『ねぇ、まだ?』
「うるさい、ちょっと待て…。」
真っ白な部屋でカーテン越しに女の声がする。
思いが通じた次の日、男と女は馬車に乗って自宅から遠く離れた街に来ていた。
「よし、いいぞ。」
『いいの?じゃあ開けるわ。』
シャッ、と女がカーテンを開ける。
するとそこには
「!」
『あら…。』
白の婚礼衣装に身を包んだ男が顔を真っ赤にして立っていた。
白鳥のように指先から襟元まで真っ白な彼の美しい姿に女は思わず
後ずさりする。
一方で、男は顔を真っ赤にして女の姿を凝視した。
海を連想させる明るい水色のドレスにシンプルなデザインのティアラと指輪がキラキラと光る。
……宝石が人になってでてきたみたいだ。
「かわ…。」
『かわいい?』
「…ああ。」
『ふふ、そこは素直なのね、貴方もかっこいいわよ。』
「!」
その瞬間、男がさらに顔を紅潮させた。
『まるで茹でダコね。』
「う、うるさい!ほら!写真撮りに行くぞ!」
『はーい。』
後ろの方でクスクスと女が笑う声がする。
男はそれを聞こえないふりをして速足で写真家のもとへと向かった。
女の寿命が長くないと知った昨日の夜。
男は女と一緒に遠方へ出かけることを提案した。
父親に女のことがバレている以上、
自宅にいるとまた従者を送ってくると
考えたからだ。
加えて、男は大富豪の一人息子。
自宅近くの街で結婚してしまえば、たちまち親戚や町の人々、同業者に知られてしまう。
…俺の家は恨みを多く買っている。気分の悪い野次に包まれてコイツを嫁に迎えるなんてことはしたくない。
『貴方、何を考えているの?』
男の様子を不思議に思ったのか、女が男の肩を軽く掴んだ。
「!、あ、いや…」
『…疲れた?』
「いや、大丈夫だ、なんでもない。」
女が心配そうに男をのぞき込む。
目の前には大きな海が広がっていて、波風のベールが磯の香りを包んで吹き抜けていく。
『私が死んだらここに骨が流れるのよね…。』
「…あぁ。」
男がこの街へ行くことを提案したのには、もう一つの理由があった。
それはこの町が唯一、未来水性病専門の病院を持っていることだった。
未来水性病は不治の病として知られているが、この病院はその病の進行を遅くしたり
痛みをなくしたりすることができる薬を処方している。
『薬のおかげか、
体がいつもと比べて疲れないわ
私の寿命は1か月って言ってたけど、あと1日くらい伸びるかもしれないわね。』
「……。」
一日と言わず、
せめて俺が死ぬまで生きててくれ。
舌に乗せられたその言葉を男はゆっくりと飲み込んだ。
女は自分に悲しい思いをさせないように、あえて現実的な言葉を言っているのかもしれない。
…今はこうしてニコニコしているけど、きっとコイツは死ぬのが怖くて仕方ないはずだ。
「…綺麗な海だな。」
男は自分でも驚くくらいの薄い声でそう言って女に上着をかけた。
『ええ、とっても。』
自分の気持ちにそっと蓋をして、男は優しく女の手を握った。
女の寿命まであと1か月。
男は日記をつけることにした。
『三日坊主になる未来が見えるわ。』
「黙れ、ちゃんと俺は続けるからな。」
男は女と過ごした日常を丁寧に書いていった。
これから先、自分が老いぼれになっていつ朝食をとったのかを忘れるくらいぼけてしまっても
この女のことだけは忘れないようにと毎晩涙をこらえて書き続けた。
『貴方…まさかとは思うけどフライパンに油しいてないの?』
「ああ、どうかしたか?」
『…はぁ、
貴方が毎回ぐちゃぐちゃの卵を焼く
理由がやっと分かったわ。』
女が死ぬまでまであと3週間。
男は女から料理を教えてもらっていた。
これは女からの提案で、
男はあまり意欲的ではなかったが、
女の人生何が身を助けるか分からないの一点張りに負けて挑戦することにした。
「ていうか、この宿なんで食事出ないんだよ。」
『人手不足だかららしいわよ、田舎だからみんな出て行っちゃうんですって。』
「そうか…大変だな。」
『そうね、あ…もうそろそろ完成するわよ
…うっ。』
「?、どうした?」
『ちょっと頭が痛いわ…お薬飲んでくる、すぐ戻るわ。』
女が死ぬまであと2週間。
『フワァアアアァァアァ!!!』
「奇声を上げるな。」
男は女を図書館に連れていった。
本好きな女を思って街で1番大きな図書館を選んで連れて行った。
田舎の街だから自宅の書庫より古い本ばかりで気に召すだろうか…と
気がかりにしていたが杞憂だったようだ。
『貴方見て!
私がずっと探していた本があったわ、
この本と似たような事件が近年起きたから絶版になってたのだけど…こんなところに隠れていたのね!』
「こんな暗いところでよく見つけたな…。」
『偶然目に入ったのよ!あぁあ、早く読みたい!
……あっ。』
「!、おい!」
女がふらつき、床に手をついたのを見て
男は慌てて彼女の近くに駆け寄った。
『はぁっ、はぁっ、はぁ……。』
「大丈夫か?どこが痛む?薬飲むか?」
『…はぁっ、う…ううん、大丈夫よ…ちょっと貧血気味みたい
……うっ。』
「!、どうした!」
『視界が…あ、…。』
「おい!しっかりしろ!」
そこで女の会話は途切れた。
女が読みたがっていた絶版の本を手にしたのは目覚めた次の日の夕方だった。
女が死ぬまであと1週間。
『貴方……出かけなくていいの?』
「ああ。」
『私が本読んでるのを見るのが、そんなに面白いの?』
「ああ…。」
女は見た目は元気そうに見えても、体力が一気に減るようになった。
宿にいた時間は短く、昨日ついに病院で生活することが決まった。
『一か月って……案外短いのね、
ドレスを着た時はとっても元気だったのに。』
「ああ…。」
『貴方の自宅にいた時はね…食欲がなかっただけで、痛み止めだけで元気だったのよ。こっそり飲んでたの、気づかなかったでしょ?』
「…うん。」
『また…どこかへ出かけたい、でも…こうして、本を読んであなたとのんびり暮らすのも悪くないかもしれない。』
「………。」
『………ふふ、…返事ばっかり、何か話しなさいよ。』
「…っ。」
『こら、泣かないの…貴方ってホントに泣き虫ね。』
「だ、だって…。」
男はついに耐え切れず女の泣いてしまった。
女がいなくなるのが怖くなった。
細い指先、白い肌、青白い顔…
今日も彼女はとっても美しい。
きっと彼女はこのまま、
綺麗なまま死んで骨となるのだろう。
今はこうして2人でいても、いつか、ゆっくりと自分の頭から、彼女の声、香り、体温が消えていく日が来るのだ。
それが怖くて、憎くて、悲しかった。
「もう嫌だ…明日が怖い、消えてしまいたい。」
『…そうね、怖いわね。でも、私、貴方には明日も明後日も1年後もずっと生きていてほしい。』
「俺は嫌だ、お前がいない未来なんて生きたくない、俺も死んでやる、海に身を投げて死んでやる…。」
『それはだめよ…いい?私には未来が見えるの、私が死んだあと、貴方には沢山のしあわせが待っているの、もちろん嫌なことも、悲しいこともあるけど貴方は絶対幸せになれるわ。』
「!…」
『……とっても素敵よ、貴方の未来。』
「……。」
女は男を抱きしめて優しい口調でそう言った。
女のベッドには、窓のカーテンにろ過された夏の光が当たっていて、布団に着いた涙の影をスポットライトのように照らしていた。
女が死ぬまであと3日。
「おい、元気か?」
『……。』
女はとうとう寝たきりになってしまった。
口も開かず、
うつろな目をゆっくりと動かして男を見る。
喋ることさえ、
本を読むことさえ困難なってしまった。
「…お前がいなくなったら何にもすることがなくてな、この前宿屋のジジイに「うわぁ!」って驚かれたよ。」
男が笑ってそう言うと
女はふにゃ、と目を細めた。
「……明後日、本当に死ぬのか?」
『…。』
女は小さく首を縦に振った。
「怖いか?」
『……。』
男がそう言うと女は、再びふにゃっと目を細めた。
そしてその時
「!……」
女の目から涙が零れ落ちた。
「…そう、か…。」
『……あ…び、よ。』
男の反応に女が慌てて声を出した。
なんとなく「欠伸が出たのよ」。と言った気がした。
男は女の手を掴み。もう片方の手でその白い手の甲を撫でた。
「…ずっと一緒だ、死んでも、何年経っても。」
『!』
男は自分の身を恨んだ。
死への恐怖と痛みをどうして自分も分かち合えないのかと毎日嘆いた。
……自分にできることは、ずっと傍にいることだけだ。
『ふ……ふふ、』
女は大粒の涙を流しながら笑った。
綺麗な瞳から零れ落ちるその雫は水晶のように綺麗だった。
そして…。
女が死ぬまであと0日。
「ありがとうなぁ…。」
人は死ぬと聴覚が一番長く機能するという。
医者から聞いたその言葉を思い出して、男は死ぬ最後まで女に話しかけた。
泣く暇なんてなかった。
「天国に行っても、ずっと、ずっと…忘れないから、お前も忘れんなよ、
ずっと俺の奥さんでいろよ。」
『……。』
「俺に会いに来てくれてありがとう、本当に幸せだった、お前のことが大好きだ、ずっと一緒だ、
ずっと、ずっとずっと……。」
『…。』
その時、
ヒュウッと清風の音がした。
「!…」
そして、ほぼ同じタイミングで握っていた彼女の手から「何か」が抜けた気がした。
もういいわよ、という笑い声も聞こえた気がした。
「…。」
……あぁ、いなくなってしまった。
「…。」
「……旅立たれましたか。」
静かに後ろから現れた医者が男に声をかけた。
男は無言で、女の手の甲を撫でた。
…冷たい鉄のような感触がした。
「…はい。」
遅れて男はそう答えた。
永遠の眠りについた女は、
この世のなにもかもに安心しきったかのような安らかな顔をしていた。
その後、男は海に彼女の骨を流した。
その日は沢山の人が海に来ていて、その全員が自分と同じように亡くなったパートナーを見送りにきていた。
「…貴方は長い間ここに滞在していると聞きました、これから貴方はどうされるのですか?」
1人の村人が、男にそう話しかけた。
「生まれ育った町に帰って、仕事に戻ります。」
「そうですか…奥様を置いていって、寂しくないのですか?」
「ええ……意味不明だと思われるでしょうけど、僕には未来が待ってるんです。」
男の予想通り、村人は不思議そうな顔をした。
しかし男はそれに気づいてないふりをして砂浜を後にした。
…それに俺は置いていくわけじゃない。
彼女は姿が見えなくても、自分の心の中で生き続けている。
「さぁ、帰ろう。」
そう言うと頭の中にふわりと
彼女の笑顔が浮かんだ。
そして…
あれから何十年と時が経った。
「おい聞いたか!水の名家の主人がパーティを開かれるそうだ!」
「えぇっ。」
「なんでもなあの嫡男様が、
……国王から感謝状を授与するそうだ、
パーティはその前祝いさ!」
「えぇえ!!」
男、こと水の名家の主人は医療や福祉に多額の寄付をしたことで一際注目を集めるになった。
男は、貧困地域に無料で水路を整備したり
避難所や病院を創設したりと少しでも沢山の人が良い暮らしを送れるよう尽力した。
もちろん、昔の残虐ぶりを謳う声もたくさんあったが男はそれを真摯に受け止め反省した。
そして、自らも興味すらなかった勉学に手を付け誰かに感謝されることを喜びに生活するようになった。
「あの方はお父様と違って、本当に心優しいお方だ。」
「ええ、あの方は本当にいい人だわ。」
「感謝状を貰って当たり前の聖人君主よね…
でも、一体何が彼を変えたのかしら?
彼、昔は女遊びの激しい荒くれものだったのに。」
「うーん…さぁ?」
一方その頃。
「困ったな…明日に限って授与式だなんて。」
男は服装を整え、ふぅ、とため息をついた。
年を取り、物腰がさらに柔らかく、キリっとした目が穏やかになった男は
白くなった髪を整えゆっくりと
椅子に腰かける。
テーブルには紅茶が二つ。
家には男一人しか住んでいない。
「明日はお前の命日なのにな、今年は一緒にいられない…ごめんな。」
部屋は静寂を貫いている。にも関わらず、男は虚空に話しかけた。
「今日は星が綺麗だな、特にあの青白い星、大きくて羽が生えたら手に届きそうだ。」
窓の外には藍色の冷たい冬空が広がっている。星は氷のように冷たくキラキラと輝いている。
静かな雪の降る音と焚火のぱちぱちと燃える音がして、男は冷たい手こすりあわせた。
「…会いたいな、そろそろ。」
『あのお星さまが気になるの?』
その時、聞き覚えのある声がした。
「!」
男はびっくりして辺りを見回した。すると窓辺のあたりで紅茶を飲むあの女を見つけた。
「お…まえ。」
『久しぶりね、呼ばれたから来ちゃったわ。
にしても、だいぶ長生きしたのね、髪が真っ白じゃな…わっ……!』
女の姿を見て耐え切れなくなったのか
男は女に抱き着いた。
「会いたかった……。」
『…貴方…。』
「ずっと、ずっと、会いたかった…!」
『!……ふふ、そうね、私もよ、貴方にずっとずっと会いたかった。』
女は嬉しそうに笑って男の背中に手を回した。すると、男の体が風を纏ったように軽くなる。
『行きましょう、これからはあっちの世界で、ずっと一緒よ。』
「ああ…。」
男がそう言うと、女は男の手を引いて夜空へと歩き出した。
凍てつく星を歩き、月に照らされ、二人の体は遠く舞い上がっていく。
これからは、きっと二人ともが素敵な未来を歩むことが出来る。
穏やかで、愛しい人と幸せに包まれた素敵な未来を。
そう信じて、男は帰らぬ人となった。
終わり
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コメント
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遂に完結しちゃったよ... 目からダイアモンドです。 宝石箱みたいなお話です...! ありがとうございました 🌟😭🌟 しんみりと余韻が残ってます
更新ありがとうございます😭😭😭😭😭 良かった…本当に良かった……………………… 2人の運命は残酷ながらも、とても美しく愛おしかったです。 割と本気で書籍化して欲しいです……絶対買います…✨ 素敵なお話、ありがとうございました…🙇♂️