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この物語はキャラクターの死や心の揺れを含む描写があります。読む際はご自身の心の状態にご配慮ください。
コツ、コツ、と。規則的な足音が、やけに響く。
その音だけが、この空間を支配しているようだった。
現れたのは、綺麗に編まれた三つ編みの少女。
だが、その瞳は赤く、血を閉じ込めたようで――背筋が凍る。
「お前は……」
問いかけると、少女は歪んだ笑みを浮かべて、楽しげに呟いた。
「……世界の中心、だよ。」
どこかで聞いたことのある言葉。顔立ちも見覚えがある気がする。
見た目はミヨと同じ十四歳ほどだが、年輪を刻んだような異様な気配を漂わせていた。
イロハが一歩前に出る。剣に手をかけ、その瞳を細める。
「あなた、誰ですか。」
少女は猫のように細めた目でこちらを見やり、口元を弧に歪めた。
「あれ?会わなかったっけ?あの門の前で。案内してあげたじゃん。」
やっと、分かった。会ったことがある気がしたのは、本当に会ったことがあったから。
あの時、月見の森の門の前で、歌いながら俺たちを導いたあの少女が、今、目の前にいるのか。
「名前なんてどうでもいいけど、みんなが呼ぶから“リアス”。I.C.O.の長よ。よろしくね。」
その瞬間、息が止まった。
四月一日さんが言っていた――守護者の名。
ありえない。“ただの少女”が観測機関の長だなんて。頭の中の拒絶が連打される。
イロハが口を開く。
「観測機関の長が、あなたのような子供……?」
「やめてよ。“観測機関”なんて古臭い呼び方。今はI.C.O.っていうの。」
そう言ってリアスは、スカートの裾をつまみ、舞踏会の姫のようにくるりと回った。
優雅な仕草に似合わぬ紅い瞳が、ぎらついている。
「わかってるくせに聞いてるんでしょ。……その声も、全部嘘だもの。」
イロハは黙り込み、いつもよりさらに冷徹な表情を滲ませる。
「どうしてここに?」
「承知で来たんじゃないの? 私たちは、君たちの過去も未来も、可能性も覗いている。君たちがどこへ辿り着くかなんて、全部わかるのよ。」
沈黙が落ちる。イロハは一度目を伏せ、息を整えると問いを重ねた。
「……何故、先程私たちに……いえ、特に私に銃口を向けたのですか。」
リアスは顔を上げ、ゆっくりと口角を持ち上げた。
「それはね――邪魔だから。あなた、イロハという存在が。」
その言葉に、空気全体が凍りつく。
風のないはずのこの部屋に、雪の冷たさがすり抜けていった。
「……は?」
思わず声が漏れる。邪魔?何が邪魔だというのか。イロハはただ、生きているだけだ。
イロハが再び問う。
「……詳しく、教えてもらえますか。」
リアスは踊るように歩き出した。宙を漂う本たちが、パラパラと紙を鳴らし、彼女のステップに伴奏を添える。
「えぇ〜、どうしようかなぁ。」
その時、俺の中の何かが、プツリと音を鳴らした。心臓の辺りが、熱い。
気づけば腕が伸びていた。自分でも驚くほどの力で、少女の胸ぐらを掴んでいた。
胸ぐらを掴んだ俺を、リアスは楽しそうに見上げる。
「なに?」
「ふざけんな……!早く言え、この――」
言い切る前に、リアスの紅い瞳が細められた。
笑みを浮かべながらも、空気だけは一瞬で冷たく変わる。
「……口が悪いね。レン。」
ぞくりと背筋を這い上がるものがある。だが掴む手を緩めるわけにはいかない。
「言え……何で俺たちを弄んだ!」
リアスは愉快そうにくすりと笑い、俺の耳元で囁くように言った。
「あのね、レンには“特別な力”があるの。」
「……特別?」
「そう。その剣の能力も、君自身も。観測者の中で、たった一人しか持てない“鍵”。」
「鍵……?」
リアスは紅い瞳を光らせ、楽しげに続ける。
「でも最近まで、君は力を解放できなかった。だから手助けしたの。……絶望を、少し味わってもらってね。」
「……っ!」
イロハが剣の柄を握り、低く息を呑む。
「……まさか、それで……」
「……ははっ、そう。」
俺の、胸ぐらを掴む手の力が、だんだん抜けていく。
リアスは、俺の腕を掴み、引っ張って、耳元で囁く。
「……君の力を引き出すためにね」
心臓が、嫌な音を立てた。
分かってしまった。分かりたくなかった。
だけど、彼女の次の言葉を聞くまでもなく――頭の中で、最悪の答えが浮かんでしまった。
リアスは、残酷なほど軽やかに告げる。
「お父さんと妹には、消えてもらったの。」
世界が反転する。
視界の端から色が失われ、耳鳴りだけがやけに大きくなる。
胸ぐらを掴んだ手が震え、やがて、リアスから離れる。
……俺のせいだ。
俺が“鍵”なんて力を持っていたから。
二人は、殺された。
「……そんな、俺のせいで……?」
「うん。まぁ、そういうことにもなるかな。」
膝から、崩れ落ちる。たっている気力さえも、奪われた。
そんな、よく分からないこんな力のために……俺なんかのために、二人は……。
頭を抱える。理解したくない、知りたくなかった。知らない方が、まだ幸せだった。
周りが見えなくなる、モザイクがかかったように視界がシャットダウンする。
手の震えも、胸の詰まりも、全てが俺の中で暴れまわる。
その時――背後から、想像を絶するほど重い足音が響いた。
振り返ると、イロハが立っていた。瞳は燃えているようで。全身から怒りが迸る。
「……あなた、人の命をなんだと思って?」
その声だけで、リアスの軽やかな空気が凍る。
リアスは唸ったあと、肩をすくめるように答えた。
「知らないよ。興味もないもの。”命の価値”なんてね、都合が悪くなったら綺麗事を言う人間のための言葉。実際、赤の他人が死んでも悲しまない。あなたも、きっとそうでしょ?」
リアスは親指を立て、そしてその指を逆さに向けた。
その仕草を見た瞬間、俺の胸がぎゅっと締め付けられる。怒り?悲しみ?それともただの絶望?
何も考えられない。ただ、心臓が暴れ、息が詰まる。。
「そういう、綺麗事しか言わないあなたみたいな人、私嫌い。」
一呼吸置いて、またステップを踏み始める。
「それに、邪魔ばかりするなんて。本当面倒くさい。本当はあなた達二人、出会う予定じゃなかったのに。」
「……どういうこと。」
「そのままの意味よ。あなた達が一緒にいたら、計画が水の泡よ。だからーー」
イロハに向かって指を指し、唇の傍らをヒョイっと上げた。
「イロハも、消えてもらう。」
その言葉を聞いた瞬間、吐き気が襲ってきた。もしも、また一人、俺のせいで消えるなんてことがあったら、その時はもう耐えられない。自己嫌悪で頭がおかしくなるに決まってる。
もう、大切な人には、消えて欲しくないのに。
「どれだけ、俺から大切なものを奪いたがるんだ。」
「だって、そうしないと、あなたを仲間として迎え入れられないもの。」
もう、反抗する気力も失せる。リアスの発する言葉は、到底理解できない。理解したくない。
「ま、安心して。今日は挨拶程度。次会うときは、生きられるかな?イロハ。」
そう笑いながら、手を振って彼女は部屋を出ていく。軽やかに床を踏み、鼻歌のリズムが部屋の静けさを切り裂く。
彼女が消えるまで、俺たちはただ、その姿を呆然と見つめていた。
レンは、大丈夫なのだろうか。
私は、観測機関――I.C.O.の長、リアスを見つめながら、そう考えていた。
あの剣の力が特別だなんて、知らなかった。
そして、その力のせいで、レンの大切な人たちが――。
赦せることじゃない。命を、ほこりのように扱うなんて。
でも、正直言えば――私も、彼女と同じかもしれない。
救済の名のもとに、人を殺してきた。
あのときの私は、正しかったのか。不正解だったのか――今でも分からない。
いや、それよりも――。
これは重大な問題に直面している。レンの力が狙われているだけでなく、私の命までが標的だ。
私の命なんて、別にどうなってもいい。死んだって構わない。
でも――もし、私が消えたら、この人はどうなるのだろう。
床に手をつき、肩を震わせるレンを、私は静かに見下ろした。
“大切なもの”だと言った。レンにとって大切なら、私は今、消えてはいけない――そう、心に誓った。
「レン。」
私は彼と目線を合わせるため、同じようにしゃがんだ。レンの顔を覗き込む。
まずは、落ち着かせないと。そうしないと、何も始まらない。
レンはゆっくり、私の目を見つめた。
「大丈夫ですか?」
私は、レンが大丈夫ではないのをわかっておきながら、そう尋ねた。頭ではわかっていても、勝手にそう言葉が出てしまう。
レンは、ぎこちなく口角を上げて、目を細めた。
「大丈夫」、そう言った。
でも、それが嘘だということを、私は知っている。彼は嘘が下手、誰だって嘘だと分かる。
「……嘘。」
そう呟いて、私はどうするべきか、思考を巡らせる。
人が落ち込む時は、どうすれば元気が出るのか。
私なら、こんな時、どういう対応をされれば喜ぶ?
きっと今、レンは悲しくて、怒っている。自分の無力さに押しつぶされそうになるほどに。
でも、そんな時はどうすればいいのか。私はわからない。人の心は、その人にすら分からないことも多い。
悲しい時、悩んだ時、私のお母様なら、どうした?
撫でてくれた、抱きしめてくれた、優しくささやいた。それで私の心の迷いは消えた。
そうすれば、いいのかな。
それだけで、いいのか。
何を言えば、いいの。
大丈夫。
あなたのせいじゃない。
そんな言葉はきっと逆効果。
なら。
私は、彼をそっと抱き寄せた。
肩に手を回し、背中を優しく撫でる。
その小さな温もりが、彼の震える身体に伝わればいい。
「大丈夫。あなたのせいじゃない」
心の中で、何度もそう呟く。
言葉には出さずとも、抱きしめるだけで、少しでも救われてほしい――そう思った。
レンの肩がわずかに震える。
けれど、その震えの中に、ほんの少しだけ力が戻ってきた気がした。
「イロハ……?」
小さく震えた声で、そう訪ねるレンの声に私は「はい、なんでしょう」と答えた。
「……なんで?ちょっと、ほんとに大丈夫だから」
「人は皆、嘘をつくのですよ。大丈夫じゃない時に限って、”大丈夫”、と。」
私は、レンを抱きしめる力を少し強めた。
こうすれば、落ち着く。私がまだ幼子の時は、お母様は、よく抱きしめて、撫でてくれた。
レンの頭もよしよしと撫でる。よし、こうすれば元気が出るはず。
「いや、俺子供じゃないし……ちょっと近い、離れようよ。」
困惑するように言うレンに、私は少しむっとしたけれど、素直に抱きしめるのをやめた。
でもレンの目には、ほんの少し安堵の光があった。
そして、今度は嘘じゃない笑みを浮かべて、
「でも、ありがとう」と小さく言う。お礼を言われるほどのことじゃないはずなのに、ほわほわと、心が温かくなる。
そして、レンは立ち上がる。
「もう、いいのですか。」
「うん、大丈夫。」
今度の大丈夫は、ほんとの大丈夫なのだろうか。
分からない。
私も続くように立ち上がり、彼を見上げる。
「……もう、帰りますか。」
もう、レンの知りたいことは、知ることができた。ならもう、ここにいる意味もない。
「……いいや。」
レンは、首を振った。まだ、何かあるのか。
「この書架の奥に、まだ何かあるかもしれない。もしかすると、イロハ関連のことが書かれてるかもしれない。その、消えた記憶のこととかね。」
言いながら、レンの瞳に少し光が宿る。未知の情報に触れる緊張と期待が、混ざり合っているようだった。
「なら、少し、見てみましょうか。」
そう言って、足を踏み出した。
奥に進むと、なんだか少し、肌寒い。
空間も薄暗く、ただ静かに本がそこらを浮くだけ。
「……ここは、なんだか暗いですね。」
「うん……。」
後ろをついて来るレンの声は、少し強ばっているように聞こえた。後ろを振り返っても、表情は読み取ることが困難。諦めてもう一度前を向いた。
その時、私の頭にコツンと、一冊の本がぶつかる。
「あ。」
ぶつかった本は、床にドスッと落ちた。……ただの本なのに、どこか不自然な重みがあったように感じた。
「大丈夫?」
「……えぇ、前方を確認していなかった私が悪いです。」
床に落ちた本を、私は拾い上げた。これは、誰のことが書かれた本なのだろうか。そう思って、背表紙を確認した。
そこには。
“桜月イロハ”という、名前が。
これは、私の名前?
「私の、本。」
「え、まじ?」
中身が気になり、シュラ……とページをめくった。
でも、ページは全て真っ白。わずかに暖かみを感じるだけで、文字の形は何も見えなかった。
「なんだ。なんも無い。」
「ええ、まるで隠しているようですね。」
私はその本から手を離した。すると本は浮き、どこかに真っ直ぐ飛んでいく。なにか、道案内をするように。
なにか、知ってる?
そう直感し、私は気づけば、その本に吸い寄せられていた。
背筋にぞくりと寒気が走る。――でも、逃げられないような不思議な引力が、私を導いていた。
その本が導く先にあったのは、本棚だった。
どれも似たような本棚ばかり……と思ったけれど、ひとつだけ違った。
上の方に貼られた札には、はっきりとこう書かれている。
「試作体記録」
試作体……? 一体何なのだろう……。
思わず息が詰まる。レンも同じように目を見開いている。
すると、奥から二冊の本が、まるで「私を見て」とでも言うように、こちらに飛んできた。
手に取ると、レンと二人で背表紙を確認する。そこには、ありえないはずの名前が刻まれていた。
“試作体No.07 凪津(なぎつ)フユリ”
一瞬、呼吸を忘れた。
胸が、ぎゅっと痛む。手の中の本が熱を帯びたように震えている気さえする。
「……フユリの名前……?」
レンの声が震える。私も同じ。信じられない。あの子が――。
どうしてここに? どうして“試作体”なんて呼ばれているの?
フユリの声と、あの笑顔が脳裏に蘇る。
「ある観測者様に助けてもらった――」
まさか、あれは……。
「じゃあ、フユリさんは……!」
レンが慌ててこちらを見る。
私は必死に首を振る。
「いえ、フユリは……フユリは悪い人じゃない。まずは、この子の記録を見なきゃ。」
その時、こめかみに“コツン”と衝撃。
「んっ……?」
見れば、もう一冊の本が小突くように私の頭に当たっていた。まるで「先に私を見ろ」と主張しているみたいに。
「ちょ、痛い……わかった、わかりました。あなたを先に見ますから。」
思わず本に言い訳しながら、その表紙を確かめる。
“試作体No.91 白世羅(びゃくせら)マシロ”
……白世羅? 聞いたことのない名前だった。
けれど、この本が自分から飛び込んできたのだ。偶然とは思えない。
数秒、表紙を見つめて——ページを開いた瞬間。
そよ風が吹き、髪が乱れる。文字が蝶のように舞い上がり、私の視界を埋め尽くす。
——そして、頭の奥に、知らない記憶の奔流が溢れ出した。
視界が開くと、そこは暗い空間だった。
鎖に繋がれた寝台。うなるように動く、馴染みのない機械。
視線を移すと、筒状のガラス。中には液体——
いや、液体だけではない。
子どもが、浮かんでいた。
私とさほど違わない年頃の、雪のように白い髪。
前髪の一部が淡い空色を帯び、刈り込まれた短い毛と長い毛が交差する不思議な髪型。
光を受けるたび、狼の影のような印象を与える。
その子は壊れた人形のように目を閉じ、液体の中をただ漂っている。無垢な姿で。
やがて、ゆっくりと唇が開いた。声はない。だが、黒い文字が脳裏に流れ込むように刺さった。
「ワタシは、誰?」
「何をすればいいの?」
「真似をすればいいの?」
「アノ人の、イロハの――」
言葉が糸のように絡まり、ぐちゃぐちゃに押し寄せる。
「真似」という響きが、胸を深く抉る。
そして、冷たく直截的な一行が、突き刺さった。
——「イロハの、クローンだから。」
記憶の洪水は、そこでぱたりと止まった。
「──?」
「──!」
誰かの声が遠くから響く。視界はまだぼやけていて、聴覚もまともじゃない。
「……おい!」
「イロハ!!」
ようやく現実が戻った。
天井。そして、すぐ近くのレンの顔。青ざめ、震えている。
口が乾き、手が勝手に震えているのを感じた。
「……ん?」
「“ん?”じゃねえよ!急に黙り込んで倒れるから、こっちはパニックだったんだぞ!」
レンの声は怒鳴るようでいて、震えていた。
「あ……ごめん、なさい。」
かろうじて謝り、おでこに手を当てる。頭が霞む。さっきのは夢だろうか。
でも――あの子は、生きていた。
夢なんかじゃ、ない。
なまりのように重たい身体を、無理やり床から剥がす。立ち上がると、足元がふらついた。
「……イロハ、顔色がひどい。」
レンが眉をひそめる。その目には、焦りと苛立ちが混ざっていた。
「……ええ。」
胸がざわつく。さっきの声は、私の“クローン”だと名乗った。
人工的に作られた人……本当にそんな存在が?
自分が自分じゃなくなるようで、足の力が抜けそうだ。
……I.C.O.は、いったい何をしていたの?
「なぁ、なにがあったんだよ。」
レンに問われ、私は見たものをそのまま説明した。
すると、みるみる彼の顔が青ざめていく。そして、かすれた声で。
「……なんか、SFの映画とかでありそうな話だな……。でも、どういうこと?」
「私が聞きたいですね。」
彼も分からないなら、なおさら。
“クローン”なんて言葉が、こんなに重い意味を持つなんて。
「……一度、この子の本は置いておきましょう。本題は、フユリの記録です。」
私はマシロの本を、床に優しく置いて、宙を飛ぶフユリの本を、手に取った。
これを開けたら、どうなるのだろうか。
また頭に映像が流れる?
フユリの記憶が、溢れ出す?
それを私は、見られるのか、耐えられるのか。
何があるのか分からない、でも。
「あの子のこと、もっと、知りたい。」
いつか、私のことを知ろうとしてくれたみたいに。
“イロハ!”
あの笑顔の裏に、何があったのか。
それを、今知る時。
私は、本のページを開いた。
予想通り、文字の羅列は、私とレンを囲う。
視界が霞んでいく。
その向こうに、フユリがいる。
第十の月夜 「魂の傷跡」へ続く。