく考えたら鞄自体を脱衣所に持って行ってやっときゃあ日和美が中から勝手に要るモン選べたよな)
などという単純なことにも今更ながら気が付いた。
(俺も相当テンパってたってことか)
日和美の荷物を勝手にあさるのは良くないとは思ったけれど、鞄そのものを移動させるのは何の問題もなかったはずだ。
洗面所兼脱衣所へ向かう入り口に向かって、板目が縦方向に並んでいるリビングダイニングのフローリング。
日和美が望むように、ボーリングの球みたいに勢いよく滑らせてやれば、鞄は彼女の足元まで難なく届くだろう。
だが、そうしたら日和美のことだ。恐らく太ももがむき出しで超絶眼福な彼シャツも脱いで、自分が持参したパジャマに着替えてしまうに違いない。
「要るのは下着だろ?」
そう思ったら、つい意地悪をしてやりたくなった。
「あ、あのっ」
「床滑らしたらフローリングに傷が付いちまうかも知んねぇし。要るモンだけ俺が取ってやるよ」
本人の目の前でなら荷物の中身を検めたって問題ないだろ?と言わんばかりの口振りで日和美の鞄そばにしゃがみ込んだら「ダメっ!」と日和美が駆け寄ってきた。
その勢いのまま、鞄を挟んだ向かい側にひざを付いて、ファスナーを掴んでいた信武の手を握ってきた日和美に、信武は思わず生唾を飲み込んだ。
半身をこちら側へ乗り出すみたいにした日和美の胸元。ツンと愛らしく布地を持ち上げた二つの突起もさることながら……。
「バカ、お前……それっ……」
辛うじて隠れてはいるけれど、胡座をかいた信武の眼前。無防備にひざ立ちしたままこちらへ手を伸ばしてきている日和美の局所が、今にも見えてしまいそうで……たまらなくヤバイ。
何せ、いま日和美は――。
「のっ、ノーパンのくせにっ。男の前でそんな際どい格好するやつがあるかっ!」
バッと慌てて立ち上がると、思わず日和美に背を向けてしまった信武だ。
中坊じゃあるまいに、異性の太ももとその付け根。見えそうで見えない股間に照れまくってしまうとか……自分でもどうかしていると思った。
だが、日和美が相手だとどうにも調子が狂ってしまうのだから仕方がないではないか。
耳までブワッと熱を持ったのが分かって、信武は照れ隠し。
日和美に背を向けたまま彼女の無防備さをぶつくさと非難した。
「ごめ、なさっ」
日和美も信武の指摘に自分の愚行に気が付いたのだろう。
背後で、鞄を手に走り去る音がした。
「あー、くそっ」
日和美以外の女性が同じことをしたならば、『何ソレ。ひょっとして誘ってんの?』とか言いながら無防備なアソコヘ手を伸ばし……そのままカウンターに手を付かせてキッチンプレイに雪崩れ込む、なんてことも出来たと思う。
だが日和美が相手だと、自分はまるで童貞さながらにダメな男になってしまうらしい。
それが、日和美を抱いた途端やたら顕著になってしまった事が、何とも納得がいかない信武だ。
(と、とにかくっ! 不意打ちがヤベェーんだよっ!)
そうでなければ、何とか対処のし様もあるのだと自分に言い聞かせてから、(何だよ、俺。……めっちゃ理屈くせぇじゃん)と己の思考回路に思わず苦笑する。
そんな情けないアレコレが言うほど嫌じゃないことに、信武は何だか不思議な心地がした。
***
結局信武の懸念通りたっぷり十数分後。
リビングダイニングに戻ってきた日和美は、ちゃっかりと持参してきたマイパジャマに着替えていた。
下着を身に着け直したり、服を着替えたりするだけにしてはやたら遅かったのは、気持ちを切り替える時間が必要だったんだろう。
(ま、俺も同じだったからそこは問題ねぇんだけど。――Tシャツを脱がれちまったのはやっぱ納得いかねぇなぁ。……正直すっげぇ良かったのに)
なんて信武が真顔で思っていたら、「し、のぶ……がせっかく服、貸してくれたのに……。一度そでを通したくせに勝手に脱いじゃってごめんなさいっ」と日和美が先手を打って謝ってくる。
どうやら気持ちがダダ漏れで、我知らず不機嫌そうな表情になっていたらしい。
〝信武〟と呼び捨てることにまだ抵抗があるみたいで、名を呼んだ時ぎこちなく詰まるのがめちゃくちゃ可愛いじゃねぇかと思ってしまった信武だ。
そもそも彼シャツ案件に関しては、男としての勝手なロマンだ。
日和美が最初から自前の服を着られるようにしてやれなかったのは、配慮が足りなかった信武のせいだし、ある意味日和美は何も悪くない。
なのに信武の厚意を無下にしたと落ち込む様が、何とも律儀な日和美らしくて好もしいではないか。
信武はそんな日和美を前に〝愛しい〟と言う気持ちが溢れて止まらなくなる。
そればかりか――。