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「猫ちゃん、私ね……失恋しちゃったの……。相手は長いこと会ってなかった初恋の人なんだけどね、色々あって再会したらすっごくカッコよくなってて驚いちゃった……。彼女さんがうらやましいよぅ。もし……私の方が先に出会ってたらって考えても仕方のないこと思っちゃう……」
周りに誰もいないのをいいことに、目の前の猫に心のうちを吐露してみる。
彼女さんのことは遠巻きにしか見られなかったけれど、土井さんが自分のことをたいくんの好みだと言ったのが少しだけ分かった気がした。
杏子にとってコンプレックスな、お胸が小さなお子様体形も、きっとあの彼女さんとなら気持ちを共有できる。顔立ちも、どこか自分と似て感じられたのは二人ともちょっと釣り気味のアーモンドアイだからかも知れない。
性格までは分からないけれど……人は見た目が九割で、中身はそのあと好きになると聞いたことがある。
だとしたら、出会う順番が違えば、大葉に抱き締めてもらえていたのは自分だったかもしれない。
「たいくんと両想いになりたかった……」
ポツンとつぶやいたと同時、ピューレを舐め終えた猫が、「にゃ」と不愛想に一声お礼鳴きをして、繁みの奥に走り去っていってしまった。
「あ、……待っ――」
ひとりにされるのがイヤで思わず手を伸ばしたら、ずっとしゃがんでいて足がしびれたからか、バランスを崩して地べたに這いつくばる形になって……。折悪しく足の下に尖がった小石があって、ひざにそれが刺さってしまう。
「痛っ」
猫のお陰でほんの少し上がりかけていた気持ちが、一気にしぼんで、自分は猫にも見放されてしまうような女なんだと思ったら、止まっていたはずの涙が復活して……ポツポツと地面に小さなシミを作った。
――きっと、誰かの幸せを奪い取るような変な願い事をしてしまったから……猫にも見切りを付けられてしまったんだ。
猫がそこまで考えているはずはないと、頭の片隅では分かっているのに、どんどん悪い方向に気持ちが向かってしまう。
(立ち上がらなきゃ……)
いつまでもこんな情けない格好のままでいるから、そんな不毛なことを考えてしまうんだ。そう思うのに、身体を起こせないまま身動き出来ずにいたら、
「ねぇキミ。暗くなってきてるのに……女の子がこんな人通りの少ないところに一人で居たら危ないよ? ――もしかして……気分でも悪いの?」
突然背後から柔らかな声が降ってきて、杏子はノロノロと振り返った。
***
今日は自分の部署――財務経理課――の部下・荒木羽理が有給休暇で休みだった。
体調不良と言うことだったが、前の日に彼女を見舞っていた倍相岳斗としては思うところがなかったわけじゃない。
(あの後なにがあったかなんて聞かなかったけど……まぁ恋人同士がひとつ屋根の下となれば……お察しだよね)
朝、屋久蓑大葉と話しながらそんなことを考えたのを思い出す。
荒木さんに罪はないけれど、明日には是非とも回復していて欲しい。
そのためにも帰り際、屋久蓑部長に『今日はほどほどにして下さいね?』と軽く釘を刺そうと思っていたのに、終業後所用があって出かけている間に彼は帰ってしまっていた。
大葉、今朝は珍しく遅刻してきていたし、今までの〝屋久蓑部長〟の働き方を思えば、その分――いや、ともするとそれ以上に残業するものだと思っていたのだが、どうやら考えが甘かったらしい。
(家に残して来てる荒木さんが心配だったんでしょうけど)
何だか今までの〝屋久蓑部長〟のイメージとかけ離れ過ぎていて、ちょっと笑ってしまった岳斗だ。
何にせよ、いつもなら法忍仁子と荒木羽理が手分けしてこなしている仕事の大半を法忍さん一人に任せてしまったため、今日は岳斗もそのサポートで結構大変だったのだ。
(荒木さん、前の日にも早退しちゃってたしね)
結果的に法忍さんに物凄い負担を強いてしまった気がして、少し労おうと声を掛けたら「じゃあ夕飯をおごって欲しいです」と言われた。
法忍仁子のことだ。てっきりどこか外食へ連れて行って欲しいと言うのかと思いきや、疲れているから家でのんびり食べたいと言われて、フレンチのテイクアウトをねだられた。
法忍さんにそれを買ってあげて現地解散してから一人帰社してみれば、終業から一時間も経っていないというのに屋久蓑大葉は退社した後だった。
いつもならそれで諦めるところだが、二日連続で見舞いに来ましたなんて言って荒木さんのアパートを訪問したら、大葉さんがどんな反応をするかな? とかちょっとしたイタズラ心が芽生えてしまった。
岳斗は先日みたく荒木羽理の家まで出向いて、二人の間にほんのちょっぴり水を差してやろうと思ったのだけれど――。一応荒木さんには訪問する旨を連絡しておこうと電話をかけてみたら、電源が切れているんだろうか? そんなアナウンスが流れるばかりで一向に繋がらない。
(まさかまた大葉さんと揉めた?)
ふと嫌な予感がした岳斗だったけれど、上司だからか、そんな疑問をぶつけるために大葉へ電話するのは何となく気が引けて。とりあえず荒木さん家へ行ってみようと思った。
***
そんなこんなで愛車に乗ったまま、一度は荒木羽理のアパート前まで来てみた岳斗だったけれど、過日思いのほか長々と路上駐車をしてしまったことを思い出した。
(あれはよくなかったよね)
そう思って、今日は荒木さんのアパート近くのコインパーキングへ車を停めて散歩がてら、歩くことにした。
(陽が落ちても結構暑いなぁ)
汗ばんだシャツが身体に張り付くのを、胸元をつまんで空気を取り込みながら荒木さんの家の近くの神社まで来たら、小柄な女性が道端にうずくまっているのが見えた。
その人影の背格好が、何となく部下の荒木羽理に似ているように思えて、彼女に電話が繋がらなかったことも後押しした岳斗が、『もしかして荒木さん?』とソワソワしながら近付いてみれば、髪の長さが少し違う。
知り合いじゃないにしても、大人の女性が、道端で四つん這いになったまま動けないなんて普通のことじゃない。
「ねぇキミ。暗くなってきてるのに……女の子がこんな人通りの少ないところに一人で居たら危ないよ? ――もしかして……気分でも悪いの?」
別に荒木さんでないならば、素知らぬ顔をして通り過ぎても岳斗には何の影響もなかった。だが、何故か妙にそのままにしておけない気がしてしまった。
岳斗は、基本的に女性があまり好きではない。
いつも自分の容姿ばかりに惹きつけられて、勝手にこうに違いないと幻想を抱いて、イメージが違ったと言っては勝手に幻滅する。
いい加減自分の中身を見てくれない、見てくればかりを気にする女性たちには辟易していたし、そんな人たち相手に真摯に応対できるほど出来た人間ではない。
知らない女性に関わるのはそういうリスクを上げることに他ならないから基本的には避けていた岳斗だったのだが。
自分では説明出来ない衝動にかられて、つい声を掛けずにはいられなかった。
そうして、振り返った彼女の顔を見た瞬間、岳斗は思わず息を呑んだ。
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岳斗、どうした!?