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十数年の月日が流れた。
失踪した次男の和也は、実家の毒から逃れるために、必死に「普通の人生」を擬態して生きていた。
一人暮らしを始め、会社に勤め、優しい彼女と結婚し、子供を設けた。
(僕は, あの地獄の家族とは違う。普通の、温かい家庭を作るんだ) そう自分に言い聞かせていた。
だが、夜中に泣き止まない我が子の声を聴いた瞬間、和也の脳裏に、かつて自分のお願いを全否定し続けた母親の顔がフラッシュバックした。
「うるさい……僕の時間を奪うな。僕を否定するな!」
気がついた時、和也は我が子に対して、かつて母親から受けた精神的虐待を、より暴力的な形で再現していた。
児童虐待による逮捕。 妻からの離婚届。
和也もまた、実家の呪縛という泥濘から一歩も抜け出せてはいなかったのだ。
◇
……誰もいなくなった、呪われた実家のリビング。
かつて手作りのパズルが散らばっていた床には、今はゴミと埃だけが積もっている。
部屋の奥に、限界まで老け込み、生ける屍のようになった美紗子がポツンと座っていた。
彼女の顔は、かつて子供たちにかけていたモザイクのように、スマートフォンの青白い液晶の光で不気味に白飛びしている。
長男は凶悪犯、娘は施設、次男は児童虐待で逮捕。夫は自殺。
社会から完全に指弾され、誰一人として相手にされなくなったアカウント。 タイムラインには、もう誰も彼女の投稿を見ていない。
何時間待っても、「いいね」の通知が灯ることは二度とない。
それでも、美紗子の指先は止まらない。
ガタガタと震える指で、液晶のボタンを無機質に叩き続ける。
『私はカサンドラ。あの人たちのせいで。私の人生を返して。私は悪くない。私は、可哀想な、母親――』
カチッ、カチッ、カチッ。
誰にも届かない呪詛の文字列が、虚空へと送信され続ける。
その虚しい指先のアップと、液晶の光を反射して完全に光を失った老婆の瞳を映し出しながら、物語の幕は、あまりにも静かに、冷酷に閉じられる。