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第三章 氷晶と炎音
第二話 氷の檻
あの日から、フィルディア王国の空気は静かに変わってしまった。
中でも一番変わってしまったのは、
ジュウタロウ自身だった。
九歳の冬。
母を失ったあの夜を境に、王子は別人のようになった。
それまでの彼は、あまりにも優しい子どもだった。
傷つく小鳥を抱いて泣き、
雪に埋もれた花を見つけては城へ持ち帰り、
剣術の稽古では、
「痛いの嫌だから……」
と困ったように笑っていた。
ふわふわとした喋り方。
穏やかな声。
誰にでも向けられる、柔らかな笑顔。
王には向かない。
何度も陰でそう囁かれていた。
けれど、もう、
その面影はどこにも残っていなかった。
「……承知しました」
「問題ありません」
「それで」
短い返答。
変わらない表情。
感情の見えない瞳。
必要以上に誰とも関わろうとしない。
剣術稽古も、まるで何かへ取り憑かれたように打ち込んだ。
以前は嫌がっていた血の滲む鍛錬を、今は自ら望む。
倒れても立ち上がる。
凍える吹雪の中でも剣を振る。
まるで、自分を痛めつけることでしか、許されないと思っているように。
空いた時間は書庫に籠もった。
古代魔法。
古い伝承。
闇。
魔物。
北の果て。
来る日も来る日も、何かを調べ続けていた。 父王は何度も声を掛けた。
「お前のせいではない」
そう言って肩へ手を置こうとする。
けれどジュウタロウは、静かに一歩下がった。
妹とも距離を置いた。
三つ年下の幼い姫は、いつでも優しい兄の後ろを追いかけていた子だった。
泣きながら、何度も彼の部屋を訪れた。
けれど。
「……危ないから、来るな」
返ってくるのは、冷たい言葉だけ。
本当は違う。
抱き締めたかった。
大丈夫だと言いたかった。
けれど、できなかった。
もしまた、自分のせいで誰かが死んだら。
そう思うだけで、胸が凍りついた。
弱かったから。
守れなかったから。
母は死んだ。
だったら、二度と同じことを起こさないために、強くなるしかなかった。
誰も近づけないほど。
孤独になるしかなかった。
――そして。
十三年の月日が流れた。
吹雪が舞う。
白銀の雪原。
王国北方の結界外。
人の立ち入りを禁じられた、魔物の領域。
そこに、数十体もの魔物の亡骸が転がっていた。
凍りついた牙。
砕けた爪。
断末魔のその表情まで、雪と氷の中へ閉じ込められたまま。
そしてそれらは、黒い煙が立ち昇るように、ゆっくりと瘴気となって消えていく。
その中央。
一人の男が静かに立っていた。
白銀の髪。
透き通る銀の瞳。
長身の身体を包む白い外套。
腰には、氷雪を纏う長剣。
吐く息さえ白い。
その姿は、まるで雪原に佇む彫像のようだった。
男が一歩踏み出す。
ザッ。
雪が鳴る。
その後ろから、数名の騎士が駆け寄ってきた。
「ジュウタロウ殿下!」
先頭の騎士が声を上げる。
その視線は、周囲の光景を見て僅かに引き攣っていた。
討伐隊が到着した時には、既に終わっていたのだ。
魔物は全滅。
残っていたのは、白銀の王子ただ一人。
「もう討伐は、完了です…」
騎士が言う。
ジュウタロウは振り返らない。
銀の瞳は、遥か吹雪の向こうを見つめていた。
まるで、まだ何かを探しているように。
「……帰るぞ」
静かな声。
それだけで、騎士たちは背筋を伸ばした。
フィルディア王国第一王子。
王国最強の魔剣士。
北方の守護者。
その名は、今や近隣諸国にまで轟いている。
人々は畏怖と敬意を込めて、彼をこう呼んだ。
――《氷晶の王子》。
その名は、北を守る絶対的な象徴となっていた。
けれど、その胸の奥には今もなお
満月の夜、
母の血で染まった部屋と、
大切な友の最後の咆哮が
消えることなく、凍りついたまま残っている。
誰にも触れられない場所で。
誰にも見せないまま。
十三年間ずっと。
静かに。
静かに。
その心に固く閉じ込めていた。
コメント
1件
comiさん、第21話「氷の檻」拝読しました……。優しかった少年が、母を守れなかった自分を責めて、誰も近づけないほど強くなるしかなかったという、その孤独の描き方が本当に胸に刺さりました。「抱き締めたかった。大丈夫だと言いたかった。けれど、できなかった」の一文に、彼の凍りついた心の奥の叫びが凝縮されていて、とても切なかったです。氷と雪のイメージで統一された文体も美しく、十三年前のあの夜からずっと閉じ込められたままの王子の心象にぴったりでした。続きが気になります……!