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🫧第7話補足|「日記の泡、律の隣で」
音楽室の空気は、泡舞踏会の旋律をまだ含んでいた。
律はピアノの前に座り、鍵盤にそっと指を置いていた。
その横へ、聖名(みな)は静かに座った――
律の肩の近く、腕の側面へ背中を向けるように。
直接視線が合わない距離。だけど、すこしだけぬくもりを感じる配置だった。
ちょっとだけ、距離がある方が話せる気がする。
でも、ほんとうはこの距離でも、音でなら通じると思ってる。
椅子はふたり分の広さはなかったけど、
譜面台の隅に置いた銀のスプーンが、律の演奏に合わせて小さく震えた。
聖名(みな)は、小さなノートを鞄から取り出していた。
泡舞踏会のあと、言葉が静かに胸で丸まり始めていたから。
📓聖名(みな)の泡日記(抜粋)
高校一年、春。音楽室。
「律くんの隣に座った。
背中を彼の肩の方に向けて、
あんまり見つめないようにした。
それでも、律くんの指先が鳴らした音が、
わたしの胸に残っていた泡を、
そっとすくってくれた気がする。
“あなた”って呼んだとき、夢の泡が割れそうだったけど、
現実ではまだ音になって残ってる。
記憶って、やさしい場所に触れた時、
名前を越えてひらくんだなあと思った。
次に彼の隣に座るときも、
背中を向けてみよう。
名前を呼ばなくても、
たぶん律くんには届くから。」
ピアノの音が、最後の泡をなぞって静かに止まった。
聖名(みな)はノートを閉じる。
律はふと彼女を見て――言葉は交わさず、
スプーンの先端を軽く彼女の方に向けた。
泡は割れなかった。
日記に残した気持ちが、ゆっくり空気になっていく。
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