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「あ、そういえば」
しばらくは、運ばれてきた料理の感想や、夜景から見えるランドマークについて話をして。
豆さんの彼女がいないという発言は、私の精神安定には効果抜群だったようで、少しふやけた脳でもきちんと会話ができるようになってひそかに安心する。
「さっき伊藤きてたじゃん、大丈夫だった?」
安心した矢先、何気なく差し出された話題。別の意味で脳が緊張感を捉えてシャキッと稼働し始める。
「ああ、その件なんですが…」
秘書も含めて会食を誘われたことや、その前にも一度席まで偵察にきていることなど。
気づけば伊藤さんとの会話を仔細に豆さんに伝えていた。余計な不安をかけたくないと思っていたのに、話はじめれば彼の判断を仰ぎたくてつい話をし過ぎてしまったようで、グラスで唇を潤しながら反省する。
「へぇ…」
何考えてんだろ、と夜景に視線を走らせる豆さんの目は少し剣呑で。
「どうしましょう、お断りすることもできますよ」
実際、豆さんは相変わらず忙しくて、出張だとかクライアントとの会食だとかで夜の時間を捻出することも難しい状況ではある。
「いや、無理だろ」
私にぴたりと視線を戻した彼の表情には、一種の諦念のようなものが見える。ああ、やっぱり。
「あいつしつこいから絶対どんな手使っても予定立てると思うぞ」
何考えてるかわからなくて気持ち悪いけど、おおかたセクター長選か社長選の探りか取引だろ。
「そうですか…」
「あいつ、このセクター長選でも俺の対抗馬の方の陣営についているとか何とか言うから、取引とか持ちかけてきてもおかしくないんだよな」
「なるほど。秘書を巻き込むのはどういう算段なんでしょう」
「議論を完全な密室にしないため、それか…」
「それか…?」
「腹を立てた俺にその場で刺されるのを阻止するため?」
「…はい?」
「冗談に決まってんだろ」
「真顔で言うのやめてもらえますか。全然冗談に聞こえない…」
物騒なセリフを真顔で吐ききった豆さんは、呆然としている私の表情を見てたちどころに笑い始めるから意地が悪い。悪い悪い、なんて言いながら笑う様はやっぱり日頃見ない、ずいぶんレアなもので。
そんな姿を見せてもらえるなら少しぐらい揶揄われてもいいか、なんて思えてくるから私も大概チョロい。
ひとしきり笑った豆さんは、目尻を指先で拭いながらこちらに向き直る。
「弓家さん」
再度彼が言葉を紡げば、緩かった雰囲気が少しだけ引き締まる。
「はい」
「会食の設定は頼む。伊藤と顔を合わせる機会も増えるから少ししんどくなるかもしれない。その時はいつでも言ってな」
「…ありがとうございます」
辛い思いをさせてまでしたい仕事じゃない、と続いた言葉に胸が詰まる。思わず涙が出そうになったけれど、仕事なので大丈夫ですよ、と無理やり笑顔を貼り付けて答えたのに
「だから、無理するなって」
少し困ったような顔にさせてしまうから、私は今、相当変な表情をしているのだろう。
「私、今変な顔してます?」
「変っつか…泣きそう?」
机に頬杖をつけて苦笑いをする豆さんは「ごめんな、嫌な話題だろうなとは思ったんだけど」と謝ってくれるけれど、彼は多分勘違いしている。
「泣きそうに見えるんだとしたら」
「ん?」
「それは、伊藤さんじゃなくて豆さんのせいです」
「え、俺!?」
涙が出そうなのは辛いからじゃなくて、嬉しいからですって。流石に素直に言うことは憚られたから言葉を選んだはずが、結果としてずいぶん横暴な物言いになってしまった。心が容赦無く揺さぶられているせいか、今日は言わなくていいことをことごとく言葉にしてしまっている。
「なんで!?とりあえずごめん?」
「理由は秘密です、教えません」
「ねぇまじで何でなの」
「いやですー」
「えー…」
とりあえずまずは話し合おう。前振りなしで訴訟するのは勘弁して。端正な顔を歪ませる彼を見て、少しやり過ぎてしまったと後悔する。
「大丈夫です。私結構打たれ強いと評判です」
「え、待ってその返し全然大丈夫な感じがしない!」
「ごめんなさい、本当に大丈夫なんで」
まだ納得がいっていなさそうな顔をしているけれど、これは私のせいなので。ちょうど運ばれてきた料理と仕事の話を絡めながら、彼の気持ちを徐々に違う方向に逸らしていく。
豆さんも私の意図に気づいたのか、それ以上の追及はせずに私の拙い誘導に乗ってくれる。
天井から足元まで大きな1枚ガラスで区切られた外は、太陽が完全に沈みきって、空は深い紺色を呈している。オフィスや電飾の光が、ますます輝いているように見えるのは気のせいではないだろう。
「日が完全に沈みましたね」
「だな」
「このレストランも少し照明が落ちました?」
「そう言われればそんな感じもするかもしれないな…」
演出なのか、レストランの照明も少しだけ絞られて、外と自分たちの席が地続きのように見えてくる。これではまるで、深海に放り出されたような気分で少し幻想的だ。
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