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眠りが浅くなった頃、何やら物音を聞いた気がした虎石は、粘(ねば)つく瞼をうすく開け、寝返りついでに辺りをゆるく見渡した。

何のことはない手狭な宿の一室だ。

すぐ側(そば)のベッドでは、相棒がこれを独占し、高鼾(たかいびき)をかいている。

もう明け方か、生地の薄いカーテンは外光をぼんやりと素通りさせており、心地よくも気忙しい囀(さえ)ずりが聞こえていた。

体の節々が痛むのは、床で一夜を明かしたせいだろう。

たらふく呑んだのは久しぶりだ。 まだ頭の中で蛇がのたくってる。

「ん……」

早く起きても、どうせ大した用事はない。

もう少しだけ、この最低な寝心地を堪能してやろうかと、愛用の中折れ帽を顔に被(かぶ)せて目を閉じる。

思えば、こうして惰眠(だみん)をむさぼるのもいつ以来だ?

仕事に追われていた頃は、寝ても覚めても神経が昂(たかぶ)っていたし、そもそも簡単に寝付けた試しがない。

酒の力を借りて無理に体を休め、眠ったかどうかも分からん内にモゾモゾと起き出すのが常だった。

二度寝など考えたこともない。

かの組織は言うなれば軍隊みたいなものだから、有事に備えておくのは当然で、リラックスとは縁遠い生活を送ってきた。

もっとも、公的な機関ではないため労災も無ければ恩給もない。

ケガをすればそりゃ多少の補填はあるのかも知れないが、基本的に自己管理と自己責任の世界だ。

ブラックを通り越したガチガチの体育会系。 そんな表現が相応しい。

そういや、ボスはどうしてるだろう?

幹部連に職責以上の義理立てはないが、取り分けあの人のガミガミ声が聴けねえのは、何となく寂しいような。

それにしてもアイツ、ゆうべはバカ笑いしやがって。

こっちまでうっかりと釣られる所だった。

「んん……」

夢路の縁(ふち)に特有の、取り留めのない思考がひっきりなしに去来する中、ふたたび現実感が希薄になってゆく。

心地いい甘眠の気(け)が、体の隅々へ狭霧(さぎり)のようにふわふわと行き届いていく。

「あ……?」

その間際、改めて小さな物音を耳にした虎石は、遠ざかる意識の裾(すそ)をすんでにつかみ止めた。

耳を澄ます。

人の気配だ。 宿の周りに多数。 こんなに朝はやくから?

「痛って………」

節々をパキパキと言わせながら身を起こし、爆睡する相棒をそっと押し退けて、カーテンの隙間から外の様子を観察する。

田舎風の土地柄にはそぐわない黒服が、数人ほど確認できた。

のろのろと頭を引っ込め、いまだ巡りの悪い脳みそを無理やりに働かせる。

順序立てて考えよう。 連中は何者か?

見るからにアウトローな出で立ちだが、地元の筋者(すじもん)か何かか。

宿屋に何かしらイチャモンをつけにきた? こんな祭りの日に?

ないとは言えないが、その辺りについては割合に重んじる連中のことだ。 可能性は低いように思えた。

あるいは取り立て屋か? トンズラこいた債務者がこの宿にいるってんで、乗り込んできた。

それにしたって、あんな目立った動きをするとは考えにくい。

『ヤバそうだったら、速攻で離れるからね? この町』

どこかでアイツの声がした。

頭のなかに立ち込めた霧が、徐々に晴れていくのを感じた。

とっ散らかった思考が、簡潔なパズルよろしくカチカチと速やかに纏まっていく。

もはや奔流と化した現実感が、脳みそを介さず心中へ一気に流れ込んできた。

そういや、いまの俺は──

瞬間、騒動の始まりを告げる号砲のように、隣室から立て続けに銃声が鳴り響いた。

取るものも取りあえず、廊下へ躍り出た虎石の眼に、酸鼻の光景が飛び込んできた。

両肩を撃ち抜かれた黒服が一名、側壁に背中を張りつけたまま、ズルズルと力なく崩れ落ちてゆく。

黄ばんだ壁紙には、ペンキを垂らしたような鮮紅が尾を引いており、事態の重さを峻烈に物語っていた。

「おいっ!? 無事──っ」

ともかく大呼して隣の客室へ駆け込もうとした矢先、当の部屋から勢いよく飛び出してきたリースが、こちらもまた大声を張った。

「トラ! 耳!!」

かすかに逡巡したが、防衛本能の一環か、反射的に手のひらが両耳を目指した。

その様子を認めるや否や、機敏に銃口を操作した彼女は、シングルアクションとは思えない速度で連射。 虎石の背後に迫った別の黒服を打倒した。

「お前……っ、ぶっ殺したんか!?」

「死なないよ! 普通は!」

大口径のピストルによる銃声は過大で、頭の芯に鐘をついたような残響がとどまっている。

これをどうにか剋(こく)して問い質したところ、少女はいつになく果敢な表情で親指をぐっと示した。

窮策とは言え、鼓膜を守る手段を講じてもなお、このダメージだ。

こんな狭い空間で、あんなデカい鉄砲ぶっ放しゃ当然だろう。

ところが、見たところ彼女は耳栓をしていない。

いったいどんな手品だよと、不思議に思うのと同時に、妙にうすら寒いものを覚えた。

何より、やり口が普段の人畜無害な印象とは大きくかけ離れている。

お国柄と言えばそれまでだが、あの小娘が人に向けて引き金を引けることにまず驚いた。

よもや夢を見ているわけじゃないだろう。

そこへ、騒ぎを聞いて飛び起きたと見られる宿泊客が、恐る恐る顔を覗かせた。

すぐさま当該のドアに体当たりを加えたリースは、己の体躯をそこに押しつけたまま、狙い目を廊下の突き当たりに定めた。

「トラ伏せて!」

言うが早いか、火球の炸裂を思わせるマズルフラッシュが辺りを明るみに曝し、再三にわたる銃声が小さな宿を震撼させた。

例に違(たが)わず肩口に痛手を負った黒服が、身悶えながら階段を転げ落ちていった。

「なに!? この人たち!」

階下では、なおも多数の気配が引きを切らず、口汚い怒号が頻発している。

慣れた手つきで空薬莢を弾き出し、新(さら)の弾丸を準備しながら振り立てるリースに対し、“たぶん組織の”と言いかけた虎石は、危うくと口を噤(つぐ)んだ。

巻き込んでしまった以上、明言するのは憚(はばか)られる。

焦げ臭いものが、鼻先をちくりと掠(かす)めた。

そう、こいつは俺の問題だ。

「隠れとけ! 無茶すんな!」

いまだ言い終わらぬうちに駆け出した彼は、ドタドタと殺到する一団に、身を賭して飛びかかった。

因果応報。 そんな語義がふと脳裏をよぎった。

それに伴う葛葉の面差しが、胸中にとっくりと浮かび上がる間もなく。 黒服の群れともつれ合う形で、一階はラウンジへと派手に雪崩(なだ)れ込んだ。

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