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#恋愛
水無月 京
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いつもならまだオフィスで夜景を支える側な我々が、ホテルのレストランでおしゃれな料理をつついている、という非日常がいつもの感覚を少しずつ麻痺させているような気がする。
たかだかスパークリングワイン1杯、それも少しずつ飲んでいるからまだグラスにはなみなみと液体が残っているのに、どうも思考の辺縁が鈍っている。
「あーなんか久々に落ち着いて飯食ってる気がする」
冷前菜の皿が下げられ、次の温前菜を待ちながら、豆さんがポツリと呟く。
「豆さん、結構頻繁に外食されてますけど…」
「飯の味なんて二の次よ」
苦笑いする彼に、ついこちらもつられてしまう。
「相手のしょーもない蘊蓄を一生懸命聞いてるフリするか、完全に仕事の話に没頭してるか」
そう思うとなんかもったいねーよなー。
もっと味わって食べたい、とぼやく上司を見て何だか気の毒になる。
「まあ会議室にはないリラックスした雰囲気と酒で相手から色々引き出すのが会食の本懐なんでね…」
「それはそうかもしれませんが…」
豆さんが企画する懇親会は基本的に私が場所を調整するし、彼が誘われた会だって場所や時間は全て把握している。だから、最近どんな店に行っているかは大体記憶している。
店の名前だけ出せば、一流ホテルやらレストランが多くて、健啖家のスケジューラーにも見えるのだけど、実態はそんなお気楽なものではないみたい。
「あー、ならプライベートでリカバリする感じですか」
口に出してから、自分の脳の働きっぷりの低下に改めて気づいて背筋が冷える。彼のプライベートに迂闊に踏み込んで、返り討ちに遭うことだけは避けたいのに。
何の心の準備も無しに一体私は何を聞いてるの!
「プライベート…?」
「あ、ええと…ほら、彼女さんとかいらっしゃるならデートでこういうところにもいらっしゃるかと…」
脳内で自分を叱咤したはずが、次の瞬間にはさらに取り返しのつかない言葉が口から飛び出てゆく。
若干、目の前がくらりと揺れたように感じたのはアルコールか、それとも血の気がさっと引いていったからか。
「プライベートでこんなところに来た記憶、この8年ぐらいはねぇわ…」
何をどう返されても心臓を止めないように、とこっそり大きく息を吸って準備をしていた私の耳に届いたのは、思いもよらない一言だった。
「それは、彼女さんのご趣味がこういうところじゃないと?」
「とりあえず前提認識だけ合わせとく?」
めっちゃ嫌だけど、とようやくやってきた次のメニューにナイフを入れながら豆さんが笑う。
「前提…」
「そ。人間の女性を彼女と定義するならば、パートナー昇格後にそういう相手はできたことないんですね」
「えぇ…本気で仰ってます?」
確かに、豆さんを担当する前を含めても彼の浮いた話はあまり聞いたことがない。パートナーと若い女子の恋愛、道ならぬ恋、その他諸々は普遍的なお話ではあるというのに、だ。
頭脳と外見の整い具合を見れば、女子が放っておく人材でもないことは明白で、そのギャップに少し戸惑う。
「彼女の定義を広げて、自分のリソースを最大限割く相手と一般化すれば、俺のここ8年間の彼女は仕事ですかね」
イタズラっぽく目を輝かせて言う豆さんは、心の底から仕事が好きなようで。本人の言のみを信じるなら、どうやら多忙で彼女はいたことがないということなのか。
「…さすが大豆生田パートナーです」
「いや、自分で言ってて思ったけどやっぱりキモいな」
つーわけで、仕事とホテルディナーと洒落込むわけにもいかないんで、プライベートではこんなとこ来ないねー。自宅か近所のラーメン屋です、ときっぱり言い切られてしまえば、1番の懸念事項が払拭されて心が落ち着く。
「今日は私のことは石か大根と思って気楽にされてください」
「…なんで石?」
すでに十分リラックスできてるよ、ありがとう。
思ったよりも柔らかい笑顔でお礼を言われて、私の頬は必然的に熱を持つ。だけど、彼が放った言葉は私の心の中にストンと落ちてきて心地よい。
「それならよかったです」
何となく居た堪れなくなって、スパークリングワインのグラスの柄を握ってそろりと液体を流し込む。まだ始まったばかりのこの会を、私は生き延びることができるのだろうか。