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空は少し陰りが見えた。
18時から開催なのに、もう薄暗い。
月が雲に隠れてしまった夜空の様に元気がない空の色が、私の気持ちに不安を与えてくる。
「美麗さん、春月堂の幹太さんがお迎えに来られていますよ」
襖の抜こうからお手伝いさんの声を聞こえ、慌てて窓を閉めて廊下へ歩き出す。
母が用意した着物は、地味な藍色の染め絞りの着物。詳しい専門家が見れば高価で、高度技術で作られたと分かる、控え目な着物。
でも私はそんなの着たくなかった。
「すいません、幹太さんっ 早く来て頂いて」
「いや。乗って」
いつもの調理場から見える作業服の甚平ではなく、灰色のスーツを着ている幹太さんは何だか別人のように見えた。
「その着物を預かればいいんだろ。高そうだから汚れても責任は負えないが」
「はい。大丈夫です。お願いします」
昨晩、こっそり春月堂の電話をかけた。23時過ぎだったので非常識過ぎて本当に申し訳なかったけど、幹太さんはやはり居た。
話を聞いてくれて色々と無茶なお願いも聞いてくれた。
「あの、あんな夜遅くまでお仕事されてるんですね」
「ああ。まだまだ親父が未熟だ、半人前だ、うるさいからな。早く黙らせたい」
真っ直ぐに背筋を伸ばし、目の前をよそ見をせずに見る幹太さん。
怖いけど、人としては尊敬できる方だと思った。
「あんたは、俺が怖いのに、連絡してきてた」
(ばれてたのか)
「ばれない方がおかしいから」
冷たく短い言葉の中で幹太さんは鋭く突っ込みをいれていく。
「彼と約束を破りたくないんです。私、賭けに負けてしまって」
「イギリス大使館ってことは、この前の外人はイギリス人か。イギリス人って王女の子供の名前とかを国中が盛り上がって賭けたりするよな」
「そうなんですか?」
「ちなみに大使館はパスポートがないと入れないって聞いたけど」
「嘘!」
春月堂の駐車場に車を止めながら、幹太さんは冗談なのか真面目なのか分からない表情で淡々と話してくる。
パスポートなんて持ってないけれど、招待状はあるし、大丈夫なはず。
「着物だけ、脱いだらくれ。二階の母親の部屋に置いとくから」
「ありがとうございます!」
帯や帯止め、足袋、次々脱ぎ捨てて持参した着物用のハンガーにかけていく。
お弟子さんがきつく結んでくれた帯は、脱ぐのに時間がかかった。
早めに出たからまだ時間には余裕があるけれど、逸る気持ちが止められなくて大雑把に扱ってしまう。何十万はするだろう着物を。
そのままロッカーにあった箱を開けて、中の服を両手で掬い上げるように持ち上げた。
ベビーピンクの可愛い服。春らしく襟元に白いファーは、靴とお揃いだ。
胸元から下が、ふんわりと広がり、少し膝より上だけど控え目でちょうどいい丈だと思う。着た後に、ふわりと一回転すて、ロッカーの姿見で自分の姿を見て浮かれてしまう。
一回転して後、足元にカサリと落ちたのは、一枚のメッセージカードだった。
『Touch my heart.Give us kiss? Up to you.』
「何、これ」
メッセージの先後にはちゃんとデイビットさんの名前が書いていた。
デイビットさんは、――私が読めないと思っていたのかな?
一応、英語学科を卒業したのですけど。
「おい、帰宅ラッシュに当たると渋滞するぞ」
休憩室のドアをノックされ、呆然としていた私は我に返った。
我に返って、服と靴、バックにシュシュを取り出しながら、手が震えている。
鏡に映る私の顔は、茹でたこより真っ赤だったと思う。
(――からかわれている?)
ピンクのルージュを引きながら、書かれていた英語が頭の中で反芻する。
顔が真っ赤なせいで、ピンクに塗れたのか自信がない。
シュシュで結んで、右肩に流して、ふらふらしながら靴を履いた。
「すいません、ハンガーにかけてます。着物」
「あ、ああ」
休憩室の扉から申し訳なくて少し伺い見るように顔を出すと、幹太さんは少し取り乱していた。
そしてすぐに目線をそらすと、咳払いして車へ乗れと親指で後ろを示した。
慣れないハイヒールに戸惑いながら、私は心臓の音が大きく鳴っているのを止めることが出来なかった。
あれ、は。
あれは、ラブレター?
慌てて財布の内ポケットに仕舞い込んでしまったが、怖くてもう一度見る気分ではない。
舞いあがってしまいそうだ。
「えーっと、着いたけど」
大使館の周りには、既に車や、警備の人たちで溢れかえっていて、これ以上は進めそうにない。
大使館の門は開け放たれ、賑やかなざわめきが聞こえてきている。
篠原愛紀