「ゴワゴワして痛いかもしれないですが、少しの間辛抱してくださいね」
言いながら当てたラップの四辺をテープで密閉するみたいに綺麗に留めて。
「傷口にはガーゼを当てたりせず、こんな風にラップで保護する方が治りが早いし綺麗に治るんだそうです。家に帰ったらちゃんとした傷口用の湿潤パッドに貼り替えましょうね」
建設業という仕事柄、怪我をする人も少なくないからと、宗親さんはそういう知識も普段からしっかり学ぶようにしておられるらしい。
私は、指輪を奪われてしまったのにちっとも責めていらっしゃらない宗親さんに、段々不安になって。
さっきまであんなに怒っていらしたのにまるでそれを押し隠すみたいに傷の手当ての事ばかり仰るのも気になった。
「宗親さ、……私に……怒って……お、られない、んですか?」
恐る恐る問い掛けたら、小さく吐息を落とされて泣きたくなってしまう。
私は宗親さんの一挙手一投足、彼の反応の全てにビクビクしている自分に気が付いた。
「何で僕が春凪に怒らなきゃいけないの? 春凪は悪いことなんてひとつもしていないのに」
とても静かな声音で告げて、私をじっと見下ろすと、「まぁ、キミをこんな目に遭わせた男には、はらわたが煮え繰り返るほど憤りを覚えていますけどね」と怒気を滲ませる。
一瞬だけ宗親さんの視線が物凄く鋭くなったのを見てしまった私は、ビクッと身体をすくませた。
今まで散々腹黒スマイルを浮かべる宗親さんにゾクゾクさせられてきたけれど、いまの彼はそんな生やさしい空気を纏ってなんていなかったから。
不安の余り、宗親さんをじっと見つめたら、宗親さんの視線が着衣の乱れを隠すためにギュッと握りしめたままの私の胸元に流されて。
「――春凪、ちょっといい? ボタン……」
そんな声とともに彼の手がこちらに伸びてきたから、私は思わず身体をすくませて丸まった。
宗親さんは、私には怒っていないとおっしゃったのに、完全に彼の空気感に呑まれて、何か乱暴なことをされるんじゃないかと怯えて。
宗親さんが私にそんなことするはずなんてないと頭では分かっているのに、さっき康平に酷い目に遭わされた事が、心の片隅でずっと澱のように停んで、私をいつまでも離さないの。
宗親さんはそんな私の様子に伸ばしかけた手を宙空で躊躇いに揺らせると、グッと拳を握り込んでから、気遣うようにやんわりと私を抱きしめた。
「宗、親、さ……?」
その身体が小さく震えているのに気が付いた私は、抱きしめられたまま宗親さんを恐る恐る見上げる。
「――ごめんね、春凪。僕がキミを一人にしたばっかりに」
宗親さんの声が今にも泣き出しそうに聞こえて。
私は彼の腕の中で一生懸命首を横に振った。
「宗親さ、んはっ、悪く、な……ぃ、ですっ。宗親さ、が来て下さ、って……私、本当に嬉しか、ったし、ホッとし、たんです……! ――だって、あ、のまま、だった、ら、私、きっと……」
無意識にそこまで言って、康平がいやらしく胸に触れてきたのを思い出した私は、身体を震わせながら肌蹴たままの胸元に添えた手にギュッと力を込めた。
「宗親さ、私、……あの人に触ら、れたところが、全、部……気持ち悪、い……。お、風呂、……入り、たい……」
そう口走った後、今からほたるが来て、彼女の恋の後押しをする約束だったのに。私は何て自分勝手なことを言ってるんだろう、って頭の片隅に引っ掛かって。
「あ、でも……ほた、る……」
うまく考えが整理出来ないままに、頭に浮かんだことを次々と脈絡なく口に乗せたら、宗親さんが私を抱く腕にギュッと力を込めた。
「こんな時なのに、キミは友達のことを気にしちゃうんだね……」
宗親さんは吐息混じりに、でもとても愛し気にそう落とすと、私から少し離れてスマートフォンを操作なさって。
「今、タクシーを呼びましたので、とりあえず外に出ましょう」
「でも……」とおろおろソワソワする私に、「大丈夫ですから、僕に任せて?」と優しく微笑むと、再度私を横抱きに抱え上げて、店内に続く入り口に向かう。
私は宗親さんの腕の中、ギュッと服の胸元を握りしめたまま、呆然とそんな彼を見上げることしか出来なくて。
「明智、僕も春凪も帰らないといけなくなりました。――ほたるさんがいらしたら、いい加減ガツンと男を見せてください。動かないまま後悔したくないなら次に会う時までに良い話を僕と春凪に聞かせるように頑張るべきです。――いいですね?」
有無を言わせぬ口調の中に〝動けば『良い結果』になる〟のだと含ませて、宗親さんは「え、ちょっと待て、織田っ!」と呼びかける明智さんを無視して、店のドアを潜ってしまった。
「あれだけ発破を掛けたんです。いくら奥手な明智でもさすがに動くはずです。長い付き合いの僕が言うんだから間違いない。――だから春凪、どうか安心して家に帰りましょう? お願いだから自分を癒すことだけ考えて?」
宗親さんの言葉に思わずホロッときて視界がにじみ掛けた私は、慌てて彼から視線を逸らせる。
それでも私のために宗親さんが色々気遣ってくださっているんだと、切なくなるくらい伝わってくるから。
堪らなく嬉しくて、胸がキュッと締め付けられる。
「……あ、りがとぉ、ございます」
それだけはどうしても伝えなきゃいけないと思って、うつむいたまま震える声を必死に抑えながらお礼を言ったら、頭にふんわりと軽いキスを落とされる気配がした。
***
「だ、大丈夫です。ちゃんと歩けます」
タクシーで家に帰り着いて、車から降りるなり、また私を抱き上げてくれようとする宗親さんに、私はフルフルと首を振って自分の足で立った。
足の曲げ伸ばしで少しピリッとした痛みは走るけれど、両膝を擦り剥いたくらいで、いつまでもお姫様抱っこは恥ずかしい。
大体、経緯がショックだっただけで、怪我自体はそんなに大したものではないのだ。
それこそ子供の頃にはしょっちゅうやっちゃったような……その程度の擦過瘡。
それに、このマンションには二四時間体制でコンシェルジュがいるんだもの。
家を出るたびに顔を合わせないといけないその人たちに、お姫様抱っこで登場!なんて、結婚式さながらのパフォーマンスは見せられないじゃない。
そんなことを思いながら、すぐそばの宗親さんの様子を窺うように見上げたら、何だかすごく寂しそうな顔をした彼と目が合ってしまった。
途端、何とも言えない罪悪感に包まれた私は、ちょっとだけ考えて、「でも……腕は貸して頂けたら……嬉しい……です」と小声で付け足してみる。
宗親さんは「お安い御用です」と即座に応えると、私の手を半ば強引に自分の腕に引き寄せた。
「僕に全体重預けてもらって構いませんからね?」
その声にふと顔を上げた先。
宗親さんからこれ以上ないと言うくらいの優しい笑顔を向けられて、私は胸元を掴んだままの手にギュッと力を込めて、思わず彼から視線を逸らした。
コメント
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宗親さん、本当に優しい😊