今まで両親と俺の3人暮らしだった家に琴子が同居するようになって4カ月が過ぎた。
まだお互いに遠慮はあるものの、彼女がいるだけで家の中が華やいでいる気がするのは俺だけだろうか。
それだけ俺の中で琴子が大切な存在になっているってことだろう。
そんな中、昨夜は10時を回っても琴子が帰ってこなかった。
友達に会ってくると母に連絡はあったようだが、さすがにこれだけ遅くなれば心配にもなる。
俺も仕事を片付けながら琴子の帰りを待っていた。
時刻は10時40分。
さすがに遅すぎるだろう、メールでもしてみようかと思った時、
ブーブーブー
見知らぬ番号からの着信。
怪しみながらも、俺は電話に出た。
「もしもし、平石専務ですか?突然すみません、坂井翼です」
思いもしない人物からだった。
「どうした?」
プライベートで使っている電話の番号はごく親しい人間にしか伝えていない。
もちろん坂井にも教えた覚えはないが・・・
「あの、この番号は立花麗に聞きました。実は今藤沢と一緒なんですが、かなり体調が悪いみたいでして」
「琴子が、どうかしたのか?」
体調が悪いなんて話は聞いていなかった。
「詳しい事情は分かりませんが、酒に薬を混ぜられたみたいで・・・」
とても言いにくそうに話す坂井だが、聞いた俺の方が絶句してしまった。
「もしもし専務?大丈夫ですか?」
「ああ。それで、琴子は今どこにいる?」
とにかく琴子の状態を確認しないことには始まらない。
もし外にいるのなら迎えに行くつもりで居場所を聞いた。
「実は、お宅の近くまで車で来ています。このまま連れて行った方がいいですか?何なら、今夜は俺の家に泊めて明日の朝送りますが」
「いや、このまま連れてきてくれ。玄関まで出ているから」
「わかりました」
このまま一晩、坂井に琴子を預けるなんてとんでもない。
琴子の無事を確認しないことには心配で眠れない。
とにかく連れてきてくれと電話を切り、俺は部屋着のまま門の前で到着を待つことにした。
***
玄関の外に出から5分ほどで、車は到着した。
「こんばんは」
運転席から坂井が降りてくる。
車内を見ると、琴子が後部座席に寝かされているようだ。
「何があった?」
俺にしては珍しく、強い口調になった。
「詳しい事情は分かりませんが、どうやら薬を盛られ動けなくなったようです。今は酔っぱらって眠っていますので、危ない薬ではないと思います。僕は藤沢からの連絡で駆けつけて、ホテルへ連れ込まれる寸前のところを間一髪で救出しました」
今夜起きたことを説明する坂井の話を聞きながら、俺は背筋が凍るような思いを味わった。
坂井が助けてくれなければどうなっていたか、想像するだけで恐ろしい。
「なんて無茶なことを・・・」
無意識のうちに口を出ていた。
どんな事情があってこうなったのかはわからないしが、琴子をこんな目に合わせた奴を俺は絶対に許さない。
「あの、専務は谷口美優さんをご存じですか?」
なんだか意味ありげに、坂井が尋ねてきた。
「ああ、知っている」
いきなり出てきた名前に不思議な気はしたが、隠すこともないだろうと答えた。
谷口美優はモデルで、谷口物産の娘。
個人的に親しいというわけではないが、彼女の父親である谷口物産の社長から縁談を打診されているのは確かだ。
彼女の方はその気があるようで、俺に会いたいと何度か会社を尋ねてきてはいるが、俺はまだ返事もしてもいないし、ましてやお見合いをした訳でもない。
「麗の話によると、彼女が琴子に連絡を取りたがっていたらしいんです。もしかしたら、今日会っていたんじゃないかと思います。それ以上の事は本人でなければ分かりませんが」
なるほど、そういうことか。
会社では琴子がうちに住んでいると公表していないが、少し調べれだわかることだと思う。
谷口物産か、谷口美優本人かはわからないが、琴子との存在を知って何か行動を起こしたのかもしれないな。
それにしても、なぜ俺に話してくれなかったのか。
スヤスヤと眠る琴子を前に、俺は憤りさえ感じていた。
***
「運びましょうか?」
後部座席のドアを開けた坂井が、琴子と抱え上げようとする。
「いや、いい。俺が運ぶよ」
俺は坂井を止めて、琴子を抱えあげた。
たとえ酒井にでも、琴子を託したくはない。
出来ることなら他の人間には指一本触れさせたくはない。
「坂井、悪かったな。助かったよ」
本当に坂井がいなければどうなっていたか。
「いえ、俺も先日は専務に助けていただきましたから」
遠慮気味に頭を下げる坂井。
ああ、そうだった。
彼を尋ねてやって来たガラの悪い訪問者の件で、助けてやったんだ。
「その後、大丈夫なのか?」
「はい。知り合いの弁護士にも入ってもらって、彼女の借金も無事に返済できたそうです。お騒がせしました」
「いや、解決できて何よりだ。これから保証人になる時には注意することだな」
「はい」
あの後、坂井について少し調べさせた。
大学の成績も入社試験の評価も高く優秀な人間のようだが、家庭の事情はかなり複雑だとの報告を受けた。
もちろんそれは彼の個人的な問題で俺がとやかく言うべきことではないのだが、琴子の友人としては個人的に心配ではある。
「まあ、これでお互いさま。この間の件は帳消しだな」
「・・・ありがとうございます」
その後、俺が琴子を連れて家に入って行くのを見送った坂井も帰っていった。
***
家に帰った俺は、琴子をベッドへと運んだ。
当然母さんも起きてきたが、どうやら飲み過ぎてしまったらしいと説明すると深く追求することもなく納得してくれた。
ぐったりとして目を閉じたまま起きる様子もない琴子の着替えを母さんに頼み、俺は書斎の戻って史也に電話を入れた。
「すまないな、こんな時間に」
「いえ、どうかしましたか?」
深夜遅くにかかってきた電話に、史也の声も緊張気味だ。
「明日のスケジュールで動かせるところはすべて動かしてくれ」
「何かあったんですか?」
「琴子が寝込んでいる」
はあ。
史也の溜息が聞こえた。
きっと過保護な俺の過干渉とでも思ったのだろうが、事態はそう単純なものではない。
「悪いが、今夜谷口美優が誰とどこで会っていたのかを調べてほしい。それと、明日中に谷口物産の社長を呼んでくれ。断るようなら、取引を切ってもいいんだぞと脅しても構わない」
「専務、一体何があったんですか?」
俺のただならぬ様子を感じ取った史也が、説明を求めている。
人に話すようなことでもないが、史也に黙ったままってわけにはいかないだろう。
俺は、今夜の件を当たり障りのないところだけかいつまんで話した。
「なるほど、それは大変でしたね。スケジュールは調節します。谷口社長との面談には弁護士を呼びますか?」
「いや、あまり大事にしたくない」
「分かりました」
珍しく不機嫌な俺に、史也もそれ以上は口を出さない。
剛腕で俺にだって厳しい意見を言う史也だが、やはり優秀な秘書だ。
こういう時は本当に頼りになる。
俺は「悪いが頼んだぞ」と電話を切って琴子の元に戻った。
***
琴子の着替えが終わった母さんに、後は俺が見ているからと言って交代した。
この様子なら朝まで起きないだろうと思うが、少しでも様子がおかしいようならすぐにホームドクターを呼び出すつもりでもいる。
薬物をなぜられたと聞いた時には随分心配したが、呼吸も安定しているしただ酔っぱらって眠っているように見える。
坂井から聞いた話でもすぐに医者を呼ぶ状態とも思えなくて、様子を見ることにした。
何よりも、大騒ぎになることを琴子自身が望んでいないような気がして、今夜一晩は俺が付き添うことにしたのだ。
ブブブ。
史也からのメッセージだ。
『明日は午前中いっぱい時間を空けました。谷口社長は11時半に来社されますが、多少はお待ちいただくつもりですので気になさらずゆっくり出社してください。谷口美優さんの行動についてはもう少々時間をいただきます』
こんな時間だというのにさっそく動いてくれたらしい史也に感謝しつつ、俺は琴子の部屋のソファーで横になった。
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