ガチャ。
まだ外が明るい間、勇斗はまた屋上へ来た。
ドアを開けた瞬間、柔らかくてしっとりした風が肌に沿って抜けていき、まるで空中を歩いているような軽い足取りになった。
また居た。仁人君。
でも今日はどこか機嫌が良さそうな顔の仁人君。
仁人「…空が綺麗だね。」
そう一言呟き、フェンスにもたれかかる。
勇斗は無心に空を見上げ、感じた事の無い浮遊感に襲われた。
地面に足から吸い取られているような、どこか浮いているような。
そんな細かな部分が気になるのと同時、とても大きな違いも気になる。
外の景色が、違う。
いつもならあそこに桜並木があるのに、今はただの電柱が並んでいるだけ。
フェンスもよく見ればいつものボロボロのフェンスじゃなくて綺麗な新しいフェンスだ。
そういえば、空も何か違う気がする。
いつもは…何色だっけ。
赤色?青色?黄色?…違うな。
そう考えながら見上げるのはピンク、緑、紫、色んな色が混ざったパステルカラーのマーブルな空。
雲が去っていく速さも速すぎる。
そもそも、雲というより絵に連続して描かれた雲が速く流れて行くだけ。
仁人「…佐野君、空見すぎだよ」
仁人の方を見れば、今まで見た事の無い、口元の緩んだ優しい笑顔が目に映った。
仁人君って笑うんだ。
初めて知る仁人の一面にまた勇斗の心は引きずり込まれてしまうみたいだ。
仁人「…そういえば、ギター弾いた事ある?」
今日の仁人はよく喋る。
いつものような冷っぽさはどこか遠くへ飛んだよう。
勇斗「無い…かな。そもそも楽器苦手だからさ。」
仁人「弾いてみる?」
勇斗「えっ…良いの?弾いてみたい。」
この奇妙で嫌な空と街。
違和感を消してくれるのは仁人のいつもより優しい対応。
いつも仁人が掛けているギターを勇斗に掛けた。
音が軽いのに意外と重いアコースティックギターは仁人の温もりが詰まっているような気がした。
仁人「ここ押さえて、こんな感じに弾いてみて。」
指が攣ってしまいそうだと思いつつも、軽い気持ちで弦を弾いてみる。
と、流れた音は色付いて空へ吸収される。
比喩に聞こえるが本当に目に色が見えている。
勇斗「なに…これ。」
仁人「見える?よく弾けてる証拠だよ。」
勇斗「仁人君にも見え」
「おい佐野!佐野ー!何寝てるんだ!」
勇斗「…ふっ、はっ、はい!鎌倉時代後期、」
「今開けてるのは113ページだぞー。もういい、曽野、代わりに読め。」
黒板には「日本史」の文字。
まるでさっきの出来事が夢のように感じる。
あれ…夢?あ、さっきのは夢だったのか。
仁人に教えられて触った弦の感触がまだ手の内に残っているのが分かる。
外はカラカラに照らす太陽が眩しく、遠くにはいつもの桜並木。
さっき見た景色は何だったんだろう。
ふとその考えが頭をよぎる。
舜太「また寝不足なん?(笑)」
勇斗「いや…なんか…ちょっと…。」
ガタッ。
「お、おいなんだ佐野。まだ授業中だぞ!」
「え…何…?」
「勇斗どうした…?」
「便所じゃね?」
「普通先生に言うでしょ…。」
足が、勝手に動く。
ここには居ない仁人の元へ体が引き寄せられている。
教室を出て、何も考えること無く歩く。
舜太「ちょ、ちょっと勇ちゃん!」
教室から追いかけようとしたが、舜太の真面目な頭がそれを拒んでしまった。
先生もびっくりしたようで、でも呆れた様子で。
「はい、気ぃ取り直そうなー。」
足を運ぶに連れ、階段に吹く風がシャツの間を走って行く。
屋上へ近づくと、よく嗅ぐ匂いがしてくる。
あともう少し。
ガチャッ。
勇斗「あ…仁人君…!」
仁人「…あぁ、佐野君か。」
また名前を呼ばれて頬が赤らむ。
ドキドキしてしまう心臓を押さえながらも仁人に近づいた。
勇斗「あの、仁人君、」
仁人「佐野君、ほっぺた真っ赤だよ?」
勇斗「えっ!あっ、えっと…。」
勇斗が慌てて頬を両手で隠すと仁人はフェンスにもたれかかって言った。
仁人「…空が綺麗だね。」
空はいつものような夏の空。
絵の具で塗ったような綺麗なスカイブルーに目が釘付けになる。
勇斗も空を見上げ、ボーッとしてしまう。
仁人「佐野君、空見すぎだよ。」
勇斗「…えっ?うわぁっ!」
声がする方を向いてみれば、仁人が真正面にいる。
顔の距離がグッと近づいてびっくりしてしまった。
真正面に見えるのは、見た事の無い仁人の微笑み。
口元の緩みと健気な頬が目を離してくれない。
…夢で見た仁人君と似てる。
仁人「…びっくりした?」
勇斗「仁人君って急に距離詰めて来るんだね…。」
仁人「…もっと詰めようか?」
勇斗「いや…やめてよ…。」
仁人「する訳ないじゃん。」
するとまた二人で空を見上げ、ボーッとしてしまう。
皆は授業中。言えば二人はサボり。
でも勇斗からすればとても大切な時間である。
どこか今日の夢と似ている風景と仁人に少し頭が絡まる。
仁人「…ギター、弾いた事ある?」
勇斗「無い…かな。そもそも楽器苦手だし。」
仁人「弾いてみる?」
勇斗「…うん。」
やっぱり似てる。
今日の夢を現実で再現したみたい。
「夢と似てる」という言葉がずっと流れて行く。
仁人の反応も、流れも、似ている所が多い。
そもそも、これはまた夢なのかもしれない。
いや…でも現実かもしれない。
気付けば仁人は真隣でギターを持たせてくれている。
仁人「…ここ押さえて、こんな感じで弾いてみて。」
勇斗「こ…こう?」
指が緊張でカクカクとしか動いてくれない。
ギターから出た音も夢通り。
にはいかなかった。
ペッ、ペッ。
ギターの弦を一本だけ弾いた様な情けない音が出た。
仁人「…何とも言えない。」
勇斗「…そんな事、いちいち言わなくて良いから!」
仁人「別に良いじゃん。言ったって。」
初めてだ。こんなに会話が続いたの。
だんだんと仁人が勇斗に慣れてくれているのかもしれない。
なんて思っていてもチャイムは鳴った。
もう四限目も終わりらしい。
さっきの四限だったんだ。
仁人「…弁当取りに行かなきゃ。」
勇斗「じゃっ、じゃあ俺も。」
本当は購買にも寄って何か買いたいが、仁人は買いそうになかったので辞めておいた。
「あ!勇斗どこ行って…え?」
仁人を連れて入ってきた勇斗に対してクラスメイトは冷ややかな視線を送る。
きっと、勇斗だけで入ってきたらこんな視線は感じない。
…まあでも仁人君とご飯食べれるし、良いよね。
舜太「は、勇ちゃん!今日俺と弁当食べへん?」
勇斗「あ…ごめん!今日仁人君と食べるから!また明日一緒に食べよ!」
舜太「え…そうなん?分かったけど…無理せんときや?」
正直、勇斗には仁人をからかう心は無いので舜太の言葉の意味は理解出来なかった。
勇斗「仁人君の弁当どんなの?」
仁人「…普通だよ。」
そう一言、白の一段弁当をパカッと開ける。
よくある普通の弁当。
唐揚げ、卵焼き、おひたし、ミニトマト…
仁人が昼休憩に教室に居るのを見た事が無いので意外な姿と弁当の中身に、何か刺さるものがある。
仁人「…佐野君、弁当大きいね。」
勇斗「え?あぁ、まあね。」
それに対して勇斗は黒の二段弁当におにぎり、そしておまけのゼリー。
仁人「いただきます。」
ちゃんと言うんだ…。
などと思いながら数秒、仁人が早く食べないかと仁人の方を見ていた。
お箸を取り出し、卵焼きを一つ摘むと、こちらを睨んでくる。
仁人「…何。」
勇斗「えっ?いや?何も無いけど…。」
仁人「ふーん。」
口を小さく開けると仁人は卵焼きを上品に頬張る。
初めて見た食事中の横顔が可愛くて、愛しくて仕方がなかった。
それから数分は見ていたと思う。
仁人「…食べないの?あと10分で休憩終わりだよ?」
勇斗「えっ?…あ。」
結局の所勇斗はそこからもちょいちょい仁人に見惚れては弁当のおかずを減らしていった。
その所為だろうが、今までに残した事例の無い弁当を少し残してしまった。
勇斗「うぅ…お腹空いてきた…。」
「はぁ?お前どんだけだよ…。てか、早く帰るぞ。」
勇斗「…あ!また弁当忘れた!」
…なんて、嘘だけど。
と思いながら勇斗は昨日に買ったノートを持って屋上へ向かった。
夏は夕方が長い。
もう18時でもまだまだ陽は落ちず、真っ赤に空を染めている。
少し風が吹く中、勇斗は屋上のドアを開けた。
ガチャ。
勇斗「じん…あれ。居ない。」
まあ一人になっても大丈夫。
いつも仁人と居る場所にカバンを置き、ボールペンと家から持って来たボロボロの色鉛筆、そしてあのノートを出した。
あ、マーカー…。
嫌な音を出しながらノートの表紙に「日記」と不器用に書く。
表紙を捲り、今日の日付を書いた。
「今日はマーブルの空の下で仁人君と話をした。
仁人君のギターを使った。
街並みが違う。
☆今日の再現リスト
・全部。
・少し言葉が違う?」
と書く。
「☆今日の再現リスト」とは、夢で起こった事がどれだけ現実に起こったかのリストである。
そうすると色鉛筆を取り出し、空を描き始めた。
紫、ピンク、緑、青、黄…その他諸々をマーブル模様に描こうとした。
見事に画力が無く、ぐちゃぐちゃの空になってしまったようだ。
雲は薄くピンクに塗り、頑張って仁人の後ろ姿を隅に描いた。
よし…できた。
色鉛筆を仕舞うと同時、今日に夢見た空が現実へと入ってくる。
どういう事か、空はマーブルに染まり、雲が固まって流れが速くなった。
勇斗「えっ…?何…?」
本当に現実では見た事も無い光景に頭が混乱するのは当たり前。
眠気はさらさら無かったのに、また夢の中に入ってしまっている。
するとどんどん背中や腰が浮いてきた気がして立ち上がった。
周りの壁は爛れ、教室の窓も次々に割れていく。
前より怖い夢である。
勇斗「ひっ…!待って!あっ、わぁっ!」
得体の知れない恐怖に怯えながら屋上を飛び出し、階段を降りていった。
が、階段は無限に続く。
ここから出られないのか、出られるのかも分からない勇斗はパニックでしかない。
勇斗「…うわっ!うわあぁぁあっ!」
仁人「おぉ、びっくりした。やっと起きたね。」
勇斗「はぁっ、はぁっ…。何?」
仁人は隣で起こそうとしていたみたいだ。
もう空も壁も何も元通り。恐怖は一つも無い。
空は暗くなっていて、見た感じはもう19時頃のようだ。
今日は夜練も無いので安堵。
仁人「…僕が呼んだからだよね。」
勇斗「よ、呼んだ?」
仁人「いや…何も無い。」
どこか寂しそうな目は守ってあげたい程の可愛さ。
今に実感する、俺は多分仁人君が好き。
…なのかもしれない。
男にも女にも興味の無い勇斗を釘付けにする仁人には魔性の心があるのだろう。
勇斗が無意識に仁人の方を見ると、仁人と目が合ってしまう。
やっぱり、こういう時に頬と心臓は言う事を聞かない。
仁人「…佐野君、僕のお願い聞いてくれる?」
勇斗「あっ、うっ、うん!もちろん…。」
仁人「僕と友達になって欲しい。」
第二章、完。
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