「あっ!僕このクラブハウスサンドイッチも食べようかな?ねぇくるちゃんはお持ち帰りなの?」
「ううん・・・今日はスパゲティを食べたくて・・・奥のカフェで夕食を澄ませて帰るつもり」
「そうなんだ!もしよかったら僕も一緒していい?」
クスッ
「別にいいわよ」
ジョギング姿の彼を見てくるみはぼんやり思った
確かにこの人はハンサムだし・・・
話しやすくて、ちょっと胸がときめくけれど―
くるみは苛立たしげに肩をすくめてその思いをかき消した
彼は愛想が良くて素敵だけど、とてもではないが国際ディーラーほど頭が切れるという感じではない
もう!
洋平君と笑ってディナーを食べるより、もっと考えなければならないことがたくさんあるのに!
途端にシュンとくるみは暗い気持ちになった
人気店の奥に隣接してあるコリアンカフェは、平日の夜にもかかわらず沢山のお客で賑わっていた
そして店員は洋平をはじめ二人に気付くと、すぐに角のテーブル席を用意した
ジョギングウェア姿の洋平は礼儀正しくくるみの椅子を引いてから、向かいに優雅に足を組んで座った
くるみは彼の配慮が嬉しかった。さりげなく親し気にしてくれる彼にはとても好感がもてる、それでいてちっとも馴れ馴れしくないのだ
しかし残念なことにくるみは彼が何者で何歳かも知らなかったし、時々この店で2~3言葉を交わすだけの仲なので、今は彼に気を使って会話を盛り上げる気にもなれなかった
「シャルドネの白を一本頼んだよ!ここのチーズフォンデュ先日食ったらマジで上手かった!」
洋平はテー ブル越しにくるみを眺めた
「チーズフォンデュは好き?他に好き嫌いとかある?」
「おいしければ何でも好きよ・・・」
「お互い一人じゃ、やっぱり外食に偏っちゃうなぁ~」
そう洋平がくるみに聞いた所でウェイターがやって来て、二人の前にぐつぐつ煮えたフォンデュの鍋と
柄の長い特製のフォークを置いた
それから手早くワインの栓を抜き、味見のために少しだけ洋平のグラスに注いだ
洋平はワインを飲み慣れた人がするように、まずグラスを振ってワインの中に沈殿物がないか確認し、そして匂いを嗅ぎ、クイッと一口飲んだ
そして「何も問題ない」とウェイターに合図した。すまし顔のウェイターが、すかさずクルミと洋平のグラスにワインを注いで去って行った
二人になると
洋平はワイングラスを目の高さに持ち上げた
「こんな格好で申し訳ないけど、すばらしい金曜の夜のために乾杯でもする?それからどうしてそんなに落ち込んでいるか聞いてもいい?」
くるみは洋平のグラスにカチンと自分のグラスを合わせると、心もとない気持ちでワインを一口、それからまた一口、口に運んだ
不安で胃が縮んでいなかったらさぞかし美味しいワインと思えただろう
そしてため息をついてデートでもない、ただのカフェ友達の洋平に・・・とても惨めな気持ちで、週末に偽装の恋人を見つけないといけなくなった話を一部始終話した
「それで・・・必要に迫られて・・・母に小さな嘘をついたの、そしたらそれが雪だまる式に膨らんで」
ありがたいことに洋平はくるみを責めなかった
「何の必要に迫られて?」
彼はラズベリータルトを一口かじった
「家族を慰めるためよ・・・みんなに私の心配をするのをやめさせたかったの」
くるみはすかさず首を振った
「いえ・・・それは正しい言い方じゃないわね
みんなに私を放っておいて欲しかったの・・好きな道を歩ませて欲しかったのよ、このまま市内にいて秘書の仕事を続けたかったの」
「それで?・・嘘をついたの?」
くるみはコクンと頷いた
「去年の今ごろ・・・お父さんが少し体を悪くしたの、両親は私が秘書を辞めて奈良の実家に戻り一緒に住むことを望んだわ。
私は・・・両親を愛しているけれど毎日一緒に暮らすのはやりきれなかったの、それをどう説明していいかわからなくて―――
私がこの秘書の仕事に対してどんな夢や計画を持っているかなんて、あの人たちには理解できないのよ」
くるみは鍋の中で煮えたぎるチーズをじっと見つめた
あのときの、くるみが家を出ると言った時の傷つき、当惑した母の顔を思い出して少し胸が痛んだ
「つまり・・・
家に帰らないで済む言い訳が欲しかったから
居もしない恋人を考え出したんだね?」
洋平はそう聞きながらハフハフとアスパラをチーズにくぐらし、ワインと一緒に胃の中に流し込んだ
「気軽な気持ちでフト思いついた事を口にしただけなの、すてきな国際金融家の億万長者と出会ってお付き合いすることになったから、出来るだけ傍にいたいのって・・・」
その時洋平は腹をかかえてワハハハと笑った
くるみは真っ赤になって辺りをキョロキョロ見渡した
「しーっ・・・ちょっと!声を落として!」
クックック・・・・
「なぜ国際金融ディーラーにしたんだい?」
まだ彼は目に涙を浮かべて笑っている
―もうっ!
こっちは真剣に悩んでいるのに失礼しちゃうわ!―
くるみはプクッと頬を膨らませた
「最初に頭に浮かんだ仕事の名前を言っただけよ、だって医療関係だったらどこの病院に勤めているかだの、大学はどこだの、実家はどこだとか聞かれるでしょう?金融業なら医療一族のうちの最も遠い職種だから嘘がつきやすいと思って・・・」
「億万長者というのは?」
くるみは顔を赤らめた
「嘘をつくなら、徹底的にしようと思って・・・・
もちろんわざと家族を騙そうとした訳ではないんだけど・・・(国際金融業の五十嵐渉)はとても都合がよかったのよ」
「五十嵐渉?君の恋人の億万長者は、五十嵐渉っていうのかい?」
片眉をくいっと上げた洋平の表情は、何だか面白そうに瞳をキラキラ輝かせている
「・・・・そう・・・なんだかお金持ちそうな名前って・・・考えたら・・・それが出てきて 」
クルミはもう一口ワインを啜った
「そうね・・・・もっと前にやめるべきだったわ
でも、自分のしたことに気付いた時には遅すぎたの
両親はその素敵な国際金融家に会うのを、もう半年も前から楽しみにしているんですもの。今では私がしがない田舎の医者一家を恥じていて、渉を連れて来ないんだと勘ぐってるくらいなの、私が今度その恋人を連れて帰らなかったら、母はとても傷つくわ」
「なるほど・・・・心配性のご両親を思っての嘘だって言うのかい?」
くるみは洋平の少し呆れた冷たい声に潜む皮肉には、 少しも気づかなかった
「次第に五十嵐渉という人間の必要性が増して、家に帰らない理由を言う時にはいつでも彼をアリバイに使うようになったの・・・・
彼とは結婚の話が出ているとか・・・半同棲のようなものだとか・・・
おかげで母は、私が実家に帰る度に見合いの話をしなくなったし、父は私が少しグレードの高いマンションに引っ越しても支払いが出来るのか心配するのをやめたわ
とても都合がよかったのよ・・・・
いつの間にか、私は居もしない五十嵐渉を世紀の大恋愛に仕立ててしまっていたの」
洋平は今度は笑わなかった、その代わりゆっくりとパンを柄の長いフォークで刺し、チーズをくぐらし、熱々のフォンデュにして口に入れ、う~んと目を閉じ口をもぐもぐした
「別れたと言えばいいじゃないか」
「それはダメ!!」
思いがけずクルミから出た言葉は激しい口調になってしまった
「それは・・・ダメなの・・・・」
クルミの心の中に麻美と誠が浮かんだ。気持ちを静めながら、くるみは繰り返した
「どうしてもフィアンセが必要なの!いなきゃ困るのよ」
洋平がナプキンで口元を拭きながら言う
「もしかして・・・その結婚式に別れた男が来るとか?ソイツにまだ未練があるとか?」
くるみは膝の上で握った拳に力をこめた
「・・・あなたが考えているような事じゃないわ洋平君・・・未練なんかないけど別れた彼が妹と結婚するの」
「なんと!まるでドラマだ!クズだなソイツ」
「それで君は別れた男と妹と家族を安心させるために、フィアンセのフリをしてくれる男が今週末必要になって慌ててるんだね?
君の気持は?本当はそんな結婚式なんか
行きたくないだろう?惨めになるだけだ!」
「もちろんよ・・・・」
くるみは静かに答えた・・・
あの浮気をして自分の愛を傷つけた誠が妹と結婚するのを目のあたりにする、そう考えただけで切なくて心が痛い・・・
でもそれ以上に母を落胆させたくない気持ちがある
自分は母を愛している・・・
だからどうしても今週末は、誰かに頼んで恋人のフリをしてもらったら全部丸く収まる
「家族思いも・・・・重症だな・・・」
「自分でもそう思うわ・・・」
ふ〜っと洋平は腕をくんで宙をみあげた
なんだか悲しくなってくるみは涙が出て来た。洋平は椅子の背にもたれて言った
「どんな段取りを考えているのか話してくれないか?」
「え?だんどり・・・って・・・?」
「君さえよければ、僕が今週末(五十嵐渉)になるよ!」
「本当に?」
くるみは驚きと安堵で大声を出さずにはいられなかった
でも一気に不安が募る
「でも・・・・あなた・・・国際金融業のディーラー役なんか絶対演技出来ないでしょう?」
ボソッ
「楽勝だよ・・・」
うん?とくるみは首を傾げた
「何か言った?・・・そういえばあなたご職業は?
何をされてるの?」
そもそも彼とはここのカフェで2~3度世間話をしただけだ
彼の事は何も知らないのを、今くるみは改めて実感した
「え~と・・・実の所・・・僕は俳優の卵なんだよ」
洋平は窓の外を見ながら言った、忙しく何かを頭の中で回転させているようだった
「え?」
「そうだよ!・・・俳優って言っても舞台俳優さ・・・あっちの舞台・・・こっちの舞台を呼ばれたら・・・とかね・・・」
くるみは慌てて言った
「まあ・・・
あなたもしかしたら有名な俳優さんなのね?
それなのに私ったら全然気がつかなかったわ!
ごめんなさい
私・・・そういう事にとても疎いの・・・
会社でもアイドルの事とか言われても全然わからなくて映画とかテレビとかあまり見ないものだから・・・」