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ゆうき あきや
1,642
厚揚げ衣
20
なんたろ
1
いちご@ホロオタ×ぴちりす
295
第72話:アリスの無茶振りと、悲鳴〜アイドルの鬼畜ダンスと、労災を叫ぶ四十歳〜
「はぁ……っ、はぁ……っ、もう、勘弁してくれ……っ」
港区の超高層ビル、最新鋭のモーションキャプチャースタジオ。
冷暖房が完璧に効いているはずの室内で、俺は黒い全身タイツ(モーションキャプチャースーツ)をドロドロの汗で濡らし、冷たい床に大の字になってへたり込んでいた。
同接二十万人の大観衆が見守る中、開始十分でスタミナが切れ、心肺停止寸前の醜態を晒してしまったのだ。
「もう……一歩も動けねえ。俺の3Dコラボは、ここで終了だ……。あとはお前一人で、適当に歌って場を繋いでおいてくれ……」
俺が床に頬をすりつけながら遺言のような言葉を吐くと、頭上から元気いっぱいの声が降ってきた。
『なに言ってるんですかルシフェルさん! 同接、今二十五万人に増えましたよ! ここからが本番じゃないですか!』
アリスの3Dアバターが、倒れ伏す俺の超絶イケメンアバターを覗き込んでくる。
「増えなくていいんだよ!! これ以上俺の無様な姿を拡散するな! 恥で胃が溶けるわ!」
『はいはい、おしゃべりできる元気があるなら大丈夫ですね! さあ、立ち上がってください!』
アリスは俺の抗議を完全に無視し、有無を言わさぬ笑顔(ガワ)で、次の指示をオペレータールームに飛ばした。
『神崎さーん! 次の曲、お願いします! アッパーチューンで、一番激しいやつ!』
「は!? 激しいやつ!? お前、鬼か! 悪魔か!! 俺を殺す気か!!」
『大丈夫ですよ! リスナーのみんなも、和尚のキレッキレのダンス、見たいですよねー!?』
『見たいwwwww』
『死体蹴りやめたれww』
『おっさんのHPはもうゼロよ!』
『アリスちゃんドSで草』
『スパチャ:10,000円(香典の準備しときますね!)』
チャット欄の盛り上がりと連動するように、スタジオ内に、重低音の効いたバチバチのハイテンポなイントロが鳴り響いた。
ドンッ! ドンッ! と、床を震わせるような強烈なビート。
若手アイドルが、息を乱さずに激しく踊り狂うための、完全に『フィジカル全振り』の楽曲だ。
『さあ、いきますよルシフェルさん! 最初の振り付けは、腰を大きく振ってからの、大ジャンプです!』
「ば、バカヤロウ! そんな動き、四十歳の俺の関節が耐えられるわけ……っ!」
俺が悲鳴を上げながらも、プロのインフルエンサーとしての悲しき性(サガ)で、ふらふらと立ち上がってしまったのが運の尽きだった。
『スリー、ツー、ワン、GO!』
アリスのアバターが、見事なアイソレーション(身体の一部だけを動かす技術)で腰を滑らかに回転させ、そのままバネのように高く跳び上がった。
キラキラと輝く、百点満点のアイドルジャンプ。
「くそぉぉぉっ! やってやらぁぁっ!!」
俺もヤケクソになり、ぽっこり出た下腹部を無理やり捻り、スーツの強烈な締め付けに抗いながら腰を大きく振った。
そして、床を蹴ってジャンプしようと、両膝にグッと体重を乗せた、その瞬間。
『ピキィィィィィッ!!!』
俺の腰椎のあたりから。
マイクを通さなくてもスタジオ中に響き渡るような、破滅的な音が鳴った。
「…………えっ?」
時が、止まった。
脳が痛みを認識するより早く、俺の下半身から完全に力が抜け落ちた。
重力に逆らうことをやめた肉体は、そのまま無防備に、港区の固い床へと崩れ落ちていく。
そして、遅れてやってきたのは。
腰の奥底から込み上げてくる、焼け付くような、息もできないほどの『激痛』だった。
「……あ。……あ、あああ……」
俺は床に倒れたまま、エビのように体を丸め、両手で腰を強く押さえた。
「痛ぇっ! 痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇ!! ぎゃあああああああああっ!!」
マイクが、四十歳のおっさんの、ガチの絶叫を拾い上げた。
モニターの中の超絶イケメンアバターも、空中で不自然に体が折れ曲がったかと思うと、そのままステージに落下し、腰を押さえてゴロゴロと転げ回っている。
最新鋭のモーションキャプチャーは、俺の『ぎっくり腰』の苦悶の動きすらも、一切の妥協なく三次元空間に再現してしまったのだ。
『…………えっ?』
『ちょ、待って』
『和尚?』
『今の音、マジでヤバくないか?』
『放送事故?』
『ガチのやつだこれwwwww』
二十五万人の大観衆が、一瞬の静寂の後、かつてないほどのパニックと大爆笑の入り混じったコメントを弾けさせた。
アリスも、ただならぬ俺の悲鳴に、ダンスを止めて駆け寄ってきた。
『ル、ルシフェルさん!? どうしたんですか!?』
「こ、腰……っ! 腰の筋が、逝ったぁぁぁ!! 動けねえ! ミリ単位で動かしただけで、背骨に雷が落ちるぅぅぅ!!」
俺は涙と鼻水と汗で顔をぐちゃぐちゃにしながら、マイクに向かって泣き叫んだ。
「お前が……っ! お前が無茶なジャンプしろって言うからだぞ!! 俺の腰はもう、長時間のデスクワークで限界だったんだよォォ!!」
『あ、あわわわっ! ごめんなさい! まさか本当に壊れるなんて思わなくて……っ! 神崎さーん! 救急箱!! 湿布!!』
ガラスの向こうのオペレータールームでも、スタッフたちが青ざめた顔で立ち上がり、大慌てでインカムでやり取りを始めているのが見えた。
俺は、激痛で白目を剥きそうになりながらも、ある一つの『権利』を思い出し、血を吐くような声で叫んだ。
「ろ、労災だ……っ!!」
『えっ?』
「労災!! 労働災害だろこれ!! スタプロの仕事中に、無茶な要求されて怪我したんだぞ!! 治療費、全部スタプロ持ちの労災下りるんだよなァァァ!?」
スタジオに、俺の魂からの叫びが響き渡る。
しかし、その直後。
チャット欄の『有識者ニキ』たちから、氷のように冷たい、そして完璧な正論が突きつけられた。
『おっさん、落ち着け』
『労災は【労働者(会社員)】にしか適用されないぞ』
『お前はスタプロに雇われてるわけじゃない。【個人事業主】だろ?』
『つまり、自己責任。労災は下りません(無慈悲)』
「…………は?」
俺の痛みに悶える動きが、ピタリと止まった。
個人事業主。
そうだ。俺はスタプロの社員でもなんでもない。ただの業務委託、個人で活動するフリーランスだ。
個人事業主に、労災保険は(特別加入などをしていなければ)一切適用されない。
怪我の治療費も、休業中の補償も、誰も助けてくれない。
それが、自由と引き換えに全てを自己責任で背負う、インフルエンサーという名の修羅道。
「う、う、嘘だろ……っ」
俺の口から、絶望のうめき声が漏れた。
「俺……この腰の治療費、自分で……全額、自腹で払うのか……? 今月、予定納税もあるのに……っ?」
『wwwwwwwwww』
『腰の痛みより金(治療費)に絶望する男』
『フリーランスの闇が深すぎるww』
『底辺のリアルを見せつけるなwww』
『ジェミニ先生、労災の仕組みについて解説をお願いします!』
俺のあまりにも生々しい絶望に、リスナーたちの腹筋は完全に崩壊し、同接はさらに跳ね上がっていた。
そして、同情か、はたまた面白がってのことか。
再び、あの恐ろしい『極彩色の雨』が降り注ぎ始めたのだ。
『スパチャ:50,000円(労災下りないなら俺たちが払う!! 治療費だ!)』
『スパチャ:10,000円(個人事業主の悲哀に泣いた。湿布買え!)』
『スパチャ:50,000円(ブロック注射打ってこい!!)』
『スパチャ:10,000円(アリスちゃんを責めないで! これで許して!)』
「だァァァァァッ!! 投げるなァァァ!!」
俺は床に顔を押し付けたまま、激痛と恐怖の入り混じった叫び声を上げた。
「お前らのそのスパチャは、治療費じゃなくて【事業所得】になるんだよ!! 稼げば稼ぐほど、来年の消費税が増えるってさっき言っただろォォォ!!」
『あははははっ!』
『死にかけの税金和尚www』
「労災は下りないのに! 税金だけはしっかりむしり取られる!! なんだこの国は!! 狂ってんのか!! 俺の腰を返せぇぇぇ!!」
港区の超高層ビルのど真ん中で。
腰を破壊され、労災を否定され、そしてスパチャという名の『課税対象』をぶつけられ続ける四十歳。
俺の3Dコラボは、トップアイドルのキラキラしたステージを完全にぶち壊し、日本という国家の税制と社会保障の残酷さを全世界に訴えかける、伝説の『社会派エンターテインメント』へと昇華されたのであった。
コメント
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いやもう、冒頭から最後まで笑いっぱなしでした(笑)。アリスの無邪気な無茶振りと、和尚のガチ悲鳴のギャップが最高すぎる。「労災下りないし、スパチャは課税対象」というフリーランスの闇を、エンタメに昇華するスタイル、本当に憎いです。同接が跳ね上がるたびに和尚の絶望が深まる構造も秀逸。次回、腰は無事なんでしょうか…心配だけど笑ってしまう(複雑)。