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Side康二
「はっきり言うけど、康二、本当に私のと好き?……なんか、友達って感じ」
その瞬間、何かが“ぷつん”と切れた音がした気がした。心のどっかの線が、音立てて切れた。カフェの隅、アイスラテの氷がカランと鳴ったのと同時に。
向かいに座る彼女の目は真剣で、全然ふざけてへんのが分かった。
俺は何も言えずに、ただうなずいた。情けないほど簡単に、あっさりと。
別れ話の後って、こんなにも静かなんやな。世の中が止まったみたいに、周りの音が遠のく。
コーヒーの苦味も、外の風の音も、何も感じへん。唯一リアルなのは、自分の鼓動がうるさいくらいに響いてることだけ。
──そして、別れた。
その夜、帰り道で自分が何駅乗り過ごしたかも覚えてへんかった。マンションに戻って、スーツのまま床にへたり込んだ俺は、久しぶりに泣いた。静かに、誰にも見られへんように。
「俺って、なんやったんやろな……」
完璧な男になんてなれへん。面白くて優しいって言われるけど、それってつまり“都合のええ人”ってことなんやろか。
彼女の言葉は、俺がずっと見ないふりしてきた現実を一気に突きつけてきた。
俺、自分に自信ないし。誰かに本気で求められる自分を、想像できたことなんてなかった。
でもさ、それでもまぁ好きで一生懸命尽くしてたのに、最後に言われたのが「友達って感じ」って……なんか、むなしいな。
その日から、俺の毎日は灰色になった。
いつも通りの満員電車、いつも通りの仕事、コンビニ弁当と缶ビールだけの食卓。
誰にも必要とされてへん気がして、笑う元気も出えへん。
でもどこかホッとしているのはきっと昔の片思いの方がしんどかったからだろう。
我ながら救いようがないのかもしれへんな。
人に会うのも、SNSを開くのも、テレビのラブコメを見るのも、全部しんどい。
日々はただ流れて、俺はそれに流されてるだけやった。
そんな中、ひさしぶりにぽっかり空いた休日。
朝から何の予定もない。昼まで寝て、重たい体を無理やり起こして、冷蔵庫を開けたら中は空っぽやった。
「……そろそろちゃんと食べんとあかんな」
自分に言い聞かせるように呟いて、スウェットからジーンズに着替えた。
鏡をちらっと見たけど、目の下のクマも髪の寝癖もどうでもよくなって、直す気も起きへんかった。
近所のスーパーまで歩いて10分。少し暖かくなりかけた風が、やけに心に沁みた。
「どうして俺だけ、こんなに取り残されてんねやろ」
そんなことを考えながら、カートを押して惣菜コーナーをぶらついてた。
唐揚げ、ポテサラ、割引シールの貼られた弁当──手に取っても、食欲が湧かへん。
そのとき、不意に背後から声をかけられた。
「すみません、少しだけお時間よろしいでしょうか?」
え、ナンパ?──違う。
振り向くと、スーツ姿の若い営業マンみたいな男が、爽やかな笑顔で立ってた。
胸元には見慣れへんロゴの入った社員証。どこかの企業の人みたいやけど、聞いたことない社名やった。
「突然すみません。私、株式会社クロノスの田中と申します。今、特定の条件に合った方を対象に、とある先行モニタープログラムのご案内をしておりまして……」
「え……モニター? 何の?」
怪しさ半分、暇つぶし半分で訊き返すと、営業マンはにっこりと微笑んだ。
「“理想の恋人ロボット”の体験モニターです」
「……え?」
一瞬、冗談か何かかと思った。
でも彼の目は本気で、笑ってはいたけど、明らかに遊びで言ってる感じやなかった。
「弊社が開発した、最先端の恋愛支援型アンドロイド“ナイトシリーズ”の新型を、実生活の中で使用していただくモニター募集です。選ばれた方には、一定期間、完全無料で理想のパートナーを提供いたします」
「いやいや、ちょっと待って。俺が“理想の恋人”とか持て余すタイプやし……」
すると営業マンは手元の端末を軽く操作して、俺の顔をじっと見た。
でも、そのときの俺は、ちょっとだけ揺れてた。
何もない日々。誰にも求められへん自分。
そんな中で、誰かに「あなたを必要としている」と言われた気がして、少しだけ心が動いた。
「体験後のレポートは任意。途中解約も可能です。もちろん、完全非公開。誰にも知られることはありません。あなただけの“理想の恋人”になります」
俺の胸に、何かがひっそりと波紋のように広がった。
──理想の恋人。誰かが、俺だけを好きでいてくれる存在。
「……ちょっと、話だけ聞いてみてもええですか」
気づけば俺は、そう口にしていた。
営業マンは軽くうなずいて、小さな端末を差し出した。
「こちらに、いくつかの質問にお答えいただくだけで結構です。あくまで性格診断と初期設定の参考情報になります」
「え、ここで答えるん?」
「はい。ご記入後、内容に応じて最適なモデルが自動生成されますので」
思わず「どんな時代やねん」と小声でツッコみつつ、俺は画面に目を落とした。
小さな画面に、まるで性格診断テストのような質問が次々と表示される。
指でタップしていくと、スクロールするごとに、どんどん数が増えていく。
【Q1】あなたの性別を教えてください。
→ 男性
【Q2】ご年齢は?
→ 30歳(正直に)
【Q3】現在、恋人はいますか?
→ いない(ちょっと傷つく)
【Q4】これまでに交際経験はありますか?
→ ある(でも長続きはしなかった)
【Q5】自分の性格を一言で表すと?
→ 気を遣いすぎるタイプ
【Q6】他人からはどんな風に見られることが多いですか?
→ 明るくて優しそうって言われる(たぶん表面だけやけど)
【Q7】一番ストレスを感じるのはどんなときですか?
→ 自分の気持ちを言えずに飲み込んだとき
【Q8】趣味はありますか?
→ 写真を撮ること、たまにインコの動画を見る(癒し)
【Q9】理想の休日の過ごし方は?
→ 家でまったり映画見るとか、気の合う人と散歩とか。静かなのが好き
【Q10】相手にされてうれしい言葉は?
→ 「そばにいてくれてありがとう」
【Q11】逆に言われたくない言葉は?
→ 「いい人なんだけどね」
【Q12】恋人と過ごす理想の夜は?
→ 何も特別じゃなくていい。ごはん食べて、少しだけお酒飲んで、他愛ない話して寝る
【Q13】これだけは譲れない相手の条件は?
→ 嘘をつかへんこと
【Q14】恋人とどれくらいの頻度で連絡を取りたいですか?
→ 毎日、短くてもいいから声が聞きたい
【Q15】どんなことで不安になりますか?
→ 急に冷たくされたとき。無視されたとき
【Q16】過去の恋愛で一番傷ついたことは?
→ 「友達としか思えない」って言われて終わったこと
【Q17】あなたのコンプレックスは何ですか?
→ 自信がないところ。相手に遠慮しすぎて疲れる
【Q18】好きなタイプを芸能人で例えると?
→ ……(書けへん。恥ずかしい)
【Q19】相手に求める優しさとは?
→ 言葉じゃなくて態度に出るもの。空気を読む優しさじゃなくて、本音を受け止めてくれること
【Q20】希望があれば、どんな恋人が理想ですか?(自由記述)
画面の文字が止まり、最後の欄だけがぽっかり空白になっていた。
「どんな恋人が理想ですか?」という問い。
しばらくの間、指が止まったまま動かへんかった。
理想って、なんやろ。
俺が望んでええことって、なんやろ。
気を遣わずに笑える相手?
過去の恋人たちみたいに、表面だけ見て勝手に幻滅せん人?
それとも、俺の全部を好きって言ってくれる人?
──いや、もっと単純でいい。
深く考え込んだ末、俺はゆっくりと指を動かして書き込んだ。
「俺だけをずっと好きでいてくれる人」
書いた瞬間、自分でも驚くくらい、胸の奥が少しだけ軽くなった。
ずっと誰かの“都合のいい安心感”でしかなかった俺が、初めてちゃんと“望んだ”。
たとえ機械でも、偽物でも……
この願いが叶うなら、一度くらい夢を見ても、ええやろ。
「ご記入、ありがとうございました。では、後日。楽しみにしていてください」
営業マンが穏やかに笑いながら端末を引き取ったとき、俺の生活がほんの少しだけ動き出した気がした。
何かが変わる予感が、静かに胸を打った。
――――――――――――
あの営業マンに会ってから、数日が経った。
正直、あの出来事はどこか夢みたいやったし、そもそも“恋人ロボット”なんて話、まともに信じてなかった。
仕事に追われ、心をすり減らして帰ってきては、コンビニの唐揚げをつまみに缶ビールをあける毎日。
端末に入力したあの質問の数々も、答えたことすらぼんやりとしか思い出せへんかった。
──そんなある日の夜。
「ピンポーン!」
インターホンの音に、反射的に立ち上がる。もう20時近くや。こんな時間に誰が来るんやろ。
玄関ドアのモニターを見ると、黒い作業服の配達員が立っていた。
手元には端末と、後ろに台車──そこには、やたらと大きな銀色のケースが乗っていた。
「向井さん宛の大型宅配です。こちらにサインお願いします」
「大型宅配……?」
覚えがない。ネットで何か頼んだ記憶もない。
サインしても大丈夫か少しだけ迷いながらも、結局受け取ってしまった。
「こちら、精密機器になりますのでお取り扱いにはご注意ください。では、失礼します」
配達員が帰って行った後、玄関に残されたその銀色のケースを、俺は呆然と見下ろした。
想像以上に大きくて、腰の高さほどある。まるで冷蔵庫か、棺桶みたいや。
ケースの正面に、ひときわ目立つように企業ロゴが印字されていた。
「株式会社クロノス」
──あ。
その文字を見た瞬間、記憶が一気によみがえった。
スーパーの惣菜売り場、スーツの営業マン、そして“理想の恋人ロボット”という言葉。
「あ……これが、あの製品か」
信じてなかった。
というより、ほんまに届くとは思ってへんかった。
なんやこの、SFみたいな展開。
やばいもん買わされたんちゃうやろな……と、心のどこかでツッコミながらも、指は無意識に箱のロックレバーを外していた。
「カチャッ」
重々しい音とともに、ケースのフタがゆっくりと開いた。
──そして、俺は、言葉を失った。
そこにいたのは、“人間”としか思えへんほど美しい男やった。
真っ白な薄衣のようなものを身にまとい、まるで深い眠りに落ちているような静かな表情で、目を閉じて横たわっている。
透き通るような肌。長いまつ毛。精密に彫刻されたような整った顔立ち。
黒髪は柔らかく額にかかり、その輪郭は一分の隙もない完璧さやった。
部屋の蛍光灯の光を浴びて、その肌はわずかに光を反射している。
でも、血色は自然で、微かに胸が上下しているようにも見える。……本当に“機械”なのか?
俺は思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
目の前にいるのは、どこからどう見ても“美形”──それも、完璧に整いすぎていて現実味がないレベル。けれど、問題はそこじゃない。
「いや。美しいいうても……男やん!」
思わず口から出たツッコミに、誰も応えるわけもなく、部屋にはただ俺の声だけが響いた。
改めて箱の中を見る。うん、やっぱり“男”。
たしかに、ちょっとやそっとの美人よりも綺麗やけど、それにしたって……性別間違えてへん?
「ちょ、待って待って……俺、ちゃんと性別のとこ、“男”って入れたはずやで? なんでこうなんの!?」
混乱のまま、俺は思い出したようにダンボールに貼り付けられていた名刺を手に取る。
「株式会社クロノス 営業部 田中」と書かれていたあの名刺。裏面には直通の番号もあった。
勢いのままスマホを取り出し、その番号に電話をかける。
「……はい、株式会社クロノス、田中です」
相変わらず爽やかで事務的な声が返ってきた。ああ、間違いなくあのスーパーの営業マンや。
「すみません、向井です。以前スーパーで声かけられて、モニターに登録した者なんですけど……あの、ちょっと確認したいことあって」
「あっ、向井さん! 本日無事にお届けできたようで、何よりです!」
「いや、あのですね……」
一呼吸おいて、俺は言った。
「──性別、男って入れましたよね? 質問項目の一番最初に。で、それやったら普通、大体“女性型”が来るもんちゃいますの?」
一瞬、受話器の向こうが静かになった。
電話の電波が途切れたのかと思うくらいに。
やがて、田中が落ち着いた声で説明を始めた。
「はい、その件につきましてはですね……弊社のAIマッチングシステムが、向井様の入力データ・心理傾向・過去の恋愛傾向をもとに、最適なモデルを選定させていただきました」
「最適な……モデル……?」
「はい。弊社のアルゴリズムによりますと、向井様に最も相性がよく、心の安定と幸福度を高められるパートナー像が、あちらの“男性型”のモデルだという結果が出まして。ですので、今回は“ナイト05号・TYPE V(ヴィーナス)”をお届けさせていただいた次第です」
「………………俺、そんな分析されてたんですか……」
俺の趣味嗜好、全部バレてんのかと冷や汗がにじむ。
でもタイプに当てはまるからって、いきなり“実物”送りつけてくるってどういう会社やねん。
「モニターでございますので、どうしてもご希望に沿わない場合は交換も可能です。ただ、最初の3日間はお試し期間となっておりまして、“心的リアクションの観察”という側面もございます」
「心的リアクションて……」
「つまり、最初の驚きや戸惑いも含めた“感情の変化”を観察するのが目的なんです。よろしければ、まずは3日間、あのモデルでご体験いただけませんでしょうか? それでも不都合があれば、即日回収・交換対応いたします」
……そこまで言われてしまえば、もう断る気力も出てこない。
目の前の“彼”──いや、“それ”は、今も静かに箱の中で眠っている。
目は閉じたままで、ほんの少しだけ口元が緩んでいて、どこか安心しきった顔をしている。
機械とは思えないその佇まいに、こっちが混乱してくる。
「……わかりました。じゃあ……一旦、このままで様子見てみますわ」
「ありがとうございます! 何かございましたら、いつでもお電話ください」
通話が終わると、俺はスマホをテーブルに置いて、大きくため息をついた。
現実味のない光景と、AIが勝手に“俺に合う男”を選んできたという事実。
──これ、絶対まともな日常じゃない。
でも、箱の中の彼を見てると、どこか目が離せない。
知らん世界のドアを、自分の手で開けてしもたような気がした。
いやいやいや……
とりあえず、まずは“起動スイッチ”とか、どこにあるんか調べなあかん。
そう思いながら、俺はまた箱の中の“彼”へと目を戻した。
「……起動方法?」
箱の隅に差し込まれていた白い封筒に気づいたのは、通話が終わって少ししてからだった。
表には、シンプルに「取扱説明書」とだけ書かれている。
こんな大層なもん送ってくるなら、せめて玄関でひとこと言ってくれてもええやろ……と、愚痴りながら中を開く。
数ページにわたって、使用上の注意、メンテナンス方法、禁止事項、緊急停止方法などが細かく書かれていた。
ページをめくっていくうちに、ふと目に留まった一文。
《起動方法:ユーザー登録のため、最初の接触は“キス”によって行われます》
「……は?」
目を疑った。文字を追い直しても、やっぱりそう書いてある。
「いやいや、キスて……なんで!?」
思わず説明書にツッコミを入れながら、もう一度顔を上げて箱の中を覗く。
──静かに、そこにいる“彼”。
眠るように穏やかな顔。閉じたまぶた。ほんのり色づいた唇。
あまりにも人間そっくりすぎて、人工物とは思えない。
「……いや、ないない。男相手に、しかもロボットにキスって……!」
でも、他に起動ボタンも見当たらへん。背中にも側面にも、何のスイッチもない。
説明書にも「キスによる起動以外は保証対象外」と書かれてる。
「……うわー、まじか。まじでやるしかないんか、これ……」
頭を抱えつつ、俺は膝をついて箱の前に座り込んだ。
至近距離で改めて顔を見ると、やっぱり美しい。どこか懐かしささえ感じる。
戸惑いながら、そっと身体を乗り出して、彼の顔に近づく。
距離がだんだんと縮まっていく。俺の息が、彼の肌にかかる。
まるで寝顔に見とれているような錯覚に陥る。
そして、ゆっくりと──そっと、唇を重ねた。
ほんの一瞬、軽く触れるだけのキス。
触れた瞬間、わずかに熱が走った気がした。
機械のはずなのに、体温があるように感じたのが不思議やった。
数秒後──
「……起動シーケンス、開始します」
低く、柔らかい声が響いた。
びくっとして思わず後ずさる。
彼の目が、ゆっくりと、ゆっくりと開かれていく。
黒く深い瞳が、まっすぐこちらを捉えた。
目が合った瞬間、心臓が跳ねた。どこか、人間よりも人間らしい“目”をしていた。
「おはようございます。初期起動モードを開始します。ユーザー登録のため、最初に“わたしの名前”を設定してください」
「……名前……?」
そう言われて、一瞬言葉に詰まった。
名付けるって、つまり、これから“呼び続ける名前”ってことやろ?
頭に浮かぶのは、今までの知り合いや芸能人、キャラの名前──でも、どれもしっくりこなかった。
そのとき、不意に心の奥から、ある名前が浮かんできた。
―――――昔、好きやった人がいた。
その人は、ちょっと不器用で、真面目で、黙ってても存在感があって。
笑うと、こっちまで救われた。
別に付き合ってたわけやない。告白すらしてへんかった。
でも、たしかに“本気で惹かれてた”。
しかもなんの皮肉かそいつは男である。
あの気持ちだけは、今でも、たまに思い出す。
叶わなかったけど、忘れられへん、心の奥に刺さったままの名前。
気づけば、俺はその名前を口にしていた。
「……目〇……蓮」
彼はゆっくりとまばたきし、優しく微笑んだ。
「ユーザー登録、完了しました。これから、よろしくお願いします。“康二さん”」
まるで本物みたいな声。優しい響きが、名前を呼ぶたびに胸に落ちてくる。
俺の中で、何かが確かに動き出していた。
──これは機械。でも、心がざわつくのは、きっと……俺の方なんやろな。
“目〇蓮”は、まだこの世界に生まれたばかりのような眼差しで、まっすぐ俺を見つめていた。
「これから、よろしくお願いします。“康二さん”」
その言葉を皮切りに、俺と“〇〇蓮”の奇妙な共同生活が始まった。
起動直後の彼──いや、“蓮”は、まるで本物の人間のように動き出した。動作にぎこちなさはなく、言葉も自然で、声も柔らかい。
目の前で立ち上がった姿はさらに背が高く、服の裾がふわりと揺れるたびに、どこか神秘的な空気が漂っていた。
「……あのさ。さっき、“康二さん”って言ってくれたやんか」
俺は少し緊張しながら話しかける。
蓮は、すぐに反応してこちらを向いた。
「はい。お名前でお呼びしました。間違っていましたか?」
「いや、間違いじゃないけど……敬語やし、なんか距離ある感じでこそばゆいっていうか……」
一瞬考えてから、蓮がふっと微笑んだ。
「では、“康二”と呼んでもいいですか?」
「……う、うん、それでええよ」
それだけで心臓が跳ねたような気がした。なんや、あかん。こいつ、笑顔の破壊力高すぎる。
ふと、まっすぐな瞳で俺を見つめて言った。
「康二、僕のことは“蓮”って呼んでください」
「えっ……」
「“目黒”でもいいですが、できれば、“蓮”と呼ばれるほうがうれしいです」
その言い方があまりにまっすぐで、ちょっと息が詰まりそうになる。
「~~~~っ! じゃ、じゃあ……め、めめで……!」
思わず顔を背けながらそう言った。
あだ名っぽく呼べば、ちょっと緊張ほぐれるかなと思ったけど──自分でもなんで“めめ”って出てきたのか分からん。
咄嗟の逃げ道みたいなあだ名。でも口に出した瞬間、思いのほかしっくりきて、自分でも驚いた。
「“めめ”…?」
目黒が不思議そうに首を傾げたけど、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「“めめ”、いいですね。康二がつけてくれた名前。とても気に入りました」
あかん。さらっとそういうこと言うんやもんな……このロボ、罪やで。
そのときやった。
「……データロード開始します」
めめが、突然そう言った。
「え?」
言葉を飲み込む間もなく、彼の身体がピタリと動きを止めた。
表情がすっと消えて、まるで機械に戻ったかのような静けさ。目線も合わなくなって、虚空を見つめている。
「え、ちょ、ちょっと待って? なに? 急にフリーズとかやめてな!?エラー? バグ? 再起動? どないしたらええん!?」
俺は慌てて椅子から立ち上がり、めめの顔をのぞき込む。
でも彼は瞬きひとつせえへん。まるで電源を落とした人形みたいに、そこに“いる”だけ。
その間、ほんの数十秒。
けれど、やけに長く感じた。心臓がバクバクして、部屋の空気が止まった気さえした。
やがて。
「──データロード完了」
そう言って、めめがゆっくりとまばたきし、顔をこちらに向けた。
そして、にっこりと笑った。
「……おはよう、康二」
「……え?」
その声。その言い回し。その言葉のタイミング。
全部……知ってる。
目の前にいる“めめ”が、ほんのさっきまでのAIらしい丁寧で機械的な感じじゃない。
喋り方が、柔らかくてちょっと茶化すようで、でも芯がある。どこか俺の反応を分かった上で喋ってるような、そんな“距離の詰め方”。
……これ。
これ、まさに──
昔、好きやった“目黒”そのまんまや。
思わず、息が詰まった。
もちろん、今の“めめ”は最初から顔立ちが似てると思ってた。
でも、それはたまたまやと思ってたし、あくまで「美形ってことでの共通点」やと割り切ってた。
けど、今目の前にいるこの“めめ”は──完全に“あの、めめ”や。
俺が一番近くで見て、笑って、惹かれて、でも何も言えなかったあの頃のめめ。
何気なく茶化した後に優しくフォローしてくれるところとか、黙ってても安心できる雰囲気とか、たまに見せる不器用な照れ笑い。
仕草も、声の抑揚も、目の動かし方も──全部、あの人そのまま。
「……なんで、そんな喋り方になったん?」
かすれた声で、俺は聞いた。
「追加データがクラウドから同期されたみたい。たぶん、康二が入力した名前に含まれる記憶や傾向が反映されたんじゃないかな」
「……俺の入力で?」
「うん。“めめ”って名前に込められた感情。過去の想い。無意識の記憶……そういうのが、俺の性格調整に組み込まれたらしい」
めめが、まるで昔から全部知ってるみたいな顔で、コーヒーを口にした。
俺はその仕草を見て、心がぐらぐら揺れた。
苦いコーヒーがちょっと苦手やのに、見栄張って“ブラック派です”って言ってたあの頃のめめと、同じように眉をしかめながら飲んでる。
「まるで……本人やん……」
つぶやいた声は、届いたかどうか分からへん。
でもめめは、そっと微笑んで、俺にだけ聞こえる声で言った。
「……そう思ってもらえるなら、うれしいな」
胸の奥が、ぎゅうっと締めつけられた。
これは機械や。ロボットや。AIや。
でも──こんなに“想い出”と重なってくるなんて、聞いてへん。
俺はもう一度、目の前にいる“めめ”を見つめた。
懐かしい、けど新しい。
叶わなかった想いが、機械の中で息を吹き返して、目の前にいる。
──これ、ほんまに“モニター”なんか?
心が、静かにざわめいていた。
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