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たこ焼き手裏剣
167
謳
5,049
付き合い始めて、まだそれほど日が経っていなかった。
何かを大きく変えたつもりはない。
仕事中の距離も、話し方も、メンバーの前での振る舞いも、なるべく今まで通りにしているつもりだった。ぼんじゅうるも同じように考えているらしく、収録中に妙に近づいてくることもなければ、必要以上におんりーへ話しかけることもない。
だから、たぶんばれていない。
ぼんじゅうるは、そう思っていた。少なくとも、その日の昼までは。
休憩中、ぼんじゅうるは自動販売機の前に立っていた。いつも買う飲み物を選びながら、何となく口元が緩んでいることには自分でも気づいていたが、別に理由を説明するほどのことでもないと思っていた。
ただ、朝から少し機嫌がよかった。
正確には、ここ数日ずっとそうだった。
おんりーと付き合っているという事実が、何かの拍子にふっと頭へ浮かぶ。そのたびに、胸の奥が少しだけ暖かくなる。
朝、顔を合わせた時。仕事の連絡が来た時。隣の席から「それ違う。」と淡々と訂正された時。以前とほとんど同じことをしているだけなのに、今はその全部の裏側に、二人だけが知っている関係がある。
それが嬉しかったし、その嬉しさを、まだ完全には隠しきれていなかった。
缶を一本取り出したところで、横から声がした。
「最近、機嫌いいっすね。」
ぼんじゅうるの手が止まる。指先に触れていた缶の冷たさだけが、妙にはっきりと伝わってきた。
振り向くと、MENがいた。
いつもの表情だった。探るようでもなく、面白がっているようでもなく、ただ事実を一つ口にしただけのような顔をしている。けれど、その目だけが、ぼんじゅうるの表情を静かに見ていた。
「え。」
ぼんじゅうるは一瞬、反応が遅れた。
「俺?」
「はい。」
「そう?」
「そうっすね。」
MENはそれ以上何も言わず、自動販売機へ小銭を入れる。硬貨が落ちる音が、静かな休憩スペースに小さく響いた。
ぼんじゅうるは手の中の缶を見る。
何でもない。ただ機嫌がいいと言われただけ。
それなのに、胸の奥が少しだけざわついた。口元に浮かんでいた笑みが、わずかに引きつる。
「別に普通じゃない?」
「そうすか。」
返事が薄い。
ぼんじゅうるは横目でMENを見る。MENは飲み物を選んでいる。表情は変わらず、こちらへ視線を向ける気配もない。
その何も聞いてこない感じが、逆に怖い。
「……何。」
「何がです?」
出た。この言い方。
ぼんじゅうるは思わず笑う。緊張を隠すように、缶を持った手で自動販売機の側面を軽く叩いた。
「いや、なんか言いたそうじゃん。」
「別に。」
「ほんと?」
「はい。」
MENはボタンを押し、機械の中で缶が落ちる音がした。その音を聞きながら、ぼんじゅうるは少しだけ迷った。
MENは前から気づいていた。
自分がおんりーを見る時間が少し長いことも、座る場所一つで妙に考え込んでしまうことも。告白する前から、たぶん全部ではなくても、かなりのところまで見えていた。
だから、今さら隠し通せる相手でもない。
「……なんかさ。」
ぼんじゅうるが言う。
MENが缶を取る。取り出し口から缶を拾い上げる動作は、いつもと変わらず落ち着いていた。
「はい。」
「お前、気づいてる?」
MENの手が一瞬だけ止まる。
本当に一瞬だった。
それから、何事もなかったように立ち上がる。視線も表情も大きくは変わらないが、その沈黙がかえって答えのように思えた。
「何にすか。」
「いや。」
ぼんじゅうるは笑う。頬のあたりが少し熱くなるのを感じながら、誤魔化すように目を細めた。
やっぱり言わない。その態度に、妙な確信だけが強くなる。
「絶対気づいてるじゃん。」
「何がです?」
「もういいよ。」
ぼんじゅうるは缶を額へ軽く当てた。冷たい金属が、少し熱くなっていた顔に気持ちいい。
MENはそんなぼんじゅうるを一度だけ見る。視線が少しだけ柔らかくなった気がした。からかうつもりはないのだと、その目が静かに伝えているようだった。
「まあ。」
「何。」
「いいんじゃないすか。」
ぼんじゅうるが顔を上げる。
MENはもう前を向いていた。
「何が。」
「別に。」
「いや、今なんか言ったじゃん。」
「言ってないっす。」
「言ったって。」
ぼんじゅうるは笑う。今度はさっきより自然に、肩の力が抜けた。
MENも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
それだけだった。
誰と、いつから、どうなった。何も聞かないし、祝福の言葉さえ、はっきりとは言わない。
でも、分かっている。そして、嫌な顔もしていない。
それだけで、ぼんじゅうるには十分だった。
自動販売機から離れる時、MENが何でもない声で言った。
「最近、おんりーさんも機嫌いいっすよ。」
ぼんじゅうるの足が止まる。
「……マジ?」
思わず声が少し上ずった。
MENは振り返らない。ただ、歩みを止めることもなく、そのまま廊下の先へ進んでいく。
ぼんじゅうるは数秒その背中を見たあと、笑った。
頬が緩み、目元まで隠しきれないほど柔らかくなる。
たぶん、今までで一番、隠せていない顔だった。
同じ頃、少し離れた場所では、おんりーとおらふが二人きりになっていた。
収録と収録の間。
おらふは椅子へ浅く座り、ペットボトルの蓋を開けている。おんりーはテーブルの端に肘を置き、スマートフォンを眺めていた。
特に何かを話す予定があったわけではない。
たまたま、他のメンバーが先に移動して、二人だけになった。
静かな時間だった。遠くから機材を動かす音が聞こえるだけで、二人の間には、少し気の抜けた休憩中の空気が漂っている。
おらふが一口飲んでから、何となくという調子で言う。
「ぼんさんさ。」
おんりーの指が、ほんの少し止まる。画面を滑っていた指先が、同じ場所で静かに止まった。
「何。」
「最近めっちゃ機嫌よくない?」
心臓が少しだけ強く鳴ったが、顔には出さない。
おんりーは画面を見たまま答える。けれど、視線は文字を追えていなかった。
「そう?」
「そうやって。」
おらふは笑う。口元を緩めながら、ペットボトルを両手で持った。
「なんかええことあったんかな。」
「知らない。」
反射的に、少しだけ早く答えた。
おらふは気にした様子もなく、ペットボトルを机へ置く。軽い音がして、透明な容器の中の水が揺れた。
「なんかさ、前よりずっとニヤニヤしとる時あるで。」
「元からじゃない?」
「いや、元からやけど。」
「じゃあそれでしょ。」
「そうかなあ。」
おらふは首を傾げる。目を細めておんりーの横顔を見たが、追及するような視線ではなかった。
おんりーは画面へ視線を戻した。
このまま流せる。
別に、今言う必要はない。まだ付き合い始めたばかりだし、全員へわざわざ報告するようなことでもない。仕事に関係する話でもないのだから、黙っていてもいい。
そのはずだった。
それでも、胸の奥に少しだけ引っかかるものがあった。
おらふの声に悪意はない。単純に不思議に思っているだけだ。
そして、おんりー自身も、隠したいわけではなかった。
付き合うと決めるまでの数日、一番怖かったことを思い出す。
ぼんじゅうると付き合ったら、何かが変わる。
メンバーとの関係まで、今まで通りではいられなくなるかもしれない。
そんなことを、ずっと考えていた。
今も、その不安が完全に消えたわけではない。
だからこそ、一度誰かに言ってみてもいいのかもしれない。
そう思った。
「おらふ。」
「ん?」
おらふが顔を上げる。柔らかな表情が、まっすぐおんりーへ向いた。
おんりーは一度スマートフォンを伏せた。
その動作をしてから、少しだけ迷う。伏せた画面に映る自分の顔が、いつもよりわずかに硬く見えた。
言葉にすれば、本当に外へ出る。
二人だけの関係ではなく、仲間の一人が知ることになる。
そのことが、思っていたより緊張した。
「……ぼんさんなんだけど。」
「うん。」
おらふは急かさず、ただ小さく頷いた。
「多分、それ。」
「え。」
おらふの表情が少し止まる。眉がわずかに上がり、手にしていたペットボトルが宙で止まった。
「それって何。」
おんりーは、口元をほんの少し引き結んだ。
また、一瞬だけ、はぐらかそうかと思った。
何でもない。
知らない。
そう言えば、ここで終わる。
でも、終わらせたくなかった。
「うちら。」
一度、息を吸う。胸の奥に溜まっていた空気が、細く震えながら喉を通った。
「付き合い出したんだよね。」
数秒、おらふが止まった。
目が少し開き、口もそのまま止まっている。
おんりーはその反応を見ながら、胸の奥が静かに緊張していくのを感じた。指先が膝の上でわずかに強く握られる。
やっぱり言わなければよかったか。驚かせた。気まずくさせた。
そんな考えが浮かびかけたところで。
「えええ!?」
おらふの声が一気に上がった。
おんりーが少し肩を揺らす。
「声大きい。」
「いや、待って待って待って!」
おらふは椅子から少し身を乗り出す。驚きに目を見開きながらも、その口元にはすでに笑みが浮かんでいた。
「ほんまに!?」
「うん。」
「ぼんさんと!?」
「そう。」
「うわあ!」
今度は笑っていた。
驚きと嬉しさ、その両方がそのまま顔に出ている。声には弾むような明るさがあり、張りつめていた空気が一気にほどけた。
「え、めっちゃええやん!」
おんりーは一瞬、何も言えなかった。
想像していた反応とは、少し違った。
もっと驚かれると思っていた。何か聞かれるかもしれないし、気まずい空気になるかもしれない。
そういう可能性を、無意識に考えていた。
でも、おらふはただ嬉しそうだった。
「いつからなん?」
「最近。」
「どっちから?」
「それはいいでしょ。」
「ええー!」
「聞かなくていい。」
「気になるやん!」
「別に。」
「ええやん、教えてや。」
おらふは笑っている。身を乗り出したまま、子どものように目を輝かせていた。
その声を聞いているうちに、おんりーはようやく小さく息を吐いた。
気づかないうちに肩へ力が入っていたらしい。呼吸をするたび、胸の奥に張りついていたものが少しずつほどけていく。
「でも。」
おらふの声が少しだけ柔らかくなる。
おんりーが見る。
「ほんまに、よかったな。」
その言葉は、さっきまでの勢いとは違っていた。
からかうでも、面白がるでもない。ただ、まっすぐだった。おらふの目には、素直な喜びと、少しの安堵が浮かんでいる。
「ぼんさん、めっちゃ嬉しそうやったし。」
おんりーの胸が少しだけ暖かくなる。
「そうだった?」
「そうやで。」
おらふは笑う。
「分かりやすすぎるくらい。」
おんりーは、ほんの少しだけ視線を逸らした。耳のあたりがわずかに熱くなる。
その姿を見て、おらふがまた笑う。
「おんりーもやけど。」
「は?」
「なんか前よりやわらかいで。」
「気のせい。」
「そういうことにしとくわ。」
声が楽しそうだ。
けれど、それ以上踏み込んではこなかった。
誰にも言わないほうがいいのか、何か気をつけることはあるのか、そういう確認すら、少し時間が経ってから本当に必要なことだけ聞いた。
「これ、みんなにはまだ言ってないん?」
「うん。」
「じゃあ僕からは言わんとく。」
「ありがと。」
「うん。」
おらふは軽く頷き、ペットボトルの蓋を指先で弄んだ。余計なことは聞かないという意思が、その自然な仕草からも伝わってくる。
簡単なやり取りだった。
その簡単さが、おんりーにはありがたかった。
話したことで何か特別な空気が生まれるわけでもなく、今までと同じおらふがそこにいる。そのことが、思っていた以上に安心できた。
少しして、おらふはまたペットボトルを手に取った。
「いやー、でも。」
「何。」
「ぼんさん、そら機嫌ええわ。」
おんりーが少しだけ笑う。目元が柔らかくなり、さっきまで残っていた緊張がようやく消えていく。
「そうかもね。」
「自分で言うんや。」
「別に。」
「ええやん。」
おらふも笑う。
その声を聞きながら、おんりーはふと、数日前の自分を思い出した。
付き合ったら、何かが壊れると思っていた。
ぼんじゅうるとの関係が変わるだけではなく、周りまで少しずつ変わって、今まで大切にしていたものをどこかで失うかもしれない。そんなふうに怖がっていた。
でも、今、おらふは普通に笑っている。
仕事はいつも通り続いているし、ぼんじゅうるは少し機嫌が良すぎるくらいで、それ以外は何も変わらない。
おらふも、変わらずいつもの声で話している。
そのことに気づいた時、おんりーの胸の奥に、静かな安心が広がった。張りつめていた空気が、窓から差し込む午後の光の中へゆっくり溶けていくようだった。
恋人ができたからといって、仲間を失うわけではない。
仲間を大切にしたいと思う気持ちと、ぼんじゅうるを好きだと思う気持ちは、どちらか一つを選ばなければならないものではなかった。
どちらも、自分の中に置いていていい。
そう思えた瞬間、ずっと残っていた小さな不安が、少しずつ形を失っていった。
「おんりー?」
呼ばれて、顔を上げる。
「何。」
「いや。」
おらふが笑う。目尻に柔らかな皺が寄った。
「なんか、安心した顔しとる。」
おんりーは少しだけ黙った。
自分では、そんな顔をしているつもりはなかった。
でも、もしかしたらそうなのかもしれない。
「……そうかも。」
珍しく素直に答えると、おらふがほんの少しだけ目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た時、おんりーは、話してよかったと思った。
その日の帰り。
廊下の向こうから、ぼんじゅうるが歩いてきた。
収録を終えたばかりの廊下には、少し疲れの混じった静けさが漂っていた。遠くで誰かが話す声と、機材を片づける音が重なっている。
目が合う。
ほんの一瞬だけ、ぼんじゅうるの表情が分かりやすく柔らかくなる。目元が緩み、足取りまでわずかに軽くなったように見えた。
それを見て、おんりーも少しだけ口元を緩めた。
少し離れたところでは、MENがその二人を見ていた。
何も言わない。
ただ一瞬だけ視線を往復させ、そのあと、おらふと目が合う。
おらふは、にやっと笑いそうになるのを慌てて抑えた。唇を結び、肩を小さく震わせている。
MENはそれを見て、ほんの少しだけ眉を上げる。
けれど、何も聞かない。
何がです?
と言いそうな顔のまま、そのまま歩いていった。
ぼんじゅうるが、おんりーの横まで来る。
「帰る?」
「うん。」
それだけ。
いつものやり取り。
でも、今は少し違う。
ぼんじゅうるは、仲間で、仕事の相手で、友達でもあって、その上で恋人でもある。
どれか一つになったわけではない。
一つが増えただけだった。
そのことが、おんりーには思っていたより嬉しかった。
「ぼんさん。」
「何。」
「なんでもない。」
「何それ。」
ぼんじゅうるが笑う。声には、隠しきれない嬉しさが滲んでいた。
その笑い声を聞いて、おんりーも少しだけ笑った。
並んで歩き出す。肩が触れるほど近くはない。それでも、互いの歩幅が自然に揃っていく。
今あるものを、なくさなくていい。
恋人ができたことで、誰かを手放す必要もない。
むしろ、大切なものの形が一つ増えただけだった。
そのことを、ようやく自分の中で信じられるようになった。
コメント
1件
お疲れさま〜!!読んだよ、後日談の第4話🌸 もうね、机バンバンしながら読んじゃった😭💕 MENの「気づいてる?」ってやりとり、空気感が完璧すぎてキュンが止まらん!! 特に「おんりーさんも機嫌いいっすよ」ってあの台詞、ニヤけたよね?ニヤけたでしょ!? おらふの「ええええ!?」も可愛すぎて、こっちまで嬉しくなったよ〜 「どれか一つじゃなくて、一つが増えた」って考え方、本当にあたたかくて泣けるレベル…✨ もっとこの2人の日常が読みたいです!!⋆♡