テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
まっしゃん
446
#ペルソナ3P
琴葉
33
9月の終わり頃。悪趣味な黄金城のような階層を、彼らは探索していた。こちらの不意を突いた強敵との戦いで、前線メンバーは大いに消耗していた。
『天田君、戦闘不能!誰か救護を!』
特別課外活動部のメンバーで唯一の小学生ある、天田乾がその強敵との戦闘で倒れた。そこに更に畳み掛けるように、シャドウは照準を天田に定めている。
「チッ…!」
それを見ていた荒垣が、すぐさまシャドウに向かってその大斧を振り下ろした。その強烈な一撃で、シャドウは消滅した。
「天田!」
シャドウが消滅したことを確認すると、荒垣は天田の元へ向かった。既に天田の傍にはゆかりがおり、回復スキルを使用している最中だった。
「…うぅ…」
「天田…!」
ゆったりと、天田は瞼を開けた。その視界には、荒垣の顔が映っていた。
『良かった…意識が戻ったみたいですね。天田君、大丈夫?』
風花の声が届くが、まだぼんやりしているのか天田は返答しない。
「…天田?どうした?」
リーダーである結城が天田に声をかけるが、それも返答がない。
そして、少し間を置いて、天田は荒垣を見つめてこう言った。
「——お兄さん、誰?」
「…は?」
その時、荒垣は呪った。
こんな幼い少年を何度も理不尽に放り出す世界を。
ーーーーーーーーーーーーーー
ぼんやりと目を覚ました。目の前にいるのは、ニット帽を被った…長い髪の男の人。少し目つきが怖い。
「——お兄さん、誰?」
「…は?」
僕がそう言った時、男の人は唖然としていた。
——あれ?
僕…ボク、ぼく?”僕”って、誰?自然と頭から出てきた言葉なのに、まるでその意味がわからない。何度も、頭の中で”僕”という言葉を繰り返す。でも、”僕”は言葉の引き出しの手前に入っているだけで、”僕”を取り出して見てもその中身は空っぽだった。
“僕”が、わからない。
「——何、言ってるんだ…」
「…?」
「ッ、お前…悪ふざけにしちゃ、度が過ぎるだろうが…!」
男の人は怒っている。どうして?
「ここは、どこなんですか?」
「おいッ…」
「僕は…」
「——ぁ」
「誰ですか?」
ーーーーーーーーーーーーーー
「戻ってきたか」
「ワン、ワンワンッ!」
エントランスまで戻ってきた4人を真っ先に迎えたのは、美鶴とコロマルだった。コロマルは困惑している天田に飛び付き、美鶴は結城と話し始めた。
「わっ!…ワンちゃん?」
「ハッハッハッ、ワン!」
「ふふっ、可愛い」
天田は飛び込んできたコロマルを何とか受け止めて、恐る恐るといった様子で撫で始めた。
「コロ…マル。もうちょっと控えろ。一応コイツは怪我人だ」
「クゥーン…ワン」
荒垣は少しだけコロマルを天田から離すと、コロマルは悲しみつつも言われた通り天田の近くで大人しくし始めた。
「コロ、マル?この子、コロマルっていうんですか?荒垣さん」
天田は荒垣に顔を向けると、疑問をぶつけた。
「…あぁ」
荒垣はその天田の姿を見ていられなくて、ふっと目を逸らした。
「結城、天田の様子はどうだ?」
一方、美鶴と結城は天田のことで話し合っていた。
「…エントランスに戻ってくるまでに色々聞いたけど…やはり、記憶がない。僕達やこの影時間のこと、果てには自分のことも…何も、覚えてないみたいだ」
「…そうか」
美鶴は、何かを思案するかのように、床に視線を落とした。
「あと…何でだかはわからないが、荒垣先輩に凄く懐いている」
「荒垣に…?」
理由はわからないが、天田は自分のことを聞くより先に荒垣の名前を聞いて、起きてからはずっと荒垣にくっついていた。
——2人の事情を知る美鶴や真田にとっては、荒垣の心境を考えると何ともいたたまれない。
「提言、であります」
遠巻きから2人の会話を聞いていたアイギスが歩んでくると、そう言い出した。
「アイギス、どうかしたか?」
「鳥は、生まれて最初に見たものを母親と認識します。天田さんも同じで、最初に見た荒垣さんを、自分の保護者か何かだと認識しているのではないでしょうか」
所謂刷り込みと呼ばれる現象だが、それが記憶を失くした天田にも適応されるのだろうか…と、結城は思考を回しながら、天田達の方を見た。
今までの天田は子供と見られるのが嫌いで、ずっと背伸びをしていた。だが、今の天田からとてもじゃないがそれを感じられない。今もコロマルとじゃれ合いながら、屈託のない笑顔を見せている。今までもたまに見ることはあったが、あんなに堂々と晒すことはなかった。
つまり、今の天田は…生まれたばかりの、天田のようで天田ではない子供。アイギスはそう解釈しているようだった。そもそも、記憶を失くしたのだから、前までの天田はもうあの子には残っていないのだ。親のことも、自分のこともわからない子供が、目が覚めた時1番近くにいた人を、保護者と認識するのだろうか…。
「いや…」
現に、あの天田は目覚めて1番最初に見た荒垣によく懐いている。父親とでも認識しているのかもしれない。
「…原因が何であれ、今は荒垣に任せるしかないだろう。天田も、彼にとても懐いているしな」
「あぁ…」
そこで美鶴との会話を終えると、風花に声をかけ全員で寮に戻った。
ーーーーーーーーーーーーーー
「…天田、起きてるか?」
翌朝。
学校も行ってないのに珍しく朝起きした荒垣は、天田を起こしに行った。影時間が終わった後、記憶が戻ったりしたんじゃないか…そんな希望的観測は、扉の奥から笑顔で出てきた天田の姿を見て、一瞬で消え失せた。
「おはようございます、荒垣さん!」
天田に学校のことは伝えていないから、まだ寝てるかもしれないと思っていたが、出てきた天田はもうとっくに朝の支度を終えていた。普段は制服の下にパーカーを着ていたが、今は冬用の私服を着ている。
「あぁ…今から朝食だ」
「はい!…ご飯って、どんな感じですか?」
天田は、ほとんどの記憶をあのタルタロスで零した。日常生活すらままならないほど、彼は何もかもを忘れていた。
——否、言葉は覚えているが、その言葉がどんな意味を持つのか…そのほとんどを、ぽっかり失くしていた。
「あー…生きるために必要なもんだ。飯は好きな奴はとことん好きだし、嫌いな奴はとことん嫌いだ」
「ん…よくわかんないや」
「…見ればわかる」
顎に手を当ててうーんと悩み始めてしまった天田の腕を無理矢理引っ張って、ラウンジへ連れていく。
「連れて来たぞ」
「あぁ、助かる。——その様子だと、戻ってないみたいだな」
階段を降りてきた2人を見て、美鶴はそう声を発する。天田は荒垣と手を繋いでおり、以前までの天田を知るものなら確実に異変に気づける。もちろんこの寮に住む者は全員、すぐに記憶が戻っていないことを察した。
「あ…!それって、ご飯ですか?皆さんはもう食べてるんですね」
「おー、オレ達は学校あるからな」
「学校…?」
順平の学校という単語に少し引っかかった反応を見せたが、「それよりも早くご飯が食べたいです!」と言われたため、学校の意味はあとで教えようと決めた。
「あぁ…ちょっと待ってろ」
「はい!」
天田はキッチンに1番近いカウンター席に座り、今か今かと荒垣がキッチンから出てくるのを待った。
「ちょっと、順平ー!?そろそろ行かないと遅刻するよー!」
「うげっ、もうそんな時間かよ!?」
外から聞こえてきたゆかりの声に、順平は大慌てでカバンを手に取り、大きく音を立てて出ていった。
「ったく、落ち着けねぇのかよ…」
「全くだ」
「ふふ、なんだか楽しそうですね」
その様子を見ていた中で、唯一天田だけは笑っていた。
ーーーーーーーーーーーーーー
「荒垣、そろそろだ」
「…あぁ、わかってる」
「?」
予定の時間になった。天田はよくわからず首を傾げるが、2人がその様子に気づくことはない。
「行くぞ、天田」
「どこに行くんですか?」
「…お前の身体に異常がないか調べに行くんだよ」
「?僕は元気ですよ!荒垣さんがいますから」
「身体の不調ってのは、自分じゃ気づけねぇことも多いんだよ。良いから来い」
そのまま、荒垣は天田の腕を引っ張って、美鶴の手配した車に乗り込んだ。
着いた先は、病院だった。ここも桐条グループのところで、影時間やペルソナのことを知っている関係者も多いそうだ。今日は前回の影時間中、タルタロスで記憶を失くした天田を診てもらうためにここへ来た。
「わぁ…」
今の天田にとっては、見るもの全てが初めてばかりだ。興奮して目を輝かせているが、申し訳ないとは思いつつ時間がないためすぐに建物に押し込んだ。
「天田、この部屋に入って看護師が来るまで待っていられるか?」
「かんごし…あ、覚えてます!確か、えっと…えっと…」
「…お前の身体に不調がないか見てくれる人だ」
「あ、それです!」
天田はすっきりしたような顔を荒垣に向け、その左腕にぎゅっと抱きついた。
「…とにかく、その人が来るまで1人で待っていられるか?」
「はい!…荒垣さんは、どこに行くんですか?」
美鶴の問いかけに答えた天田は、顔を上にあげて荒垣を見つめる。その瞳はどこか寂しげで、放っておけないような儚げが宿っていた。
「…予定があんだよ。お前の検査が終わる頃までには戻る」
「そうですか…」
検査が終わる頃には戻ると付け加えたが、それだけでは天田の寂しさは補えなかったらしい。見るからにしゅんとした天田を病室へ押し込み、美鶴は病院に残り、荒垣は病院から出ていった。
ーーーーーーーーーーーーーー
今の天田の精神年齢は、どこか幼いような気がする。彼は今11歳、初等部5年生だが、それにしては子供らしい1面が目立つ。これは、彼の本来の性格が影響しているのか、何が原因かは不明。
リーダー——結城理の見解ではあるが、天田本来の性格と、タルタロスで記憶を失ってしまったことが関連しているのではないかと推察している。タルタロスとは、影時間とシャドウの核のような存在だ。そんな敵の巣の中で記憶を落としてしまったのだから、何か天田本人に悪影響があってもおかしくない。それも、今回の検査で判明すればいいのだが。
「おーっす。お疲れさん!帰ろうぜ」
放課後、隣の席の順平から誘いを受けた。
「順平…悪いけど、遠慮しとく」
「おん?このあと部活か?」
「いや…天田のところに」
結城が天田の名前を出すと、順平は思い出したような顔をした。
「あ、そっか…アイツ、今病院か」
「検査が終わってるかわからないけど…顔くらいは出そうかと」
だから、ごめん。と順平に断りを入れて、結城は学校から病院へ向かった。
「天田の検査は終わった、病室に入ってもらって構わない」
病院のエントランスにいた美鶴の案内で、結城は天田の病室へ入った。
「…寝てる?」
「少々、調べるのに時間が掛かったようでな。疲れて眠っているよ」
「荒垣も先程までいたが…中々起きないものだから、土産だけ置いて帰ってしまったよ」
確かに、病室にあるテーブルの上にはビニール袋が置かれている。中に何が入ってるかは見れない。
「優しいな」
「ふっ、無愛想だがな」
規則正しい寝息を立てて眠っている天田は、いくらか柔らかい顔をしている。幸せな夢でも見てるのだろうか。
「…検査の結果は、まだ?」
「あぁ…すまないが、少なくとも明日までは待つことになるかもしれない」
検査の結果は気になるが、それはまだお預けらしい。結城はベッド近くの椅子に腰掛け、眠っている天田を見つめる。
「——美鶴先輩は、どう考えてる?」
「天田の症状か?」
「はい」
「…そうだな…」
美鶴は後ろ髪を撫でつけ、少しだけ思案してから天田を見た。
「私は…無気力症及び影人間に天田がなりかけたんだと思っている」
「…無気力症…影人間…」
「…タルタロスで記憶を奪われた天田は、適性やペルソナ能力があるおかげで、何とか人としての理性を奪われずに済んだんじゃないかと…私は考えている」
天田が無気力症になりかけた…その実感は、ほとんどない。今までも何度か仲間が倒れたことがあった。だが、その時は全員平気で、記憶がなくなるなんてことはなかった。それなのに、天田だけが記憶を失くしたのか。
「…わからない。今までだって何度か仲間が倒れることはあった。でも、何故天田だけが」
「詳しいことはわからない。それに、これはあくまで私の推察だ。鵜呑みにしては、真実を見落とすかもしれないぞ」
「…そうだな」
天田の記憶のことについては、今は検査の結果を待つしかないだろう。
「念の為、検査結果が出るまで天田は入院だ。まぁ、明日中くらいには退院出来るだろう」
「万が一があるから…か?」
「冷たい言い方をするとな」
窓の外を見ると、空は少しずつ暗い色に彩られていた。
「結城、今日はもう帰るといい。日が落ちてきている」
「…そうする。美鶴先輩は?」
「関係者と話をしてから戻るさ。そこまで時間はかからない」
先に戻っていてくれ、という美鶴の言葉に大人しく従い、天田の病室をあとにした。
ーーーーーーーーーーーーーー
「おかえりなさい、であります」
寮につくと、出迎えたアイギスの後ろに荒垣がいた。
「…結城。アイツは、起きたか」
「いいや。美鶴先輩がまだいるけど、すぐに帰ると」
「…そうか」
それだけ聞くと、荒垣は小さく舌打ちして部屋に戻ってしまった。ラウンジにいるのは、アイギスと真田だけだった。
「みんなは?」
「あぁ、全員2階にいるぞ」
「ありがとう」
短く礼を伝え、結城は2階のみんなと合流する。それぞれ思い思いのことをしている様子だった。
「…あ、おかえりなさい」
「ワン!」
1番に結城の存在に気づいた風花が声をかけ、それを繰り返すようにコロマルが吠える。
「おかえりー。天田少年の様子はどーよ」
「結城くん、おかえり。検査結果はどうだったの?荒垣先輩からは聞けなかったんだけど…」
「ただいま…検査結果は、後日だって。疲れて寝てたから、天田とは話せなかった。あと、結果が出るまで入院するらしい」
簡潔に質問に答えると、ゆかりはそっか、と相槌を打つ。
「退院っていつ出来るんだろ?検査結果…出すの時間かかるのかな」
「検査結果は…多分、明日くらい?って言ってた気がする」
「明日か…そういえば、そろそろ10月…次の満月が近いね」
「そういやそうだったな…」
2階から夜空を見ると、月はかなり満月の形を顕にしている。丸くなっている月を見るだけで自然と身体が強ばってしまうようになってしまったのが、それほどこの非日常に慣れてしまったという証明なのだろう。
「流石に…あの状態の天田君を前線…には、無理だよね」
「記憶がないんじゃ…それに、ペルソナを出せるかすらもわからない」
「やっぱ安全第一だよね…」
記憶がない天田に、今までの戦闘能力があるとは思えない。そもそも、天田を前線に出すことを荒垣が良しとしないだろう。
「…天田のことは、荒垣先輩に一任していたい。荒垣先輩に懐いてるのもあるけど…あの人、面倒見いいし」
実際天田は荒垣の中にある優しさに気づいているようだし、相性としてはバッチリだろう。
「大型シャドウもあと3体だ。もう少し、みんなで力を合わせて頑張ろう」
結城がそう意気込むと3人は頷き、コロマルは元気に吠えた。
ーーーーーーーーーーーーーー
翌日。
検査結果は昼のうちに出て、天田は荒垣と一緒に寮に戻ってきた。
「帰ったぞ」
「ワンワン!ワン!」
「ふふ、ただいまコロマル」
天田は出迎えて来たコロマルを抱きしめた。何とも微笑ましい光景だが、検査結果を聞いた荒垣は正直それどころではなかった。
「桐条とアキはどこだ?」
「え?えっと…桐条先輩は、2階にいます。真田先輩は…すみません、わからないです」
ラウンジのソファでパソコンを使っていた風花に2人の居場所を聞き、とりあえず荒垣は美鶴のところへ向かった。
2階に上がると、本を読んでいる美鶴の姿が目に入った。集中しているのか、まだこちらには気づいていないようだった。
「桐条」
「ん…?あぁ、荒垣か。検査結果が出たのか?」
「あぁ…ひとまず、お前とアキにだけ話しておきてぇことがある」
「——わかった。とりあえず聞かせてくれ。明彦には、私があとから伝えておく」
美鶴は本を閉じ、改めて姿勢を直す。荒垣は病院で貰った検査結果の載った書類を机に置き、美鶴の読みやすいように向きを動かす。
「…それ、読んでみろ」
「あぁ」
美鶴は検査結果を黙って読んでいく。目を忙しなく動かし、やがて1つの検査結果が映ると。
「——!」
「…これは、本当か…?」
「…信じ難いけどな」
「しかし、こんなことが有り得るのか…?」
「…」
不穏な空気が漂っている。その後は、お互い何も言えず、どちらからともなく自然に解散した。
ーーーーーーーーーーーーーー
10月4日。
今日は、何だかみなさんの様子がおかしい。緊張してるような…なんというか、空気がピリピリしている。
「…あれ?」
ふと机の上にあったカレンダーを見つけ、月を9月から10月に切り替えると、何やらカレンダーに文字が書いてあった。
「…このカレンダー、なんでメモ書きがあるんだろ…?使ったこと、今までないのに」
10月4日。今日の日付のマスには、”母”と書いてあった。
「母…母親?」
「うっ…!」
“母”とは何かを考えていると、突然頭に激痛が入った。思わず頭を抱えて蹲り、瞼を閉じて痛みに耐える。その瞼の内側に、何かが見えた。赤…赤色、だった。ドロッとした、赤色。それが、瓦礫の下から流れてきている。瓦礫の下に、何があるのだろうか。
「はぁッ…!はッ、うぅ…!」
激痛と記憶の引っかかり。苦痛が同時に襲ってきて、パニックになった天田は必死に酸素を吸おうとする。
「ごほッ、はッ…!」
1度にたくさん息を吸いすぎて、咳き込んで、また吸いすぎて…体力だけが奪われていく無意味な呼吸をし続けてしまう。
「おい天田、物音がしたが大丈夫か」
ふと、扉の外から誰かの声が聞こえた。気がした。冷静な判断が出来なくなって、酸素が足りなくてよくわからなくて。返事も出来ず苦しんでいたら、いつの間にか荒垣さんがそばにいた。
「おい、天田!聞こえてるか!」
「かひゅッ、はッ…あら、がきさ…ッ」
「無理して喋んじゃねぇ。俺に合わせて呼吸しろ…吸って…吐いて…」
「ふぅッ…はッ、はぁッ…」
荒垣さんの声と合わせて、息を吸おうとする。何度か繰り返して段々と呼吸が楽になってきたけど、それと比例するように記憶の引っかかりが主張を強くし始めた。
「うぅッ…!」
「おい、どうした!」
また強く頭を抱え、涙目になる。再び瞼の内側に赤色が広がって、広がって、何かを零しているような気がした。瓦礫の下から、何かの音が聞こえる。いや、声だ。声が聞こえる。恐怖に身体が支配されていく中、荒垣さんはただ背中をさすってくれている。何か叫んでいるような気がするが、なんて言ってるのか聞き取れない。
「やだ…いやだッ…!」
その赤色が怖くて怖くて堪らない。理由なんて、わからないのに。赤色を振り払おうと頭を何度も横に振るが、余計に赤色が鮮明に見えてしまう。
——どうして、赤色が怖い?
——どうして、こんなものを見る?
——どうして、これがわからない?
——どうして、どうして、どうして?
——どうして、僕は何もわからない?
ーーーーーーーーーーーーーー
「やだ…いやだッ…!」
「落ち着け….!大丈夫だ、俺はここにいる」
その声すら届いているのかどうか、天田は錯乱している様子だった。
物音がしたから部屋を尋ねてみたら、中から天田の苦しんでいる声がして、部屋に入ったら既に同じような状態だった。見つけてすぐは過呼吸を起こしており、今は既に安定している。が、そのあとすぐ頭を抱えて蹲ってしまい、何かに怯えているような様子を見せる。
「う、ううぅ…」
「あか…あ、か…赤、いや…」
「赤…?」
「…ッ!?」
「お前、まさか…!」
勢いよく、机の上にあったカレンダーを見た。10月4日…あの日に、母と書かれている。まさか…あの日を、思い出してしまったのではないか。
「チッ…!」
今ここに居るべきは自分じゃない。そう思い、荒垣は苦しむ天田を置いて部屋から急いで飛び出した。
「アキ!桐条!どっちでもいい!いないのか!?」
せめて、事情を知っているどちらかに彼を託したい。その一心は荒垣は2人の名を呼ぶ。
「ん…?どうしたんだ、シンジ。珍しく慌ててるじゃないか」
呑気にボクシンググローブを磨いている真田を見つけ、荒垣はガッと腕を引いて無理矢理立たせた。
「シンジ…!?」
「来い…俺じゃ手に負えん」
「おい、ちゃんと説明しろ、シンジ…!」
「…思い出したかもしれねぇ」
荒垣は、消えそうな声でそう呟いた。
「は…?」
「天田が…あの日のことを、思い出したかもしれねぇ」
「——!」
「…わかった。しばらく待ってろ」
そういうと、真田は急いで2階へ上がっていった。荒垣はその後ろ姿を見つめることしか出来ない。今も耳を澄ませば、微かにだが上から天田の苦しそうな声が聞こえてくる。その声から逃げるように、荒垣は寮を出て行った。
ーーーーーーーーーーーーーー
「これ何の集まりっすか?今日って満月っすよね?」
数時間後に0時を迎えるという時間、何故か美鶴に集合するよう言われた特別課外活動部——3年生の先輩達と天田以外——のメンバーは、一体何があるのだろうと不思議がっていた。
「皆、集まってくれたようだな」
「あ、桐条先輩…」
2階から現れた美鶴は、全員揃っているのを確認すると、持っていた茶封筒をラウンジの机に置いた。
「先輩、これは?」
「天田の検査結果だ。少々重たい話になるから、伝えていなかったがな」
「重たい…?」
「だが、そうも言ってられない状況になった」
美鶴は茶封筒を開き、中の書類を取り出す。全員その書類に釘付けになり、書かれている文字を齧るように読む。
「簡潔に述べよう。あれは天田ではない。シャドウだ」
「ワフ…!?」
「そ、それってどういう…!」
シャドウ…すぐに言われて、理解は出来ない。だって、記憶がなくともあの子は確かに天田乾だ。それは、疑問に思っていなかったのに。
「天田は記憶喪失などにはなっていなかったんだ」
「では、天田さんは今何処にいらっしゃるでありますか?」
「天田の意識は、天田の深い奥底で眠っている。今の天田の身体の主導権がシャドウにあるから、彼は目覚められない」
「シャドウに乗っ取られてるってこと!?それって大丈夫なんですか!?」
「シャドウはどうやら記憶を失っているようで、こちらに危害を加える様子はない。天田にも悪影響はないそうだ」
「それに、天田の身体からシャドウを追い出すことの方が問題なんだ。無理に追い出そうとすると天田の身体に負担がかかる…あの小さな身体で、その負荷に耐えられるかどうか…」
「そ、そんな…」
天田の身体では、シャドウを無理矢理追い出そうとする負荷に耐えられないかもしれない。だからと言って、天田の身体の主導権をシャドウに握られたままでも危ないかもしれない。
「…」
どの選択をしても、後悔してしまうかもしれない。取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。どの選択をとっても、天田はずっと危険に晒されている。
「そして…シャドウが、記憶を取り戻しかけている」
「記憶を…?」
「何故こんなことになっているかはわからない。天田の意識が戻りかけているのか、シャドウが天田の記憶に干渉出来るようになってきたのか…原因は不明だ。念の為、また検査へ行く予定だ」
「記憶をって…一体、何があったんスか?」
順平が記憶のことについて聞くと、美鶴は少しだけ思案してから答えた。
「…10月4日。今日この日は、天田にとって忘れ難い日だった。カレンダーに書いてあったメモ書きで記憶が刺激されたらしく、錯乱状態に陥った」
淡々と事実を並べる美鶴は、酷く気まずそうにしていた。
「錯乱…天田は今、どうしてるんだ?」
「眠っている。詳しく話を聞くのは、後日だ」
「それに今日は作戦日だ。天田のことが心配なのはわかるが、今は目の前のことに集中してくれ」
今日は10月4日、満月だ。美鶴の言う通り、今日は作戦に集中しよう。まだすっきりしない様子のみんなを尻目に、結城は準備をしに自室へ戻った。
ーーーーーーーーーーーーーー
——夢を、見た。
ドロッとした赤色が、女の人から流れてきている。そして、僕の視界に映っていたのは。
僕の、僕の大好きな——。
「はッ…!?」
どうやら、眠っていたようだ。寝ぼけ眼で窓を見ると、とても大きな満月がこちらを覗いていた。
「…なんだか、不気味…」
満月を見ると心がザワザワしてきて、目線を逸らした。 ふと、上の階から足音が響いてきた。
「…まだ、みんな起きてる?」
天田は静かに部屋の扉を開けて廊下を見ると、誰もいなかった。足音はもう既にここを通ったようで、寮の玄関の扉が開く音がした。
「こんなに真っ暗なのに、外…?」
足音はもうしない。そもそも、人の気配が全くしなくなっている。全員出ていってしまったのだろうか?
「…」
なんだか、独りでいると心細くて消えてしまいそうだった。
「荒垣さん…」
荒垣さんの自室の扉を開けた。やはり誰もいない。
「…」
自室に戻って軽く着込み、1階のラウンジに降りた。
「…コロマルも、いない…」
電気も付いてない、人もいないラウンジに恐怖を感じ、天田は急いで玄関前に向かった。
——怖い。
ここに残るのも心細くて怖い。ここから出るのも嫌な予感がして怖い。
「…荒垣さん…」
大好きな彼の名前を呼んだ。それに応えるのは、静寂だけ。
…あの夢は、なんだったんだろう。なんであの夢に、僕の大好きなあの人がいたんだろう。考えても、答えは出てこない。
「…本物みたい、だったな」
そう呟いて、天田は意を決して寮の玄関の扉を開けた。
ーーーーーーーーーーーーーー
『シャドウ反応、消滅!皆さんの勝利です!』
肩で息をしながら、風花の勝利宣言を聞いて安堵する。今回のは、かなり厄介だった。危うく倒れるところだった。
「お疲れ様、であります」
「よくやった、みんな。さぁ、戻るぞ」
全員が気を緩め、帰ったら何か食べたい、など話している間、風花は何かの反応を検知していた。
『…?』
「風花ー?どうしたの?」
ゆかりが声をかけるが、風花は返事をしない。
『…どういう、こと?』
「…?」
『…反応があります。それも、人の…』
風花の消え入りそうな声を聞いた荒垣は、ギョッとして場所を聞き出した。
「ッ、おい、ソイツはどこにいる!?」
『え、えっと…!ポートアイランド駅の、路地裏に…!』
「ッ、あの馬鹿…!」
「え、ちょ!?荒垣センパーイ!?」
場所を聞いた荒垣は、すぐさま走り去ってしまった。
「——、待て、シンジ!」
その後ろを真田が追いかけていってしまう。残ったメンバーのほとんどは何が何だか、美鶴だけ苦虫を噛み潰したような顔をしている。
『——!』
『近くに、別の反応があります!これは…ストレガです!』
「ッ、不味い…!荒垣達を追いかけるぞ!」
怒涛の展開に置いていかれそうになるが、とにかく危ないことはわかった。一息大きく吸い込んで、2人を追いかけた。
ーーーーーーーーーーーーーー
足が勝手に、知らない場所へ向かって行く。
——僕は、あそこに行かなくてはいけない。
「…母、さん」
何かが、何かが思い出せそうだ、もう少しで…。
「…かあさん…」
あと少し、ほんの少し手繰り寄せれば…。
「…どこ…?」
気がついた時、辿り着いていたのは薄暗い路地だった。あちこちゴミが捨てられていて、空気が重たい。
「…僕、は。ここは…」
「あうッ…また、頭が…!」
痛みに驚き、思わずふらついて倒れてしまった。
誰かの声がする。苦しんでる声、泣き叫んでる声。頭中に声が響いて、酷くうるさい。そして、赤が広がって、赤が、赤が赤が赤が…。
「——こんなところに1人とは。お前は、大型シャドウではないでしょう?」
「…え…?」
ふと、あれほどうるさかった頭に、静かに木霊した声があった。気づいたら、さっきまで響いていた声が聞こえなくなっていた。
目の前には、長い白髪の男がいた。その怪しげな光を持つ黄色の瞳が、何故か恐ろしくも僕の帰る場所のような気がした。
「だ、誰…?」
「ほう…姿だけが人間を模しているのかと思いましたが、これは…」
白髪の男は天田を見ながらボソボソと何かを呟いている。それが不気味で、慌ててこの場から逃げようとして立ち上がり足を動かすと。
「——ッ!?」
——何かの破裂するような音と、激痛がほぼ同時に走った。
「がはッ…!」
大きく咳き込むと、赤色が視界を覆った。
——何が、起こった?
それを理解するより早く、支える力を失った天田の身体は、一直線に地面へ吸い込まれていく。
「——血が流れている。やはり、その身体自体は本物の人間のようですね」
倒れる天田を見下ろしながら、白髪の男はそう言う。
「…ぁ…に、が…」
掠れた声と、痛みが今の状況を物語っているような気がした。ドロリとした赤が…血が、現実だと教えている。この、悪夢のような惨状が。
「自覚がないのですか?」
わからない、この男の言っていることが、何も。
大型シャドウ…?意味がわからない、だって僕は人間だ。
姿が人間を模している…?当然だ、だって僕は人間だ。
本物の人間のよう…?当然だ、だって僕は人間だ。
「その様子だと、やはり覚えていないようですね。シャドウ」
シャドウ…シャドウって、なんだよ。だって僕は、天田乾だ。人間だ。
「お前は、人間ではない。怪物だ」
意味がわからない…だって、僕は生きてる。怪物なんかじゃ、ない。感情だって、全部あるんだぞ。
「お前は、初めて目覚める前までのことを覚えていないでしょう?」
「…はじ、め…て」
最初、最初は…。
…最初?
——最初って、いつなんだ?
「貴方は空っぽなのです、シャドウ」
…僕の最初は、荒垣さんだ。でも、あの時は確かに本当の始まりではなかった。あの時、きっと僕は眠っていたんだ。そして、起きて荒垣さんを初めて見た。
…じゃあ、僕の始まりは、一体…。
「大方、その少年の身体を乗っ取る最中、誤って記憶を失くしたとかでしょうが…」
「どぅ、いう…」
「これ以上の対話は不要です。記憶がないのなら、貴方には消えてもらう。せいぜい、その少年と安らかに」
そう言うと、白髪の男は再び天田に銃口を向けた。
「ッ…だれ、か…」
口からは、掠れた声しか出てこない。
「だれか…」
ーーーーーーーーーーーーーー
薄暗く静かな路地裏に、眩い光が一閃。
「ッ——!」
「貴方は…」
「…ふざけてんじゃねぇ、テメェ…」
大斧でタカヤを攻撃した荒垣は、それに付いた少量の血を袖で拭った。
「くッ…!」
「忠告だ。——殺されたくなきゃ、2度とコイツに近づくんじゃねぇ」
荒垣がそう放つと、タカヤは銃をズボンのベルトに挟んだ。
「いいでしょう…今回は、貴方に勝ちを譲ります」
そう言うと、タカヤは路地裏から出ていく。荒垣は、彼の姿が完全に見えなくなるまで睨み続け…彼がいなくなった時、荒垣はすぐさま倒れている天田に駆け寄った。
「天田——!」
意識は失っていないようだが、朦朧とはしているようだ。声をかけるが、こちらに気づいた様子はない。
「天田!おい、聞こえてるか!」
「…ちがう…」
「は…!?」
ぼんやりと何かを呟いたかと思えば、それは否定の言葉だった。何に対して否定しているのか、何もわからない。
「ぼく、は…かいぶつ、なんかじゃ…」
「…怪物…?」
「…にんげん、だ…ぼくは…」
天田はまだ上の空だ。ひとまず止血が優先だと思い、銃創のある右足に触れる。傷は太もも辺りで、子供にしては多すぎる出血に、荒垣は多少なり動揺していた。自身のコートを脱いで気休め程度の止血をし、天田の意識がまだ残っているか確認する。瞼が落ちている。先程のように何かを呟くこともない。意識を落としたようだ。
「…あの野郎、まさか何か吹き込んだんじゃねぇよな…?」
今の天田は、記憶を失くしたシャドウだ。もしタカヤがこの天田の正体に気がついていたとしたら…何か良からぬことを、教えられた可能性はある。それこそ、自分が本当は人間ではない…など。
「シンジ!」
ふと、後ろから真田が駆け寄ってきて、その惨状を見て絶句した。
「気休めだが止血はしてある。死にはしねぇ」
「意識は?」
「ここに来た時はあったが、止血したら気絶しやがった。しばらく起きねぇだろうさ」
横向きに倒れていた天田の身体を起こしてやると、酷く苦しそうな表情が鮮明に見えた。
「…テメェは」
——どれで、苦しんでんだ…。
ーーーーーーーーーーーーーー
満月から、4日後…。
「…」
天田は、まだ目覚めていない。
病院で治療を受け、ビックリするくらい早くに退院し、今日から寮に戻ることになった。幸い、傷は生命には関わらず、血の循環が滞らなければ問題ないとのことだった。 だが、傷が重くないのと意識が戻るのは別の話であり。影時間での負担のせいか、或いは何かしらのショックのせいか…天田の意識は、未だ目覚める予兆はない。
「チッ…」
しばらく閉じたままの瞼と、その奥にある瞳の色を思い出す。憎悪だと思っていたその色は、いつの間にか好意や尊敬などの真っ直ぐな色になっていた。
「…」
タルタロスでシャドウに身体を奪われた天田は、今もその奥で眠り続け、目覚める兆しはない。少なくとも、今の記憶を失ったシャドウにどうこう出来る問題ではないだろうし、かと言って外野が解決出来ることでもない。
今の天田は、不安定だ。
母を失い、自分すら失った彼は、全てを失った怪物にその身体を盗られ、遂には復讐の絶好の機会すらも失った。彼の生きる意味であった、全てを。
——たとえ彼がこの身体の主導権を再び握られても、彼にはもう希望は見えないだろう。
たとえ仇を殺し、復讐を果たしたとしても。彼は迷わず自分に手をかけ、母の後を追うだろう。
…そういう運命に、彼はいるのだ。
「…テメェは」
何が、幸せなのか。
好きなものに触れることか?
復讐を果たすことか?
母のそばにいることか?
理想の夢を見ることか?
「…」
——全て、俺が奪った。
子供らしく、夢中になって好きなものに触れることも。
自分の全てと憎しみを込め、仇を討つことも。
その生涯を終え、母のそばへ逝くことも。
自分の大好きと幸せが詰まった、夢物語を見ることも。
——彼は。
「…あ、ッ…?」
「ッ、天田…!」
掠れた天田の声が、暗い思考の海に沈んでいた荒垣の意識を引き戻す。
薄らと開いた瞼の奥、その瞳には深い闇が疼いている。
「起きたのか…腹は減ってねぇか?水は飲めるか?」
「…」
天田は黙りこくってしまった。何か言いたいことがあるようだが、それを言い出す勇気はないらしい。
「…いりません」
「あぁ…?」
「…僕には、そんなもの…いりません」
弱々しい声で、何度も拒絶の言葉を繰り返す。
「だって、僕は…」
「おい、言いてぇことがあるんならハッキリ言え。うだうだしてるだけじゃ何も伝わらねぇぞ」
「…」
「…もう、いいんです」
「…僕は、人間じゃ…ないん、ですから…」
ーーーーーーーーーーーーーー
水面の中で、僕は漂っていた気がした。ただ覚えているのは…強いシャドウとの戦いで、倒れたこと。その後どうなったのか…わからない。まだ、僕は目覚めていないのだろうか。
「…うぅ…」
「天田…!」
ふと、自分の意思に関係なく瞼が開いた。その視界には、荒垣さんの顔が映っている。
(荒垣さん…)
『良かった…意識が戻ったみたいですね。天田君、大丈夫?』
(はい——あ、れ…?)
風花さんに返事をしようと声を出そうとしたが、声を発するどころか口すら開かなかった。
「…天田?どうした?」
結城さんが心配そうにこちらを見てくるが、それでも何も出来ない。
ふと、気づいた。自分の身体なのに、まるで自分じゃないかのような。指の1本も動かせなくて、まるで誰か別の人間の視界を見ているよう。
そして、少し間を置いて、さっきまで全く動かなかった口が勝手に動き、勝手に喋った。
「——お兄さん、誰?」
ーーーーーーーーーーーーーー
——お前は人間じゃない。
そう言われたあの夜、僕の全てはきっと終わってしまったんだ。だって言われてみたらそうだ。僕は、途中からの出来事が全てなんだ。
みんなは、僕のことを知っている。僕は、みんなのことを知らなかった。もう、その時からおかしかったのに…。
この前、病院に行った。荒垣さんは、異常がないか調べに行くって言ってたけど。本当は、この少年の身体を乗っ取った僕が、悪さをしないか確かめるためだったんだろう。異常がないか調べるっていうのも、嘘ではなかったのかもしれないけど。
いつも僕は、何もわからなかった。あの男は、乗っ取る時に誤って記憶を失くしたと言っていたけど。じゃあ、アイツの言っていたシャドウって何なんだろう。きっとそれは、元の僕のことを言っているんだと思う。でも、僕は記憶を失くしたから、だから何もわからなくて、人間だと思っていて。
自分が誰だったのか、どうして天田乾の身体を奪おうとしたのか。
…そんなの、知りたくない。
だって、そんなの知ってしまったら、僕は本当に…人間でないことを、認めるしかなくなってしまうじゃないか。
心の奥では、まだ自分を人間と認めたい心が残っているんだ。だって、僕にとっての生涯は、この身体で生きていた記憶だけで、だから人間だって、ずっと。
(…いやだ…)
人間でありたい。人間であると思いたい。人間であると言って欲しい。僕を、受け入れてほしい。
(僕は…)
僕は、誰?
ーーーーーーーーーーーーーー
「…チィッ、最悪だ…」
想定しうる中で、1番の最悪。シャドウは、あの時のことを覚えているようだ。強いショックでまた忘れてくれていれば…とも思ったが、現実はそう上手くはいかない。のろのろと遅い動作で上半身を起こした天田は、その濁った瞳で荒垣を見つめた。
「…貴方は、知ってたんじゃないんですか?」
「僕が、人間じゃないって…」
少し荒々しい天田の質問に、荒垣は答えかねていた。何をしたらこの天田の心を抉ってしまうのか、と。
「…テメェは、どっちが嬉しいんだよ。人間だと思ってたって言った方がいいのか、シャドウだと思ってたって言った方がいいのか」
「…そんなの、わかるわけない…」
天田はただ答えだけを求めている。自分の気持ちすら、わからないのに。——否、むしろ、自分だけじゃ何もわからないから、他人の答えを求めているのだ。
「…病院に行ったこと、覚えてるか」
「…はい」
「そん時の検査で、テメェが天田じゃないことはわかってた」
「…」
荒垣の言葉を聞いて、天田——シャドウは、黙りこくってしまった。今まで、彼には天田乾ではないという自覚がなかった。その残酷な事実を隠すため、ギリギリまで美鶴と真田、荒垣の3人だけの秘密となっていた。黙ってしまって他のメンバーには悪かったし、それに今こうして本人にバレ、シャドウの心をより深く傷つける結果になってしまったが。
「言っとくが、桐条とアキ以外の奴らは昨日まで知らなかったんだぞ」
「…そうなん、ですか…?」
「でも…貴方は、ずっと…」
「知ってた」
「…」
シャドウはぎゅっと手を強く握って、俯いて息を小さく吐いた。
「貴方は…どうして、僕なんかに優しくしたんですか」
「…」
「——この子が、大切なんでしょう?」
シャドウは握っていた手を開いて、掌を上に向ける。これは、自分じゃないと。何度思っても、認めきれなかった。でも、感情を吐き出した今なら、わかる気がした。空っぽの自分に入れていた”自分”を捨てた今なら、何でも”自分”だと受け入れられるようで。
「…俺は、天田を傷つけすぎた」
荒垣はぽつぽつと静かに零していく。シャドウは掌から視線を外し、荒垣の方を見る。その長い髪に隠れて表情は見えない。
「…10月4日。一昨年の昨日は、天田の母親の命日だった」
「…!」
「心当たり、あるだろ」
「…はい」
カレンダーを見た時に走った光景と、夜に見た夢の内容。あの血が今も思い出すだけで鮮明で、早く忘れたい記憶だった。あの血を流していたのは、天田の母親だったのだろう。
「——ソイツを死なせちまったのは、俺だ」
「な…」
シャドウの頭の中で思い出しかけていた赤は、その言葉を聞いて一瞬で吹き飛んだ。
「ど…どうして…?貴方みたいな優しい人が、なんで…」
少なくとも、シャドウは荒垣の優しさを知っている。この人は優しくて、面倒見が良くて、でも、ならどうして人殺しなんて…ぐるぐると思考は巡り続けて、元から不安定だった精神も崩壊して、何もわからなくなってしまった。
——あんなに、優しくて。僕のことも、天田乾のことも大切に想ってくれている僕の大好きな人が、どうして天田の母親を。
「——俺は、本来テメェらのそばにいるべきじゃねぇ。守るために、いるだけだ」
「テメェら、って…なんで、僕まで…おかしい、だろ…だって、僕は」
「あぁ、シャドウだ。わかってる」
「ッ、わかってるならどうして!!」
感情が昂り、シャドウは思わず叫びながら荒垣に問いかける。シャドウにはもう、荒垣のことがよくわからなくなってしまった。
——荒垣さんは、優しかった。
——荒垣さんは、僕の正体を知っても優しかった。
——荒垣さんは、ずっと僕の面倒を見てくれた。
——荒垣さんは、僕の大好きで。
——荒垣さんは、僕の1番で。
——僕の、全部。
「ッ…」
そう、思っていたのに。
「…どうして、僕の正体を知っても…優しく、してくれたんですか…」
「…」
「答えてください…!…ッ、答えろッ…!」
半狂乱になって、泣きながら荒垣に縋る。荒垣はただ苦しそうに俯くだけだ。
「…僕はもう、疲れました…この少年を巻き込んででも、命を終わらせる覚悟が出来てます」
「——!お前…!」
「でもッ!…そんなことしたら、貴方は…」
溢れ出る涙のせいで、目の前がよく見えなくなる。でも、その涙を拭おうとは思わなかった。
怒りと悲しみと、疑問の色が声に乗る。シャドウ本人ですら、その色をなんと表現するかわからないのだけど。それは、産まれたての赤子の、意味のない泣き声のようだと…シャドウは感じた。
「——テメェも、天田乾だからだ」
「…は——?」
その時、わかった気がしたんだ。
ずっと、貴方は——。
ーーーーーーーーーーーーーー
思ってたんだ。
アイツは、シャドウだ。天田本人じゃねぇ。
けど、見せる表情はガキのもんだ。
シャドウってわかってからも、同じように接した。
記憶を失ったシャドウ…本人は、自分が天田乾であると思い込んでやがる。
だから、俺もシャドウを天田本人として扱った。
驚いたんだ。
10月4日、部屋から倒れるような音がしたと思ったら、アイツは蹲っていた。
赤が嫌だと、彼は言った。
シャドウが、天田の記憶に触れている。
かなり焦った。
そういう記憶の矛盾から、自分が人間ではないと思い出してしまったら。
それが不安だった。
記憶が刺激されたせいか、シャドウはあの駅前広場のはずれまで来ちまった。
そこでストレガの野郎に何か吹き込まれたらしい。
シャドウはその時知ったんだろう。
自分が、天田乾ではないことに。
「…どうして、僕の正体を知っても…優しく、してくれたんですか…」
「…」
「答えてください…!…ッ、答えろッ…!」
シャドウは答えを求めている。
だが、俺はその問いには答えられない。
知る前も、知った後も同じように接した理由が、俺自身でもわからないからだ。
何故そうしようとしたのか、わからない。
考えても、それらしい答えは出てこない。
「…僕はもう、疲れました…この少年を巻き込んででも、命を終わらせる覚悟が出来てます」
「——!お前…!」
「でもッ!…そんなことしたら、貴方は…」
シャドウから溢れ出る涙が、ふと俺の手の甲に落ちた。
暖かいような、冷たいような。
不思議な感覚だった。
——あぁ、そうか。
「——テメェも、天田乾だからだ」
「…は——?」
その時、わかった気がしたんだ。
——テメェに温もりが、あったからだ。
ーーーーーーーーーーーーーー
「テメェからは、生きてる気配がする。温もりが、ある」
「温もり…?」
「だから、テメェは人間だ。俺は…そう思ってる」
天田の身体の胸にとんと指を当て、心臓の鼓動を感じる。シャドウはぼんやりとその荒垣を見つめ、改めて自分の鼓動を感じようとする。
…落ち着く音だ。本来の自分には、なかったものなんだろうけど。
「…俺がテメェらのそばにいるのは、優しさがあるからなんかじゃねぇ。これが、俺の成すべきことだからだ」
「成すべきこと…?」
「天田が俺を嫌ったり、憎しみを向けることは一向に構わねぇ。寧ろそうしてくれた方がいい」
「だが、俺は…天田をこれ以上、傷つけさせるわけにはいかねぇ」
「…」
「優しさだなんて勘違いするんじゃねぇ…これは、俺にとって義務なんだよ」
吐き捨てるようにそう言った荒垣は、シャドウから顔を逸らした。これ以上話すつもりはない、とでも言いたそうだ。
「——いいえ。僕は、そう思いません」
「貴方は…僕とずっと一緒にいても、嫌な顔1つしませんでした。ちょっと怖いなって思ったこともありましたけど…それ以上に、嬉しかった」
「僕にとっては、義務とか何とか、知りませんでしたから…とても優しい人だなって」
いつも僕と一緒にいてくれて、僕のしたいと言ったことは何でもしてくれて。隣で一緒に笑ってくれて。
——凄く、幸せな毎日だった。
「荒垣さん——僕の、1番大好きな人…」
今自分を構成しているほとんどを得られたのは、荒垣のおかげだ。シャドウは、荒垣がいるからこそ今の自分になれているのだ。
「——名前、また呼び始めたな」
「え?名前?」
「お前、自覚なかったのかよ…まぁ、いい」
ぽかんと首を傾げる天田に、荒垣はため息を吐いた。そして、改めてシャドウに向き直った。
「——もし、テメェがその身体を本物の天田に返したいと思うなら…行け」
「…本物の、天田に…」
荒垣は腰掛けていた椅子から立ち上がり、部屋を出ていこうとする。シャドウは焦る気持ちを抑えて、震える声を荒垣の背中にかける。
「…あ、あの…」
「なんだ?」
「…彼は、許してくれるでしょうか」
「そいつぁ俺の知ることじゃねぇ」
「…」
「…結果、待ってるからな」
荒垣はそう言い残すと、天田の部屋から出て行った。シャドウはその姿を見送って、ぎゅっと身体を抱いた。
…最後の言葉は無愛想だったけど…彼なりの、応援の言葉なんだ。シャドウはその言葉を胸に、瞼をゆっくりと落とした。
「…お願い」
どうか、この身体の本来の持ち主に返したい。
…その気持ち自体は、自分が天田じゃないと気づいた時からあった。ただ、死にたい、消えたいという気持ちが先行して、後ろを向いていた。でも…生きてる温もりが、あるのなら。きっと僕にでも、出来る。
「…お願い…」
「お願い…」
「…」
ーーーーーーーーーーーーーー
「はッ…!」
ふと目を開けると、何もない真っ白な空間に僕はいた。異様な光景だが、何処か安心出来る空間な気がした。あの黄色の瞳を見た時と同じような気持ちだ。
「…ここは…」
右も左も、何処を見ても何もない。
「ここだよ」
「——!」
ふと、後ろから聞こえた声に驚き、振り向いた。そこには、僕——天田がいた。彼は柔らかい笑みを浮かべている。
「天田、乾…」
天田は僕に近づいてきて、前かがみになってじ〜っと見つめる。
「な、何…?」
「——本当に、僕と同じ姿だ。お前にとっての自分の姿が、それしかないからかな」
へぇ〜、と呟いて天田は姿勢を戻した。彼の瞳に映る僕は、何処かぼんやりとしている。
「目の色だけ、違うんだな」
「…色?」
「うん、綺麗な黄色。お前がシャドウだからかな?」
目の色、綺麗な黄色…それを聞いて真っ先に思いついたのは、あの夜に見た白髪の男の瞳だった。
——彼は、一体何者なのか。全くわからないけど、本当に人間なのかと一瞬疑った。だって、人間じゃない僕が黄色の瞳なら、あの男も。そんな無駄な考えを、頭をぶんぶん振って一時的に忘れる。
「…僕、貴方に…酷いことを」
「でも、記憶がないんだろ?」
「そうだけど…僕が君の身体を乗っ取ったのは、事実なんだ。それに…周りにも、迷惑をかけて…」
言葉を発して、今までのことを思い出していくほど、顔が俯いていく。彼がどんな顔をしてるかなんて、見る余裕はなかった。
——僕は、最低だ。
シャドウがどういう生き物なのかは知らない。人間の身体を乗っ取ることが、シャドウの生きる術だったりするのかもしれない。でも、記憶を失った僕に「シャドウだから」は適応されない。——されちゃ、いけないんだ。
「…この短い間、僕は確かに人間として生きてきた。だから、僕は人間として、この生涯を終えたい。——君に、身体を返したい」
「僕のしたこと、許してだなんて言わない…でも、もし、1つだけ…僕の願いを聞いてくれるなら…」
「——貴方の手で、殺して欲しい」
静寂のまま、数秒があっという間に消える。その沈黙が重たくて、余計顔が上げられなくなる。どうしよう、どうしようと、不安が疼いてくる。そうしていると、天田は小さく息を吸った。
「——あのさ」
「僕、お前が生きてた時も…意識自体は、あったんだ」
「他人の人生っていう映画を、一人称視点で見てるみたいな。何も干渉出来ないけど、その間に起きていたことは知ってるんだ」
天田は優しく、読み聞かせるように静かに話し始めた。その声に安心したのか、僕は無意識に少しだけ顔を上げる。
「…僕にとっての”生きる”ってさ。母さんを死なせた奴を殺すためだけだったんだ」
「…」
「でも、君の”生きる”を見て…あの人の、優しさに触れてしまったから…だから…」
「”生きる”って意味を…見失っちゃってさ」
へら、と力なく天田は笑う。
「みんな、必死に生きているんだ…君も、あの人も。でも、僕は…”生きる”に、必死じゃない」
「母さんを殺したのがあの人だってわかった時…あの人を殺した後、僕も死のうって考えてた」
天田は言いずらそうにする気もなく、すらすらと喋っていく。
「正直、何も知らない君が羨ましかった…」
「だから、僕は…あの人が…」
「…荒垣さんは、僕の1番大好きな人です」
「わかってる、わかってる。もう何回も聞いたから」
顔をバッと上げた僕に少しびっくりしながら、天田は手を左右に揺らす。本当に、ずっと様子を見ていたんだ。だってそうじゃなきゃ、こんな反応出来ないだろうし。
「…なぁ、シャドウ。身体…返してくれるんだよな?」
「…うん。大丈夫」
「聞きたいこと、あるんだ」
「聞きたいこと?」
「——お前は、シャドウなんだろ?だったら、僕の中に入ってきたお前は、僕のシャドウだ」
「…え?」
突然の宣言に、僕は頭の整理が追いつかない。
僕は、天田の中に入った。それは間違いない。けど、「僕のシャドウだ」という言葉の意味がまるでわからない。
そして、彼は僕の方に手を差し出してくる。
「お前は、僕だ。ずっとお前の様子を見てた僕が保証する。身体は返して貰うけど…お前の居場所は、僕の中にある。もし僕が困ったら、その時は手を貸してくれるか?——僕の、シャドウ」
「——!」
…あぁ、よかった。
こんなことも変だけど…ありがとう、怪物の僕。
この人を、選んでくれて。
『——もちろんだよ、”僕”』
溢れそうな涙を堪えて、差し出された手を掴んだ。
——記憶の空席は埋まった——
ーーーーーーーーーーーーーー
——あぁ。身体があるって、久々の感覚だ。
「今は…影時間、か」
どうやら、かなりの時間眠っていたらしい。体感、シャドウとの対話ではそこまで時間は使っていなかったように思えたが…。
「…身体が、疲れてるのかな」
身体が、暖かい。
長らく感じていなかった、”生きる”にまた触れ出したからだろうか。
体内を駆け巡る血が、暖かい。
指先の熱が、暖かい。
心臓の鼓動が、暖かい。
吸い込む息が、暖かい。
吐き出す息が、暖かい。
自在に動く身体が、暖かい。
心が、暖かい。
「——あぁ」
人って、こんなに暖かかったっけ…。
母さんが死んでから、暖かさなんて一切気にしていなかった。だって、暖かさを思い出してしまったら、あの日々が恋しくなってしまうから。でも、今は…。
「…人って、暖かい」
君も、こんな気持ちだったんだね。あぁ、今ならわかるよ。
「…ありがとう、僕」
ベッドから立ち上がり、部屋を見渡した。そこには、何もない。けど、僕にはわかる。もう1人の僕が、ここから見守ってくれているのが。
僕は、1度深く瞼を落とした。そして、あの人の姿を思い浮かべる。
(…荒垣真次郎)
その名前を、呼ぶ。
僕の母さんを殺した、僕の1番大嫌いな人で、僕に優しくしてくれた、僕の1番大好きな人。
僕は貴方が嫌いだ。でもそれと同じくらい、僕は貴方が好きだ。ぐちゃぐちゃな感情のように思えるが、僕はそう思わなかった。
「…」
瞼を上げた。スッキリした頭で、もう1度前を見る。黄色の瞳を持った僕が、少しだけ見えた気がした。
「…ずっとそこから、応援しててね」
そして、僕は部屋から出た。
影時間中の寮はとても暗い。電気も付けれないから、このまま進まなくてはいけない。
僕は、向かいの部屋の扉を叩いた。
「荒垣さん、いますか?」
返事は帰ってこない。…いないのかな?
「もしかして、タルタロスに行ってるのかな…」
疑問に思い、他の人達の部屋にも行った。誰もいなかった。仕方ない、と思い再び自分の部屋に戻った。
戦闘用の服を着、自分の武器である長槍を手に取った。久々の戦闘で上手く動けるか不安だったが、長槍を手にした途端に身体が自然と動く。これなら心配はなさそうだ。
「…君の分まで、僕は”生きる”よ。まだ、明確な理由はないけれど——頑張るから」
『——ありがとう』
誰もいない部屋の中で、僕はその声を聞いた。
——生きる理由の空席は埋まった——
ーーーーーーーーーーーーーー
『このフロアは、全て回れましたね』
「だとよ。どうすんだ?」
「…全員消耗が激しい。1度エントランスに戻ろう」
「ワフッ」
方針を決めると、探索メンバーは見つけていた帰還装置へ足を進める。
「おかえりなさい」
「ふぅ、いい運動になったな…リーダー、この後はどうする?」
「そうだな…」
エントランスで一息ついていると、ふと入口から足音がした。静かなエントランスにその音はよく響き、まったりモードだった全員が一気に身を固くさせた。
「誰だ!」
「——!この反応…!」
「皆さん、武器を下ろして大丈夫です!」
「え…?」
風花の指示に、全員は警戒態勢を少しだけ解く。そして、入口から現れたのは…。
「え、天田君…!?」
現れた天田は、今までのように戦闘服を来て長槍を所持している。
「ご、ごめんなさい。驚かせちゃいましたか…?」
天田は申し訳なさそうに頭を下げるが、大半のメンバーは何故天田がここにいるのかと疑問が浮かんでいる。
「——やっと帰ってきたか」
いち早く状況を飲み込んだ荒垣が、天田を見てそう言う。天田はその荒垣の反応に満足したのか、はいと相槌を打つ。
「ど、どういうことっスか?なんで天田がここに…」
「迷惑かけて、ごめんなさい。ついさっき、戻って来れました」
「戻って来れたって…なるほど、そういうことか」
天田の説明を聞いて、美鶴は納得したように頷く。
「…コイツは天田本人だ。シャドウじゃねぇ」
「戻って来れたって、そういうことか…」
「でも、どうして突然…」
皆が天田が突然戻ったことの理由に悩むが、当然答えは出てこない。唯一理由を知っているのは、シャドウと天田だけだ。
「…ふふっ」
自分だけの隠し事みたいで、天田は1人静かに笑った。
「一先ず、今日は引き上げよう。ここまで来てくれた天田には悪いけど、もう戻ろう」
「はい、僕は大丈夫ですよ」
「じゃあ戻ろっか」
ーーーーーーーーーーーーーー
「…で」
「どうやって戻ってきた?」
翌朝、天田の部屋にて。荒垣は椅子に腰掛け天田から話を聞いていた。
「んーと…真っ白い空間で、シャドウと対話しました」
「それで、お互い承諾して…ごめんなさい、その時のこと、詳しく思い出せなくって」
天田は必死に当時のことを思い出そうとするが、中々詳しいことは思い出せない。そもそも対話すること自体がイレギュラーなのだから、少しでも覚えていることが凄いのかもしれない。
「…とにかく、和解は出来たんだな」
「はい!きっと今も、僕のシャドウとして僕の中にいると思います」
「そうか」
「それで、その…荒垣さんに、伝えたいことがあるんです」
歯切れを悪そうにして、天田は荒垣と目線を合わせる。荒垣は声色の変わった天田の話に、先程以上に耳を傾ける。言いずらそうにはしているが、その瞳に迷いはない。
「…シャドウに身体を乗っ取られている時も…僕、意識はあったんです」
「…」
「全部、見てたんです…貴方が、彼にとても良くしてくれていたのも」
天田は荒垣の顔を見つめる。荒垣が苦い顔をして、天田の次の言葉を待っている。
「…そんなに、身構えなくても大丈夫ですよ。もう、復讐する気なんて…なくなっちゃいましたから」
「は…?」
「——貴方だって、彼だって。みんな、”生きる”理由があった。でも、僕にはなかった。貴方を殺すこと以外…何も…」
「でも…新しく、”生きる”理由を、彼から貰えましたから。もう…復讐に執着する意味、なくなりましたし、それに…」
そこで言葉を切り、両の指を絡ませた。
「——貴方のことを、知っちゃいましたから。そんな人を殺すだなんて…僕には、出来ません」
「…お前、いいのかよ…それで」
「はい。もう、大丈夫です」
「貴方が自分のことを赦せないのはわかります。だから、僕が赦します。もう僕は、貴方のことを恨んでいません。それに、今までは気づかなかったけど…きっと母さんは、そんなこと望んでない」
天田は立ち上がり、椅子に座っている荒垣の目の前まで進んだ。荒垣は信じられないと言うような瞳で天田を見つめる。
「僕はもう、大丈夫です。だから、どうか…自分を、赦してあげてください。今度は…僕が、荒垣さんを守ります」
「——、お前ら、本当に似た者同士だな」
「ふふっ、そうですか?」
天田は笑って荒垣の手を取り、そのまま立たせる。
「荒垣さん、僕、久しぶりに何か食べたいです!作ってくれますよね?」
天田はぱっと顔を明るくして、声のボリュームを上げてそう聞く。荒垣はニット帽の上から頭をガシガシ搔き、大きくため息をついた。
「あーもう、わかったわかった…作ってやるからそんなに引っ張るんじゃねぇ」
コイツは、こんなに笑う奴だったか…荒垣はそう考えながら、天田に手を引かれ部屋を出た。
——赦しの空席は埋まった——
ーーーーーーーーーーーーーー
「今日は何を作ってくれるんですか?」
「あー、そうだな…何がいい?」
「僕、オムライスがいいです」
カウンター席で足をぶらつかせながら、天田は今か今かと荒垣がキッチンから出てくるのを待つ。朝から少し時間が経ち、今はお昼頃。学生達は皆学業に勤しんでいるため、寮には荒垣と天田だけだ。コロマルは外にいるようで、中にはいない。
「やっぱり、日中は寂しいですね、この寮」
「学生寮だからな」
短く会話を交わして、やがて無言の時間が生まれる。でもその間に聞こえてくる料理の音が、天田には酷く心地よかった。鼻歌を歌いながら、オムライスの完成を待つ。こんなに気分の良い朝は初めてだと、天田は感じた。
「…ほら、出来たぞ」
「わぁ…!おいしそう!」
テーブルに置かれたオムライスを見て、天田は目を輝かせる。
「野菜がゴロゴロ入ってるスープもある。それも食うか?」
「はい!お願いします」
天田の返答を聞くと、荒垣はもう1度キッチンに戻り、スープを装いに行く。その間に天田は椅子に座り、オムライスの正面へ来る。見た目だけでもほかほかしているのがわかり、まるで湯気がキラキラ輝いて見えてきそうだ。少なくとも天田の目にはそう見え、何かの高級料理なんじゃないかと錯覚する。
(…ご飯って、こんなに楽しいものだったっけ)
母さんが死んでからは、食事なんてどうでもよかった。おいしいと感じてはいけないと、そう何度も自分に呪いをかけ、幸せを感じることをやめようとした。でも、純粋に幸せに触れてみたら、こんなにも暖かくて。
「ねぇ、荒垣さん」
「あん?」
「——幸せって、こんなに暖かかったんですね」
——空席は埋まった——
コメント
2件
天田くんの最後の姿に涙が溢れ、誰にでも「生きる理由」があるのだと教わりました(՞⸝⸝o̴̶̷̥᷅ ⌑ o̴̶̷̥᷅⸝⸝՞) 私、過去に消えたいと悩んだ時期がありましたが、ペルソナ3で私より年下なのに自分以上に懸命に頑張る彼の姿に救われ、強く生きようと思えるようになりました。ペルソナ3に出会えなければ、この素敵な小説にも巡り合えませんでした。心に響く素晴らしい作品を本当にありがとうございました❣❣
わあ…読み終わって、しばらく言葉が出ませんでした。まず衝撃的だったのは、天田くんの中にいた“シャドウ”が、ただの敵じゃなくて、一つの“誰か”として丁寧に描かれていたこと。彼が「人間じゃない自分」に気づいて苦しむシーン、そして荒垣さんが「温もりがあるから人間だ」って言ったところ、胸がぎゅっとなりました。 それから、最後に天田くん本人が「赦す」と選んだ場面。あれってすごく難しい選択だと思うんです。でも、シャドウとの対話で“生きる理由”をもらったからこそ、できたんだなって。もう一つの「空席」が埋まる瞬間、本当に温かい気持ちになりました。れもねいるさんの描く“赦し”の形、とても好きです。続き、楽しみにしていますね🌷