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三文小説
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#mmab
七瀬⛄️
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気がつくと、おれはベッドの中で眠っていた。次の朝が来たようだった。目の前には阿部ちゃんの顔がある――いつの間にか、陶器とグラスアイでできた、元のビスクドールに戻っている。先に目を覚ましていたらしい彼は、おれが起きたことに気づくと、にっこりと綺麗な笑みを浮かべた。
「おはよう、蓮」
その声に、昨日のことが走馬灯よろしく頭の中を駆け巡って、おれは思い出す。
もう、彼のことを“阿部ちゃん”とは呼べない。
「おはよう」
そう返したところに、どこからかひらりと一枚の紙が落ちてきた。
体を起こしながら手に取って見てみると、その紙はメモのようで、文章らしきものが書かれている。
おとぎ話の王子様は、死んでも死なない。王子だから。
人魚姫が選択したのだから、王子も選択しなければならない。
偽物にナイフを。真に愛しい人に、口づけを。
「……ああ、そういうことか」
起き抜けの頭で何とかその意味するところを理解して、思わず声に出していた。
昨日見たものは――鏡の中にいた愛しい姿は、夢でもなければ偽物でもなかった。
きっと彼は、阿部ちゃんは、今もなおあそこに閉じ込められていて、おれたちを鏡越しに見つめているに違いない。
メモから視線を上げれば、横たわったままの人形がただ微笑んでいる。まるでおれの選択を待っているかのように。
「最後に少しだけ話をしたいんだけど、いい?」
そう尋ねると、彼は微笑みを崩さないまま小さく頷いた。起き上がろうとする彼に手を差し伸べて引っ張ってあげれば、そのまま自然とその体がおれの腕の中に収まる。冷たくてつるりとした、無機物の体。
「きみは、阿部ちゃんじゃないよね。見た目は阿部ちゃんそっくりだけど、少なくとも人間じゃない。……いったい、何ものなの?」
「……蓮はもう、わかってるでしょ?」
おれの問いかけも、彼の返答も、かたちは疑問形だったけど同じ内容を断定していた。
枕元には、昨日見つけたぼろぼろの人形がちょこんと座っている。
「蓮が名前を呼んでくれて、嬉しかった。ひとが自分の愛する誰かの名前を呼ぶ声って、こんなに温かくて優しいんだって、初めて知った」
ぽつぽつとこぼされる彼の声は、まるで枕元の人形が喋っているように聞こえた。
「最後にもう一度だけ、名前を呼んでくれる?」
「……ごめん。それは出来ない。阿部ちゃんの名前は阿部ちゃんのもので、きみのものじゃないから」
「ふふ、そうだよね」
ひどく穏やかに笑って、腕の中の彼がおれに体を預ける。抱きかかえられた人形さながらの様子で、じっとそのまま動かない。
おれの腕に伝わってくる感覚も、命ある人間を抱いているのではない、まさに無機的な人形を抱えているようなそれだった。
「でも、偽物だとわかっても、蓮は俺のことを大切にしてくれて……愛されてる、って思えた」
「うん……きみが阿部ちゃんじゃないことは察したけど、まったく別ものとも思えなかった。何となく、元々の阿部ちゃんの名残みたいなものがあるように感じたから」
「すごいね、蓮にはそこまでわかっちゃったんだ」
確かに、初めてこの部屋で目を覚ましたときから彼は人形で、本来の阿部ちゃんではないと感じるような違和感がいくつもあった。
けれど、百パーセント完全に阿部ちゃんではないとは思えなかった。表情、言動、しぐさ、その端々に、本来の阿部ちゃんと同じものが滲んでいた。ほんのわずかでもそれがある以上、彼が本来の阿部ちゃんに繋がる可能性を否定できなかった。
たとえ無意識でも、おれが彼を阿部ちゃんとして――おれにとって大切な唯一無二の存在、阿部亮平そのひととして、愛した瞬間はあったはずだ。
「こんなに愛されて、大切にされて、“阿部ちゃん”は幸せ者だね」
腕の中の彼が笑う。
「そうだったらいいなと思うよ」
「きっとそうだよ。だって、俺がそう思うんだから」
優しい笑みを、本物の阿部ちゃんが見せるのと同じそれを浮かべる彼に、ナイフを突き立てなくてはならない。
本物の阿部ちゃんを、鏡の中から救い出さなくてはならない。
息を吸って、吐く。それからゆっくりと枕の下に手を忍ばせて、リボンが結ばれたままのナイフを取り出した。
それを見て、腕の中の彼はすべてを理解したようだった。そっと目を閉じ、ほんの少し顔を傾けておれに寄せる。
「もう、終わりだね」
「……ごめん」
「でも、それでも……俺は、嬉しかったよ」
そう言って、彼はゆっくりと口を閉ざした。緩やかな弧を描いた唇に視線を落として、ナイフを逆手に握り直す。
ありがとう。
ごめん。
言葉にしてしまえばナイフを持つ手に力が入らなくなってしまいそうで、おれはその二つを心の中で唱えながら、鋭く光る刃を彼の心臓めがけて突き刺した。
がしゃん。
陶器が割れ、砕け落ちる音が響いた。
彼の体が崩れ落ちる。血も出ない。涙も流さない。満ち足りたような、安らかな表情を残して、おれが壊した人形の陶器の体は事切れた。
そのそばにナイフを置き、せめてもの気持ちで手を合わせると、ベッドから下りる。まっすぐ向かった先はもちろん、鏡の前だ。
鏡越しに、愛するひとが膝を抱えてうずくまるように座っているのが見えた。片膝をついて視線の高さを合わせ、覗き込む。
「阿部ちゃん」
呼びかけると、ばっと勢いよく顔を上げた。その大きな瞳がみるみる潤んでいく。
れん、と、おれの名前の形に動く唇が、小刻みに震えている。
鏡についたおれの手に重なるように、阿部ちゃんの手が伸びてくる。
どちらからともなく顔を寄せて、そのままおれは鏡に口づけた。鏡の向こう、阿部ちゃんの唇に重ねるように。
阿部ちゃんは、それを受けとめるみたいに額や鼻先をこちらへ押しつけながら嬉しそうに笑い、そしてぽろりと涙を流した。
その涙が頬を滑り、鏡面を濡らす。
途端、ぱりん、と音を立てて、鏡が割れた。
おれと阿部ちゃんを隔てていたものがきれいに崩れ落ちる。目と鼻の先、もうすぐに触れられる距離に、阿部ちゃんがいた。
「蓮っ!!」
泣きながら、笑いながら、阿部ちゃんがおれの胸に飛びこんでくる。
おれはろくに声も出せないまま、必死で彼をぎゅうぎゅう抱きしめた。
あたたかい体温、やわらかな感触、優しいにおい。阿部ちゃんを阿部ちゃんたらしめるものが、怒涛の勢いで全身の感覚器官に流れ込んでくる。
それに圧倒されるように、おれの意識はふっと途切れた。
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