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階段裏は、空気が淀んでいる。埃が湿って足元に溜まり、誰も掃除しないコンクリの隅に、遥は今日も立たされていた。
その場にいたのは六人。男子四、女子二。
撮る者、指示を出す者、手を出す者、見守る者。
役割は暗黙に決まっていて、順番に交代もしている。
今日は男子二人が「壊す番」だった。
「昨日、肩の骨、鳴らしたの誰?」
「俺。ちょっと押したらゴキって言った。録れてる?」
「音小さかった。あれ再現したいな、今日も」
「骨は一日一回だろ、壊れるって」
「壊すのが目的だろ。ちゃんとおまえ、やれよ」
何が行われるのかを、遥はもう予測できる。
痛いのはわかっているが、それよりも、「どう反応したか」が素材になるのが耐えがたかった。
苦しんだ顔も、身体のこわばりも、声も、全部が“遊び”に使われる。
背後に回った手が、制服の裾を乱暴に引いた。
腰に沿って指が這い、太ももの内側を、あからさまに押される。
反射で身をよじってしまい、そこを“リアクション”として笑われる。
「ほら、ほら、そうやってビクってするの撮れた? 今の最高」
「こいつさ、泣きはしねぇけど、こういうとこ反応いいんだよ」
「無表情のくせに、急に息止めるとこ、マジでエロい」
「ほら、喋って。いつものセリフ、なんか言えよ」
言葉は出なかった。
喋れば切り取られ、黙ればそれもネタになる。
選択肢はいつも「どれだけ切り取られたいか」しか残っていない。
脇腹に軽く蹴りが入る。
音は大きくないが、内側に響いた。
そのまま、もう一人が指で顎を押し上げた。
「睨むのやめたら? 壊れてんの、おまえのほうだろ」
「睨まれんの興奮するから、それやめなくていい」
「てか、“睨むくせに従う奴”って属性、わりと新しくね?」
レコーダーの赤いランプが点いている。
録音された音声は、その日の放課後、誰かのスマホで“視聴”され、編集され、保存される。
「いつか使うかも」という言い訳で、ファイルは増え続けていた。
遥は、ただ見返した。
目に力を入れても、腕にはもう力が入らない。
押された肩から背中にかけて、湿った汗がじわじわと滲んでいた。
「壊れねぇの、逆に気持ち悪いんだよな」
「たまに、“こいつ作り物なんじゃね”って思うもん」
「……作ってんのは、そっちだろ」
遥が口を開いた瞬間、反射的に静寂が訪れた。
その一言を、全員が聞き逃さなかった。
スマホの録画が止められることもなく、ただ「成功」として沈黙が満たされる。
「オーケー。今の良い。使える」
「タイトルは“作ってるのはそっち”にするか」
「マジでこいつ、黙ってりゃいいのに、なんで喋んの?」
チャイムが鳴った。
午後の授業が始まる合図。
この階段裏は、昼休みの終わりまでしか使えない。
誰かが遥の肩を軽く叩いた。
「制服直せよ。次、教室な」
「三時間目は保健室予定だから。ちゃんと来いよ?」
遥は頷かなかった。
ただ、ゆっくりと姿勢を戻し、黙って歩き出した。
足が階段を踏むたび、踏まれた背中の骨がじわじわと痛んだ。
「泣かないから壊れないと思ってんのかね、こいつ」
「壊れねえやつなんかいねぇだろ。時間かけて潰すのが、いちばん楽しいんだよ」
背中越しに、その声が遠ざかっていく。
遥は振り返らない。
壊されていないと信じることが、まだ唯一の防衛線だった。