テラーノベル
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朝、事務所に入ると空気がどこかざわついていた。理由はすぐにわかった。
「でさ、本当にケツ触ってたの?」
いきなり飛び出した言葉に、俺はコーヒーを一口も飲まないうちに立ち尽くすことになる。
Miriが無言でスマホの画面を突きつける。そこには、組織の右腕——GETがボス・Townの上に覆いかぶさり、しかも片手で尻を掴んでる写真。
……いや、え?
「これがうちの組織の日常です」
Dirが低く笑いながら言い放ち、デメが「柔らかかったですか?」と真顔で訊ねる。
そしてその場の中心にいたGETは、壁にもたれて顔を真っ赤にして叫んでいた。
「違うんだって!事故!マジで記憶ないんだよ!」
俺はコーヒーを口に運ぶのをやめた。
この組織、もう何もかもが狂ってる。
ボスであるTownは、騒ぎの中心にいながら、いつも通り椅子に腰掛け、赤い糸で閉じられたまぶたの奥から、何かを視ていた。
彼は何も言わない。ただ、存在している。それだけなのに、空気は異常に張り詰める。
俺はこの組織に入ってまだ日が浅い。
命を拾われ、借金を肩代わりしてもらって、それが縁だった。
最初は、正直、憧れすらあった。
金、力、ルール無用の生き方。
でも今では、そう思った自分を殴ってやりたい。
───
昨夜の出来事は、あとで知った。
GETは一人で酒を飲んで、心を潰して、真夜中に事務所に戻った。
そこにTownがいた。
黙って、動かず、何かを待つように座っていたらしい。
そしてGETは、隣に崩れ落ちるように倒れ込み、言葉を漏らした。
「俺がここにいるのは、借金が理由だろ?
それでいいのか? Town……」
そのとき彼は、酔いに呑まれながら、Townの腰に手を伸ばした。
どこかで触れたのだろう。
それでもTownは一言も発さず、ただ彼を抱いたらしい。
───
その話を聞いたあと、ふと疑問に思った。
なぜ誰も、この関係に踏み込まないのか。
興味本位で、Dirに聞いてみた。
「……GETとTownって、どういう関係なんすか?」
Dirは答えなかった。
代わりに、目の奥に一瞬だけ、警告のような光が見えた。
いつもふざけてるあの人が、ただ一言。
「お前、触れんな」
その言い方があまりに静かで、背筋が冷たくなった。
それでも俺は、無知だった。
どこかで「もっと知っていい」と思っていた。
でも——その夜、俺は見てしまった。
誰もいないはずの事務所で。
GETがボスの背後に立ち、何かを呟いていた。
ボスは椅子に座り、顔を上げた。
赤い糸の奥、わずかに覗く目が、GETをまっすぐに見つめていた。
「……お前がいないと、俺は壊れる」
「壊れてるのは最初からだよ、ボス」
冗談のようなやりとり。
でもその中に、恋でも友情でもない、言葉にできない重さがあった。
俺は震えた。
それは愛じゃない。執着でもない。
互いの存在が、自分の「核」になってる。
踏み込めば、きっと、狂う。
───
翌朝、俺は荷物をまとめて事務所を出た。
理由は聞かれなかった。
ただ、Miriが小さく笑ってこう言った。
「やっぱり、見ちゃった?」
頷くと、彼はこう言った。
「GETとTownのあいだには、境界がないんだよ。
ふつうの人間が踏み入れたら、呑まれる」
俺は何も言えなかった。
その夜から、夢に赤い糸が出てくる。
笑えない日常の奥に、絶対に触れてはいけない“なにか”がある。
それを知ってしまったら、俺はもうここにはいられない。
これは俺が、この組織を去った日。
狂った絆の、ほんの端を見た——そんな日の話だ。
その関係に俺は踏み入れては行けないと。自然にそう悟った。
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