Ωには生きる居場所がない。
何十年生きてきて見つけた答えがそれだ。好奇の目に晒され、差別を受け続ける。Ωだという
だけで、蔑ろにされる。それは実力主義で、縦社会な極道でも適応されており、Ωだというだけで上のおもちゃになる奴もちらほらいた。そんな中、自分だけは正常でいようと、性を理由に判断されないようにと、今日この日まで必死に生き延びてきた。薬漬けにされた同胞を見て何度吐いたことか。うなじを晒し続ける恐怖を何度味わったことか。数えるのも馬鹿らしい。
しかし、好きになってしまった。
運命のイタズラかその男の性はα、悪魔と罵られ、敬われる畏怖の対象。破天荒な性格であると同時に周囲の人々を惹きつけるカリスマ性を待ち合わせる。文句の付けようのない、強いα性。虜になるには充分過ぎた。勿論、彼の周りには、自分にはない魅力を持つΩたちで溢れかえっていた。そう勝てるわけがない。
「好きです」
結局、たった4文字が伝えられぬまま兄貴には番ができた。噂で聞いたところ、相手は華奢で美しいキャバ嬢らしい。
別に、最初から両想いになれるなんて期待はしていない。ただただ、好きだった。好きだったんだ。
ある日、闇金からの回収を終えて 帰ってきた小峠はご機嫌であった。以前から闇金に目をつけておけと命令していた顧客の親戚が亡くなり、莫大な資産の一部が入ったのだ。 「小峠さんの言う通りだった」「遺産と家がそっくりそのまま入る。」そう闇金たちは、小峠を褒め称え、小峠自身も 想定外の収入に舞い上がった。だが、良い事はそう続かない。 調子にのった罰なのか、いつも胸ポケットに入れていた抑制剤を何処かへ置いてきてしまった。
どんなに後悔しても、あとのまつり。小林の兄貴と目が合ったことも急に来たヒートもナシにならないし、今ドアを力強く引っ張る力には勝てない。次第に力が抜けてゆき、下着におかしな感触が伝わる。触ってみると、それは半強制的に発情期を迎えたことを知らせる愛液であった。
ドアノブをうまく掴めず、ずるずると地面に膝をつく。それを好機と見たか、小林は、小峠を事務所に引き入れ、床にうつ伏せの状態で寝転ばした。うなじを噛まれないよう、咄嗟に後ろで腕を組み首を隠すと、面白くなさそうに唸る声が聞こえた。
「こ、ばやし、のあにき…!、おれです、、小峠です。ぅ、あ、噛んじゃためっ」
噛まれてはいけない。噛まれたら兄貴を不幸にさせる。
しかし、解かれ固定された手では、隠し切ることが出来ず、うなじはぷつりと悲鳴をあげた。感覚が麻痺したのか痛みはなく、あるのは、所有物となった多幸感と焦り。これはいけない。最後の力をふり絞り携帯に手を伸ばし、自分の本当の性を知っている野田の兄貴へ連絡したところで小峠は気を失った。
小林の兄貴との件は、流石に隠し切れず親っさんと一部の幹部たちにだけ打ち明けた。意外にも「いつ弱みになるか分からないパートナーを抱えるより、小林の兄貴がパートナーであるほうが数倍良い。」という意見が多く、 わざわざ解消のリスクを取らずとも、三ヶ月に一回、発情期をやり過ごせれば、仕事に支障は出ないだろう。という判断が下された。小林は荒れに荒れた。だが、極道の世界、親父さんが白といえば白なのだ。
怒りの矛先がこちらにいつ向くのかと内心ヒヤヒヤしが、それも 杞憂に終わった。
俺は目にさえ入れて貰えないのだから。
天羽組は基本、任侠あっても常識がない集団である。カンナを人を削る道具だと勘違いしている奴が多々いるのが最たる例だろう。小林の兄貴も漏れなく当てはまり、αβΩについて何も知らなかった。前にΩの彼女持ちの舎弟が言っていた、「抑制剤って意味あるんスか?」発言とタメ張れるレベルだ。頭が痛い。
無論、番になったΩ特有の巣作りいや、番の仕組みさえ知らない。番とのスキンシップがないと、情緒が不安定になることも。無理矢理解消されたΩの末路も。何度も講習の時間を取ろうとした。キスとまではいかないが触れ合いの時間を設けた。しかし、兄貴は現れなかった。めんどくさいという理由で突っぱね、夜の街へ。番を何だと思っているんだ、そう言いたいところだが、あくまで事故で出来た番。兄貴を引き留める資格はない。胸の痛みを奥へ底へと押し込んしているうちに、とうとうその日がやって来てしまった。
熱にかかったような重い身体を持ち上げ、薄くフェロモンの香りのする方へ歩く。深夜、事務所を尋ねると、案の定誰もいない。安堵し、小林の兄貴のデスクを漁る。探しても探しても本来あるはずの使用済みの服が置いて無い。
「あんなに言ったのに、用意してくれないんですね…」
兄貴にとってどれだけ自分が邪魔な存在なのか再確認させられる。 仕方がなくマグカップ、お菓子のゴミ、文房具など目についたものを手に取り、そそくさと退散した。
次に向かったのは、天羽組の支配下にあるホテルの一室。整えられたベッドにいっぱいのバスタオルを引いたのは、小峠華太の理性のかすかなの抵抗だ。柔らかなそこにスーツのまま胎児のようにまるまり、下腹を抑えて、小林の兄貴との繋がりを抱き寄せる。白の小さなトートバッグに入ったそれらからマグカップを取り出し、軽くはむ。コーヒーの味がしないほど、強い兄貴の香りが口いっぱいに広がり、ゆらゆらと宇宙空間にいるような幸せが一気に押し寄せてきた。もっと味わいたい、兄貴の手が触れた取手も唇が触れた縁も。擬似絶頂に浸っていると、小峠は、本来の目的を思い出したかのようにバッグをひっくり返し、雑貨を几帳面に並べ始めた。
巣を作り、番を招く行為。鳥の巣作りと似ているそれは、Ωの性格が現れる。小峠にほどの真面目で几帳面な男には、今の状況での巣作りは大変過酷であった。
「ちがう」
上手く作れない。普段なら、「材料不足」と割り切れたはずだ。しかし、今は発情期中。いつの間にか、目標は「小林の兄貴に手間をとらせず発情期を終わらせること」から「小林の兄貴に立派な巣を見せること」に変わっていった。目の前にある巣は兄貴に見せられるようなものではない。まるで鳩の巣だ。
脳は分かっていても身体が追いつかず、一度決壊した涙腺が治ることはなかった。どうせこの階の部屋は全て予約済みだ、存分に泣いてしまえばいい。
「こばやしのあにき、たすけて」
返事は返ってこない。どんなに泣き喚いてもここには1人しかいない。
「あにき、あにき」
寂しくて、下っ腹が疼く。Ωの性に抗えない自分が嫌いだ。兄貴を優秀なαとして見ている自分が嫌いだ。
「ごめ、んなさい、好き、すきに、な”ってごめんなさい…っ、く」
好きだからこそ邪魔にはなりたくない。
それは自己満足であり、エゴであると分かっているのに、最後まで兄貴とって良い人でありたくて、自分自身を傷つけ続けるのだ。
こんなことなら、好きにならなければ良かった。
がちゃ
突然、人払いしたはずの部屋に響く。
「やっと見つけた」
振り返らずとも分かる、小林の兄貴だ。
「華太。急に居なくなるからびっくりしたよ。事務所に行ったら、すげーニオイするからさ、辿ってきちゃったよ」
兄貴が近づいてくる。比べものにならないほどの強いフェロモンが、鼻腔を占領する。欲しい。ほしい。恐怖と期待が入り混じる中、変わらぬ事実が小峠を現実に引き戻した。
そうだ、兄貴はかのじょがいる。
「…っち、近づかないで、ください。いま、は、しょうきじゃ、ない、、きっとこうかい…」
「ああ、これが巣作りか〜」
こっちのことはお構いなしにベッドへ乗っかると、兄貴は、出来損ないの巣をじっくりと見る。そしてマグカップへと手を伸ばす。
「ッ、返して!、かえしてっ、かえしてっ」
「なあ、本物がいるんだったらこんなの要らないだろ?」
ぱりん
「あ…、ああ」
「辛いだろ、今、抱いてやるよ」
それさえも、奪っていくのですか。
そもそもマグカップは小林の物である。だから、それをどう扱うかは小林の自由だ。小峠も頭では理解していた。だけど、小峠は少ない巣の材料の中でも大きく、匂いの強い、自分の宝を壊した彼を許せなかった。
結論から言おう。兄貴に迫られ、絶体絶命の中、ついカッとなって兄貴を窓の外に投げた。巴投げだ。どこにそんな力が残っていたのやら、極め付けは、
「ふざけないで、ください。俺で遊んでるんでしょ?、だから、思わせてぶりな態度、とって。ッッ早く、あのキャバ嬢と一緒下さいよ、じゃないと、あにきを、あきめられない」
と鼻声まじりに本音をぶちまけた。雰囲気に流されなかった自分を褒めてやりたいよ。本当に。流石に窓を覗く勇気はなく、鈍い音がした後、取り敢えずトイレへ駆け込んだ。
投げたことは、置いといて。明日からどんな顔して兄貴に会えば良いのだろうか。謝るか?いや、あんなことされて怒らないほうが変だろ。色々考えていると、ふと山積みされたトイレットペーパーが目に入る。微かに揺れてる…?
「かぶと」
過去1番情けない声が出た。確かに投げた、投げたはずなのに。死んではいないと思っていた。が、まさか登ってくるとは思わないだろ。10階だぞ。
「あーあ、全然効果ないじゃん。せっかく同伴してやったのに」
「兄貴たちにも闇金たちにも根回しさてさ、結構苦労したんだぞー。番になるの」
そう告げると、兄貴はドンドンとドアが外れる勢いで叩いた。言っている 意味が分からない。何故番になる必要がある。 発情期でこんがらがった頭など使い物にはならない、とりあえず逃げなくては。
みし
今の音は何だ?
「かーぶとクン。今すぐ出てこないと、ドアノブぶっ壊すぞー」
これは、俺が我慢強くないとか、泣き虫だとかでは断じてない。その場にいない奴が味わえる恐怖ではない。俺は無意識のうちに扉を開けた。
「こ、小林のまず、質問させてください」
「んー?」
「小林の兄貴って、番いましたよね。あの小柄な…それに、巣づくりに必要な服、置いてくれませんし、俺のことはどうでもいいのでは…
刹那、顔面の真横に短刀が飛び、ふかふかのマットレスに真っ直ぐ刺さった。突然過ぎてその刃の鋭さを見つめていると、小林の兄貴が重い口を開いた。
「俺、番いない。キャバ嬢はカブトと番になりたいって言ったら勝手に手伝おうとしてきた奴。そいつが、巣づくり中は、一緒に居れば服とか要らないって…だから、そんな悲しいこと言うなよ」
兄貴の手が俺の目頭をこすり、そこで初めて自分が泣いていることに気づいた。
「じゃあ、さっきの闇金、兄貴うんぬんは?」
「闇金には抑制剤盗ませた。兄貴には、前もって番に成るって宣言した。」
「毎回講習に来れなかったのは」
「そのキャバのとこで毎回勉強してた」
「…」
「…」
「俺のこと好きですか?」
「好き、大好き 」
「じゃあ、このまま俺が寝るまで抱きしめててくれます」
「もちろん」
不器用で、優しい抱擁は少し苦しく、とても幸せだった。
「小林の兄貴、言いましたよね。毎回は俺の身体が持たないので、洗濯していない服をくださいって」
「でもカブトまんざらでもねーだろ」
兄貴達の「また夫婦喧嘩やってるよ」と言う声や事務所内に響く怒声はまるでΩの生き方を肯定する様なものであった。
次回!やることやる編!
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