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第34話「七十年前の恋人の息子が訪ねてきました」
会社。
受付前。
森野リリカは。
立ち止まっていた。
少し離れたソファ。
一人の老人が座っている。
白髪。
細い身体。
杖。
年齢は。
八十代後半くらい。
老人が顔を上げる。
森野を見る。
そして。
ゆっくり立ち上がった。
「……森野さん」
森野の耳が。
わずかに下がる。
「橘さん」
老人は。
しばらく。
森野の顔を見つめていた。
「本当に」
声が震える。
「変わらないんですね」
森野は。
答えなかった。
老人は笑う。
「父の写真と」
「……」
「まったく同じです」
相沢直人は。
少し離れた場所にいた。
神崎レオンもいる。
部長が気を利かせ。
小会議室を用意した。
四人。
森野。
相沢。
神崎。
そして。
橘宗一郎。
テーブル。
お茶。
宗一郎が。
古い封筒を置く。
「突然すみません」
森野。
「いえ」
「テレビで」
「はい」
「あなたを見ました」
「……」
「名前を聞いて」
老人は笑う。
「まさかと思いました」
森野は。
古い封筒を見る。
「お父様は」
少し間。
「いつ?」
宗一郎は静かに答える。
「二十五年前です」
森野の耳が。
下がった。
「そうですか」
相沢は。
その言葉の意味を理解する。
森野が。
昔愛した人。
七十年以上前に別れた。
でも。
その男性は。
二十五年前まで。
生きていた。
森野は。
知らなかった。
「九十四歳でした」
「長生きされたんですね」
「はい」
宗一郎が笑う。
「最後まで元気でした」
森野も。
少しだけ笑う。
「よかった」
宗一郎は。
封筒を森野の前へ。
「これ」
「何でしょう」
「父の遺品です」
森野は。
動かない。
「あなた宛てです」
「私に?」
「はい」
相沢を見る。
神崎を見る。
そして。
封筒を見る。
表。
古い文字。
『森野リリカ様』
森野の指が。
止まる。
「いつ書いたものですか?」
「分かりません」
宗一郎が言う。
「父の机にずっとありました」
「……」
「私は」
「はい」
「あなたが誰なのか知りませんでした」
当然。
宗一郎が子供だったころ。
森野は。
すでに父親の前から。
消えていた。
「父は」
宗一郎が言う。
「たまに話していました」
森野の耳が。
ぴく。
「何を?」
「昔」
少し笑う。
「不思議な女性と付き合っていたって」
森野。
「……」
「全然年を取らない人だったって」
神崎が。
静かに聞いている。
宗一郎。
「子供の私は」
「はい」
「父の作り話だと思っていました」
森野が苦笑する。
「普通はそう思います」
「でも」
宗一郎は森野を見る。
「本当だったんですね」
「はい」
初めて。
はっきり答える。
「本当です」
宗一郎は。
深く息を吐いた。
「父は」
「はい」
「あなたを恨んでいませんでした」
森野の耳が。
ぴく。
「……恨む?」
「突然いなくなったのでしょう?」
森野は下を見る。
「はい」
「理由も言わず」
「はい」
「それでも」
宗一郎は笑う。
「楽しかったって」
森野の目が。
少し揺れる。
「よく言っていました」
「……」
「若いころ」
「はい」
「本当に好きな人がいた」
「……」
「でも」
宗一郎は言う。
「その人には、その人の事情があったんだろうって」
森野は。
長い間。
何も言わなかった。
やがて。
「そうですか」
それだけ。
相沢は。
森野の手が。
テーブルの下で。
小さく震えているのに気づいた。
宗一郎が立つ。
「これを渡したかっただけです」
「ありがとうございます」
「父も」
老人は森野を見る。
「喜んでいると思います」
森野は。
頭を下げた。
「ありがとうございました」
宗一郎が帰る。
会議室。
三人。
封筒。
誰も話さない。
神崎が立った。
「私は戻ります」
森野。
「レオン」
「はい」
「ありがとう」
「何もしてませんよ」
「それでも」
神崎は。
相沢を見る。
そして。
小さくうなずく。
出ていく。
二人。
森野。
相沢。
封筒。
相沢が聞く。
「読む?」
「……」
「一人になる?」
森野は首を振る。
「いてください」
「分かった」
封筒を開く。
紙。
古い。
文字。
森野は。
ゆっくり読む。
相沢は。
見ない。
数分。
森野が。
突然笑った。
「何?」
「この人」
涙。
一滴。
「最後まで」
もう一滴。
「ずるいですね」
「何て?」
森野は。
手紙を見る。
「長くありません」
「うん」
「私がいなくなった理由は」
「うん」
「分からないけど」
森野は。
少し笑う。
「怒ってないって」
「……」
「どこかで元気なら、それでいいって」
相沢は。
何も言わない。
「それから」
「うん」
「もし」
森野は。
声を詰まらせる。
「また誰かを好きになったら」
「……」
「今度は」
涙を拭く。
「黙って消えるなって」
相沢は。
息を吐いた。
森野が笑う。
「七十年以上前の人に」
「うん」
「怒られました」
「そうだね」
「私」
「うん」
「逃げたんです」
「……」
「あの人が年を取っていくのが怖くて」
「うん」
「自分だけ変わらないのが怖くて」
「うん」
「だから」
森野は言う。
「先にいなくなりました」
相沢は。
初めて知った。
昔の恋は。
死別ではなかった。
森野が。
別れを恐れて。
逃げた恋だった。
「そのあと」
森野が言う。
「何度も会いたいと思いました」
「会わなかった?」
「はい」
「どうして?」
「もう家庭があるかもしれない」
「うん」
「幸せに暮らしているかもしれない」
「うん」
「私が現れたら」
少し間。
「迷惑かもしれない」
相沢は。
テーブルの上の。
森野の手を握る。
森野が見る。
「相沢さん」
「俺は」
「はい」
「黙って消えたら怒るよ」
森野の耳。
ぴく。
「分かっています」
「百年くらい怒る」
「相沢さんは百三十一歳になります」
「頑張る」
森野が笑う。
涙を拭く。
「じゃあ」
「うん」
「消えません」
耳。
動かない。
「約束?」
「はい」
「俺も」
「何が?」
「勝手に消えない」
森野が少し困った顔。
「それは」
「うん」
「相沢さんの場合」
「うん」
「寿命がありますから」
「そういう意味じゃない」
「分かっています」
少し。
沈黙。
森野が。
相沢の肩に。
頭を乗せる。
「五分」
「何が?」
「このまま」
「いいよ」
「五分だけです」
「十分でも」
「五分」
十分後。
森野は。
まだ動かなかった。
相沢も。
何も言わなかった。
その夜。
二人で駅まで歩く。
森野は。
古い手紙を。
バッグの中に入れている。
「家に帰ったら」
「うん」
「ちゃんと読みます」
「何回?」
「たぶん」
少し笑う。
「何十回も」
「エルフだから何百回かも」
「それはありません」
ぴく。
「ありそう」
「相沢さん」
「はい」
「今日」
「うん」
「家に来ます?」
相沢が止まる。
「いいの?」
「はい」
「泊まっても?」
森野も。
止まる。
耳。
一気に赤くなる。
「そこまでは言ってません!」
「確認しただけ」
「帰ってください」
「まだ駅にも着いてない」
「では駅で帰ってください」
「怒った?」
「怒りました」
「ごめん」
「……」
数歩。
森野が小さく。
「でも」
「何?」
「遅くなったら」
「うん」
「無理に帰らなくても」
耳。
ぴくぴくぴく。
相沢は。
何も言わない。
森野。
「何ですか」
「いや」
「何?」
「かわいいなと思って」
「帰ってください!」
翌朝。
午前八時四十分。
森野のマンション。
キッチン。
森野。
部屋着。
髪は巻いていない。
耳。
完全に出ている。
相沢。
テーブル。
コーヒー。
森野が言う。
「相沢さん」
「はい」
「会社では」
「はい」
「絶対に」
「はい」
「何も言わないでください」
「何を?」
森野の耳。
真っ赤。
「泊まったことです!」
「分かってる」
「特に田中さん」
「分かってる」
「レオンにも」
「はい」
「月島さんにも」
「はい」
午前九時十分。
営業企画部。
田中が。
森野を見る。
次に。
相沢を見る。
もう一度。
森野を見る。
「森野さん」
「何ですか」
「今日」
「はい」
「相沢さんと同じコーヒーの匂いしますね」
森野。
停止。
相沢。
停止。
神崎。
顔を上げる。
月島。
顔を上げる。
森野の耳。
ぴくっ。
田中。
「……」
神崎。
「……」
月島。
「……」
森野。
「仕事してください!」
どうやら。
七十年前の恋が戻ってきた翌朝も。
会社は。
いつも通り。
平和ではなかった。
コメント
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みぅだよ🤍🥀 第34話、読んだよ…。 七十年前の恋人の息子さんが来るって、もう冒頭から胸が締め付けられた。あの老人が「本当に変わらないんですね」って言うシーン、森野さんの沈黙がすごく重かった。 手紙。「怒ってないよ」「どこかで元気ならそれでいい」って…最後までずるい人だね。森野さんが逃げた理由を知った時、私も声が出なかったよ。愛する人が老いていくのが怖いって、そんなの…エルフだからこその痛みだよね。 でも最後、相沢さんとのやり取りで少しずつ温かくなる感じが好き。泊まる話で耳が真っ赤になる森野さん、かわいすぎた。そして田中さんの嗅覚…まさかバレるとは思わなかった(笑)。 nashirinさん、このエピソードめちゃくちゃ沁みました。重い過去と、今の優しい関係がじんわり重なって、すごくいいバランスだった…。続き、楽しみにしてるね🌙