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狐の嫁入り。女体化狐太宰。難しいこととか、考えちゃダメだから。
・・・たまには純愛も書かないとね・・・ね・・・・?
深い霧に閉ざされた山間の村、その境界線はいつも曖昧だった。
中原中也がその「少女」に出会ったのは、まだ彼の手が小さく、世界の広さを知らなかった幼き日のことである。初夏の陽光が木漏れ日となって地面を斑に染める午後、中也は蝶を追いかけて、決して踏み込んではならないと言い聞かされていた村の禁域、紅葉山の奥深くへと迷い込んだ。
霧は音もなく立ち込め、気づけば前後左右の感覚を失っていた。幼い胸に込み上げるのは、未知の暗闇への恐怖と、二度と家に帰れないのではないかという絶望だった。
「……うう、……あ、……っ」
湿った土の上に座り込み、今にも泣き出しそうになったその時。
「おや、困った迷子さんだね」
鈴を転がすような、けれどどこかこの世のものとは思えないほど柔らかな声が、中也の背後から降ってきた。 振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。中也より少し年上に見えるその子は、透き通るような白い肌と、夕暮れ時の湖を思わせる不思議な茶褐色の瞳をしていた。
彼女は何も言わず、ただ中也の小さな、泥だらけの手をそっと握りしめた。 その掌は驚くほど柔らかく、けれど中也を離さないという確かな意思を持って温かかった。
「こっちだよ。君の帰る場所は、あっち。日が落ちる前に帰らないと、山の神様に怒られちゃうからね」
彼女は中也を導くように歩き出した。彼女が通る道だけは、不思議と霧が晴れていく。中也は必死にその背中を追い、繋がれた手の温もりだけを道しるべに歩き続けた。 村の入り口が見えたとき、彼女はふっと手を離した。
「君の名前、教えてよ」
中也が尋ねると、彼女はただ少しだけ寂しげに微笑み、中也の頭を優しく撫でただけだった。
「名前なんて、知らなくていいんだよ。……またね、小さな騎士様」
それが最後だった。 翌日、中也が必死に村中を探し回っても、そんな少女はどこにもいなかった。近隣の村から遊びに来た子も、そんな親戚を持つ家も一つとしてない。大人たちは口を揃えて、「中也は狐につままれたんだ」と笑い、彼をからかった。 けれど、あの中也の右手に残った、吸い付くような肌の感触と、耳朶を打ったあの声だけは、十数年という月日が流れても色褪せることはなかった。
時が経ち、中也は村で最も頼りがいのある若者へと成長していた。 彼は村を護衛する自衛団の長となり、村の境界を侵す獣や、道に迷う旅人を守る職についていた。情報を集め、村の異変を誰よりも早く察知するのが彼の仕事だ。 心のどこかであの「彼女」との再会を期待しながらも、現実は容赦なく過ぎ去り、彼はいつしか「あれは幼い日の夢だったのかもしれない」と自分に言い聞かせるようになっていた。
そんなある日、村の酒場や寄り合い所で、奇妙な噂が立ち始めた。
「山で妖狐が出たんだ! 恐ろしい金色の目をしていたぞ」 「いや、俺は山菜をカゴごと盗られた! 狐の化け物に違いない!」
平和な村に流れる、どこか滑稽で、けれど不気味な噂。 中也は職務として、その「妖狐」の正体を見極めるべく、かつて自分が迷い込んだあの森へと再び足を踏み入れることにした。
かつてのような恐怖はない。今の彼には、自分と村を守るための知恵と武力がある。 だが、森の奥へ進むほど、空気の質が変わっていくのを感じた。 御神木の根元、陽光が届かない仄暗い場所に、それはいた。
「……そこにいるのは、分かってんだ。出てこい」
中也が低く、けれど威圧感のない声で呼びかける。 カサリ、と落ち葉を踏む音がし、茂みの影から一人の女が姿を現した。
中也は言葉を失った。 そこにいたのは、かつての夢に見た少女がそのまま大人になったような、けれど、あまりにも痛々しい姿をした女性だった。 ボロボロの白い着物を纏い、細い身体は風が吹けば折れてしまいそうに脆い。彼女の背後には、かつては美しかったであろう大きな狐の尻尾が力なく垂れ下がっている。
「……あ、……あぁ……」
彼女は中也の顔を見た瞬間、怯えたように後ずさった。 その瞳は確かに金色の光を宿しているが、そこにあるのは威厳ではなく、剥き出しの孤独と絶望だった。
「……待て。別に、捕まえに来たわけじゃねぇ」
「……、……、……殺さ、ないの……?」
その声。 中也の背筋に、電流のような衝撃が走った。 十数年前、霧の中で自分を導いてくれた、あの柔らかい、鈴を転がすような声。
「……お前、……まさか」
「……ごめんなさい、……怖がらせる、つもりじゃ、……なかったの……。……ただ、……あまりに、一人が……寂しくて……。……少しだけ、人間の、声が……聞きたかった、だけで……」
彼女――太宰治は、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。 彼女は、かつて山を統べていた妖狐の末裔であった。しかし、人間が山を敬う心を忘れ、神域が削られていく中で、彼女の力は衰え、今や化ける力すら失いかけていた。 力のない妖狐にとって、孤独は何よりも猛毒だった。寂しさに耐えかね、村の近くまで降りていったものの、人々は彼女を見るなり「化け物だ」と騒ぎ立て、山菜を投げ捨てて逃げ出していく。
「妖狐に山菜を盗られた」という噂の正体は、彼女が拾う気力も失くして立ち尽くしていただけの、悲しい誤解だった。
中也は、刀の柄から手を離した。 そして、ゆっくりと彼女に歩み寄り、かつて彼女がしてくれたように、その細い手をそっと握りしめた。
「……、……あ」
太宰が驚いたように顔を上げる。 その手は氷のように冷たく、けれど中也の熱が伝わると、微かにぴくりと震えた。
「……やっぱり、お前だったんだな」
「……え……?」
「忘れたのかよ。……十数年前、この森で迷子になったガキを、村まで送り届けてくれただろう」
太宰の瞳が大きく見開かれる。 過去の記憶の断片が、彼女の脳裏で鮮やかに繋がっていく。
「……あ、……、……あの時の、……小さな、騎士様……?」
「ああ。……やっと見つけた」
中也は、彼女の汚れ、傷ついた手を、両手で包み込むように温めた。 太宰の目から、大粒の涙が溢れ出した。 百年近く生きてきた彼女にとって、人間の一生など一瞬の瞬きに過ぎない。けれど、その一瞬を、これほどまでに大切に覚えていてくれた存在がいたことに、彼女の心は震えた。
「……、……大きくなったね、……中也……」
彼女の声が、泣きじゃくりながらも、かつての温もりを取り戻していく。 中也は、彼女を独りにしていた歳月を悔やむように、その肩を抱き寄せた。
それから、中也のパトロールの回数は劇的に増えた。 村の者たちは「団長が熱心に山の魔物を監視している」と称賛したが、実際の中也は、毎日弁当を抱えて太宰の元へ通い詰めていた。
太宰は、中也が持ってきてくれる里の食べ物を、美味しそうに、けれどどこか申し訳なさそうに食べるのが日課になった。 力を失った彼女にとって、中也の存在そのものが唯一の栄養源のようだった。
「ねぇ、中也。……今日は何の話をしてくれるの?」
太宰は、中也の膝の上に頭を預け、甘えるように上目遣いで彼を見る。 寂しがり屋の彼女は、中也が少しでも離れようとすると、その大きな尻尾を彼の腕に絡めて引き止めるようになった。
「……今日は村の祭りの準備の話だ。……いつか、お前も連れて行けたらいいんだがな」
「……無理だよ。……私はもう、人間に化ける力さえないもの。……こんな耳や尻尾がついたままじゃ、また石を投げられちゃう」
太宰が少しだけ寂しそうに微笑む。 中也は、彼女の柔らかな耳の付け根を、慈しむように撫でた。
「だったら、俺の屋敷に隠れ住めばいい。……誰も来させねぇよ。……お前が望むなら、一生俺が、お前の食事も、遊び相手も、全部引き受けてやる」
中也の言葉は、飾りのない本音だった。 かつて自分を救ってくれた少女を、今度は自分が救いたい。いや、それ以上に、彼はこの孤独な妖狐に、一人の男として恋をしていた。
「……、……中也……。……私、……ただの、弱っちい狐だよ? ……なんの利益も、もたらさないよ?」
「利益なんてクソ喰らえだ。……俺は、お前が笑ってるだけでいいんだよ。……それ以外、何もいらねぇ」
中也は、彼女の額にそっと唇を寄せた。 純粋な、一点の曇りもない愛情。 太宰は、彼の胸の中に顔を埋め、彼の心音を聞きながら、静かに涙を流した。 孤独だった長い年月が、彼の温もりによって、少しずつ溶かされていく。
「……、……中也、……大好きだよ……」
彼女の告白は、風に乗って森の奥へと消えていった。 二人の間に、ドロドロとした執着や依存はない。ただ、お互いが「今、ここにいること」を尊び、大切に想い合う、砂糖を吐くほどの純愛。
中也の護衛という職務は、いつしか「村を守る」ことから「村と太宰、両方の平和を守る」ことへと変わっていった。 彼は村の者たちに、うまく説明をつけた。 「山にいるのは悪い狐じゃない。……俺が手懐けた、守り神だ」
村の者たちは、当初は怪しんだものの、中也が山に入るようになってから山の災害が減り、森が以前よりも豊かな緑を取り戻したのを見て、いつしかその言葉を信じるようになった。
冬が近づくある日。 中也は、村の誰にも見られないように、太宰を抱きかかえて自分の屋敷へと連れ帰った。 屋敷の奥まった部屋、そこは二人だけの聖域。
「……あったかい……。……人間の家って、こんなに温もりに満ちているんだね」
太宰は、中也が用意した布団にくるまり、幸せそうに目を細めた。 彼女の力は完全には戻らなかったけれど、中也の隣にいるだけで、彼女の毛並みは琥珀色に輝き、瞳には希望の光が宿るようになった。
中也は、彼女の側に寄り添い、その細い手を再び握りしめた。 幼き日のあの日、霧の中で繋がれた手。 今度は、中也が彼女を離さない番だった。
「……おやすみ、太宰。……明日も、明後日も、ずっとここにいていいんだぜ」
「……うん、……中也。……、……愛してるわ」
二人の睦まじい会話は、夜の帳に溶けていく。 身分も、種族も、時間も超えて、二人の魂は今、一つの灯火の下で結ばれていた。
かつて「狐につままれた」少年は、今、本物の「狐」と、生涯の愛を誓い合う。 それは、どんなお伽話よりも美しく、どんな神話よりも温かな、真実の純愛の物語であった。
窓の外では、静かに雪が降り始めていた。 けれど、二人の部屋の中だけは、永遠に春のような温かさが続いていた。
静まり返った屋敷の奥。 外では冬の始まりを告げる風が、時折障子を揺らしているが、部屋の中は行灯の柔らかな橙色の光と、炭の温もりに満たされていた。
中也は、自身の隣で所在なげに指先を弄ぶ太宰(♀)を見つめた。 彼女は今、中也が用意した婚礼の儀を模したような、真っ白な絹の寝巻きを纏っている。かつて森で出会ったボロボロの姿ではなく、中也の愛によって毛並みを整え、少しずつ生気を取り戻した彼女の肌は、行灯の光を吸い込んで真珠のように白く輝いていた。
「……中也」
太宰が消え入りそうな声で、彼の名を呼んだ。 その瞳は、期待と、そして長年孤独に晒されてきたがゆえの「自分なんかが、こんな幸福を得てもいいのか」という微かな震えを宿している。
「……なんだ」
「私、……狐だよ? 人間とは、……違うところが、たくさん、あるのに」
太宰の背後で、琥珀色の大きな尻尾が、彼女の不安を代弁するように力なく畳を掃いた。 中也はその震える肩を引き寄せ、大きな掌で彼女の頬を包み込んだ。
「……何度も言わせんじゃねぇよ。お前が狐だろうが、化け物だろうが、関係ねぇ。……俺が愛したのは、あの森で俺の手を引いてくれた、優しくて寂しがり屋の、お前なんだからな」
中也の言葉に、太宰の瞳から一粒の涙が零れ落ちた。 中也はそれを唇で優しく拭うと、そのまま彼女をゆっくりと、真新しい布団の上に押し倒した。
畳に広がる、彼女の長い茶褐色の髪。 そして、白無垢のような寝巻きの襟元がはだけ、そこから覗く華奢な鎖骨。 太宰は、恥ずかしさに顔を赤らめながらも、逃げることなく中也の首に細い腕を回した。
「……中也、……優しくしてね。……私、……あまり、強いほうじゃ、ないから……」
「分かってるよ。……お前の全部、俺が一生かけて守ってやる」
中也の低い声が、太宰の耳朶を熱く震わせた。 彼は、彼女の指先から、腕、そして首筋へと、慈しむような接吻を一つずつ丁寧に落としていく。それは、彼女がこれまで受けてきた孤独という傷跡を、一つずつ愛で塗りつぶしていくような儀式だった。
太宰の口から、熱い吐息が漏れる。 「あ、……ん、……中也、……あったかい……、……、……好きだよ……」
寂しがり屋の彼女は、中也の体温を求めるように、自ら胸元を寛げ、彼を迎え入れた。 彼女の胸は、小刻みな鼓動と共に波打っている。 中也は、彼女の柔らかな肌に触れるたびに、かつて迷子になった自分を救ってくれた「神様」が、今、自分の腕の中で一人の「女」として存在している奇跡に、胸が熱くなるのを感じていた。
「……太宰」
「……なあに、……中也……」
「……やっと、本当に、俺のものになったんだな」
中也は、彼女の琥珀色の瞳をじっと見つめ、情熱を抑えきれないように、その深い場所へと踏み込んでいった。
太宰は、背中を大きく反らせ、中也の肩に爪を立てた。 痛みを伴う熱。けれどそれは、彼女が切望していた「他者との繋がり」の証だった。 彼女は、自身の身体が中也の愛によって満たされていく感覚に、恍惚とした表情を浮かべ、何度も、何度も、彼の名を呼び続けた。
「あ、……ぁ、……ちゅ……や、……っ、……、……大好き、……っ、……あ、……ぁぁっ!!」
太宰の大きな尻尾が、中也の腰に強く絡みつく。 それは、離したくないという彼女の本能であり、彼を一生の伴侶として選んだ妖狐の誓いでもあった。
中也は、彼女の乱れた髪を指で梳きながら、溢れ出る愛おしさを全てぶつけるように、彼女の唇を幾度も、幾度も塞いだ。 二人の吐息が混ざり合い、部屋の温度が一段と上がっていく。
夜が更けるにつれ、風の音は遠ざかり、ただ二人の重なり合う鼓動と、甘い喘ぎ声だけが、静寂の中に響き渡った。 それは、どんなお伽話の結末よりも美しく、どんな神話よりも尊い、孤独だった狐と、彼女を救った男の、初めての夜。
やがて、絶頂の余韻の中で、太宰は中也の胸の中にぐったりと身を預けた。 彼女の肌には、中也が刻みつけた熱い愛の痕跡が、あちこちに赤く浮かび上がっている。
「……、……中也……」
「……ああ」
「私、……もう、……どこへも行かないよ。……ずっと、君の側に、いるね……」
太宰は、満足げに目を細め、中也の腕の中で静かに眠りにつこうとしていた。 中也は、彼女の温もりを全身で感じながら、その細い指を再び絡め取った。
「……当たり前だ。……一生、離さねぇよ」
窓の外では、雪がしんしんと降り積もっている。 けれど、二人の枕元には、永遠に消えることのない、初夏の陽光のような、眩いばかりの愛が灯り続けていた。
翌朝、村の者たちは、中也の屋敷から、今まで聞いたこともないような、幸せそうな二人の笑い声が聞こえてくるのを耳にする。 誰もが、その幸福を祝福し、二人の行く末を見守っていく。
孤独だった妖狐は、今、愛する人の腕の中で、本当の「家族」を手に入れたのだった。
二人の睦まじい夜が明け、村の山々に白銀の雪が降り積もった頃。中原中也は、村の長老たちや自警団の仲間を集め、ある重大な宣言をした。
「俺は、この山に住む太宰を妻に迎える。異論は認めねぇ」
村中が騒然となったのは言うまでもない。化け狐だ、祟りだ、と騒ぎ立てる者もいたが、中也はそれらすべてを「俺が責任を持つ」という一言で黙らせた。何より、中也が連れてきた太宰という女性の、あまりにも清廉で、それでいてどこか儚げな美しさを目にした時、反対する声は自然としぼんでいったのである。
こうして、正式に「狐の嫁入り」が執筆されることとなった。
かつての霧の中の、消えてしまいそうな行列ではない。村人たちが総出で準備をし、色とりどりの提灯を灯した、本当の祝言である。
太宰は、中也が特別に用意させた、最高級の正絹で作られた白無垢を纏っていた。かつてのボロボロの着物からは想像もつかないほど、彼女の姿は神々しいまでに美しかった。綿帽子の下から覗くその顔には、かつての孤独の影は微塵もなく、愛する男に守られているという確かな自信と、溢れんばかりの幸福が宿っている。
「……ねぇ、中也。私、本当にこんなに幸せでいいのかしら」
婚礼の儀が始まる直前、控えの間で太宰がぽつりと零した。
彼女の背後では、琥珀色の尻尾が緊張で小さく震えている。中也は、そんな彼女の指先をぎゅっと握りしめた。
「まだそんなこと言ってんのか。いいに決まってんだろ。これからは、お前の隣には俺がいる。村の奴らも、お前を『守り神』として受け入れたんだ。胸張ってろ、俺の自慢の嫁さん」
「……、……中也、……大好き」
太宰は、潤んだ瞳で中也を見上げた。
二人が部屋を出ると、外には村人たちの歓声が響き渡っていた。
狐の面を被った演者たちが踊り、子供たちが「狐の嫁入りだ!」と笑いながら先導する。それは、かつて太宰を縛っていた「生贄」や「呪い」の儀式を、すべて上書きするような、温かな光に満ちた行列だった。
雪の降る中、太宰の足元を汚さないよう、中也は彼女の手を引き、ゆっくりと村の社へと歩んでいく。
かつては恐怖でしかなかった山の入り口も、今は二人を祝福するように、静かに白く染まっていた。
社での誓いの儀式。
三三九度の杯を交わし、二人の魂は永遠に一つに結ばれた。
太宰は、自身がかつて孤独に耐えていたあの長い年月は、この瞬間のためにあったのだと確信した。
「……ねぇ、中也。……私ね、狐でよかった」
祝言の宴も終わり、再び二人きりになった屋敷の縁側で、太宰が月を見上げながら言った。
「狐じゃなかったら、あの日、君を助けてあげられなかった。君を助けなかったら、今こうして、君の隣に座っていることもなかったんだもの」
中也は、彼女の肩を抱き寄せ、その冷たい頬に自分の熱を分け与えるように顔を寄せた。
「……俺もだ。狐のお前にさらわれたから、俺は他の誰でもねぇ、お前に惚れたんだ」
中也は、彼女の懐から一本の琥珀色の簪(かんざし)を取り出した。それは彼が婚礼のために特注した、彼女の尻尾の色と同じ、美しい簪だった。
「……一生、俺にさらわれたままでいてくれよ」
「……、……喜んで、捕まってあげる。……あの日から、私の心は君のものなんだから」
太宰は幸せそうに目を細め、中也の胸に深く、深く顔を埋めた。
空からは、再び細かな雪が舞い始めていた。
「狐の嫁入り」――それは、かつては恐ろしい怪異の代名詞だった。
けれどこの村では、これから先ずっと、最も幸福な「愛の奇跡」として語り継がれていくことになるだろう。
一人の孤独な狐と、一人のまっすぐな人間の男。
二人の間に、もはや境界線はない。
ただ、どこまでも深く、どこまでも甘い、純白の愛があるだけだった。
「……愛してるよ、中也」
「……ああ。愛してるぜ、太宰」
雪明かりの下、二人の影は一つに重なり、静かに夜の中に溶けていった。
それは、どんなお伽話の結末よりも美しく、どんな現実よりも確かな、真実のハッピーエンドであった。
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コメント
3件
この話見てたら尊すぎてダメージくらってた笑笑