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2006年(平成18年)6月3日
東京都港区にある区営の特定公共賃貸住宅「シティハイツ竹芝」に設置されていたシンドラー社製エレベーター2基のうち1基で、自転車に乗ったまま乗降中だった都立小山台高校の生徒が扉が開いたまま突然上昇したエレベーターのかご部分と建物の天井との間に挟まれ折りたたまれて圧死する事故が発生した[5]。
同乗していた女性がすぐにエレベーター内の非常ボタンを押して同マンションの防災センターに事故を通報、防災センターの職員が119番通報して男子高校生は約40分後に救出されたが、全身打撲と頭部骨折で死亡した。
事故発生直後、国土交通省はシンドラーに対し、国内にある同社製エレベーターの全リストの提出を求めたが、当初は「個人情報保護」を理由に国交省へのリスト提供を拒否した(6月9日にリストを提出)。また、スイスのシンドラーグループ本部は6月9日、「(事故は)欠陥ではなく他社の不適切な保守点検か、閉じ込められた乗客による危険な行為が主因」とする声明を発表した。当時、保守はシンドラー社の純正保守ではなく、入札方式によって同社と資本関係のない競合会社が受注していた(2005年度は日本電力サービス、2006年度はエス・イー・シーエレベーター)。
事故当初より、シンドラーは再三の住民説明会や記者会見の要請を拒み続け、初めて記者会見を開いたのは事故から9日後の6月12日であった。この会見で、同社による保守業者への情報の提供が不充分であったことが明らかになった[6][7]。翌日の6月13日に、初めて住民説明会を開いて、ケン・スミス社長が謝罪した。
2009年7月、シンドラー社の幹部とエス・イーシーエレベーターの社長ら数名を業務上過失致死罪で在宅起訴[8]。この年の3月には、両社の6名に書類送検を行っていた[9]。
その後、東京地方裁判所は「点検時に異常は発生していなかった」として、シンドラー社元東京支社保守第2課長に無罪判決を言い渡した。一方で、保守を請け負っていたエス・イー・シーエレベーターの3名(会長・社長・メンテナンス部長)については「遅くとも事故の9日前の点検ではブレーキの異常摩耗が発生していたが、五感に頼った管理体制が兆候を見逃した」として有罪判決を言い渡した[10]。3名はその後控訴している他、東京地方検察庁は、シンドラー元東京支社保守第2課長の東京地方裁判所の第一審判決に対し、上告した。同時に遺族らによる損害賠償訴訟も続いたが、2017年にシンドラーエレベータ側が和解に応じて終結した。
2016年8月30日、消費者安全法第24条3項に基づき、消費者庁直轄の消費者安全調査委員会による調査報告書が公表された。本書によれば、シンドラー社の該当機種においてブレーキが日本の他社メーカーには見られないソレノイドを使用した構造になっており、以前から構造に問題があることが指摘されていてシンドラー純正保守でもメンテナンスが難しかったとされる。しかし、資本関係のない独立系の競合他社であるエス・イー・シーエレベーターが保守を受注し、なおかつシンドラー社からの技術的な情報提供もなかったため、保守を行っていた作業員はソレノイドが動作している事のみを確認し、ソレノイドの抵抗値測定を怠った(抵抗値は規定44.5Ω、事故後測定23.4Ω)。結果、ソレノイドの故障によりブレーキが半分かかった状態で運転していることに作業員が気づくことはなく、ブレーキのストロークは規定2mm、残ストローク4mmの総ストローク6mmのところ、規定量2mmを摩耗した後、さらにそのまま残ストローク4mmを超えてプランジャーロッドがストロークリミッターへ接触。ブレーキドラムにライニングを十分に押しつけることができずにカゴが動き出してしまった事が事故の原因とされる。[11]
エレベーターは後に、同じ建物内にあった3基のシンドラー社製エレベーターも含め、5基とも三菱電機製[注 3]のものに交換された。なお、保守点検は交換時から同社の子会社であるメーカー系保守会社の三菱電機ビルテクノサービス[注 4]が実施している。