コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
指導係が私から高田に変わり、小熊くんも随分おとなしくなった。
今まで何度注意しても直そうとしなかった茶髪も落ち着いた色に変わり、身につける物や雰囲気も少しだけ大人になった。
私には反抗してばかりだったのに、やっぱり高田はすごいわ。
「鈴木チーフ」
定時前のバタバタした時間に、高田に呼ばれた。
「はい」
「今日は接待だったよな?」
「ええ」
今までは小熊くんを連れて行っていたけれど、今のところは1人で行く予定。
「1人で行くなよ?」
え?
「今日の取引先、部長がセクハラまがいのことをするから」
ああ、そうだった。
でも・・・
「大丈夫ですよ」
軽く言うと、
「俺が行こうか?」
怪しいぞって顔。
「いいです。誰か探します」
本当は1人で行くつもり。
接待くらいちゃんとできるから。
「一応、場所と時間を俺にメールしておいて」
「はい」
これ以上言えばもめるだけ。
おとなしく、場所と時間を高田に送った。
ったく、どれだけ信頼がないのよ。
***
午後7時。
麻布の日本料理店『粋』
出席者は先方の部長と担当者と、私の3人。
いつもはうちからも2人来るんだけれど、『簡単な打ち合わせだから鈴木さんだけでいいですよ』って言われ、こうなった。
少しイヤな予感はするけれど、昔からの取引先だし、大丈夫でしょう。
『いらっしゃいませ、お待ちしておりました』
女将の案内で個室に通される。
「まずは乾杯」
割腹のいい50代後半の担当部長。
私にビールをつぎながらニタニタしている。
ついてきた担当者はおとなしそうな男性。
「じゃあ私も」
とビールを注ぐんだけれど、
「ああ、ありがとう。じゃあ」
と注ぎ返されてしまう。
考えてみれば2対1。
私が飲まされる方が絶対多いわけで、不利なのはわかった事だった。
でも・・・
「こちらが先日お話しした新商品の資料です」
商品を売り込みたくて、私も必死だった。
本当は接待の席で具体的な仕事の話なんて滅多にしないけれど、この部長はこんな所でしか話を聞いてくれない。
仕方なく今日ここに来た。
「ふーん、なかなか面白そうだね」
興味ありそうな部長。
「そうなんです。ここが今までと違うところでして」
「ふーん。鈴木さん、まあ飲んで」
とお酒をつがれれば、
「ありがとうございます」
グラスを空けるしかない。
***
こんなやりとりが1時間ほど続いた。
マズイ、私酔ってる。
気づいたときには、目の前がぼやけていた。
「鈴木さん大丈夫?」
「え、ええ」
返事をしたものの、もう限界。
いつも間にか体を寄せてきた部長。
ぴったりとくっついた体が気持ち悪い。
声を上げたいのに、声が出ない。
「鈴木さん、ほらしっかりして」
肩を揺すられ、その手が下へと降りてくる。
なに?
部長の手が私の太ももをなでた。
キャッ。
小さな悲鳴を上げたものの、体は動かないまま。
う、嘘。
部長の手がスカートの中に入ってくる。
その後、行動はますます大胆になっていき、下着の上から私の体を触りだした。
見ると、担当者の姿はない。
きっとはじめからそのつもりだったんだ。
私は罠にはめられた。
営業なんて仕事をする女性は大なり小なり危険な目に遭う。
でも、これは犯罪。
いくら私が不用心だったとは言え、絶対に許せない。
「鈴木さん、顔色悪いよ。少し横になったほうがいい」
そう言いながら、私にのしかかってきた部長。
や、やめて。
自分では叫んでいるのに、声にならない。
ガチャンッ。
テーブルのグラスが倒れる音。
それでもかまわず、部長が私を押さえつける。
もうダメ。
私食べられてしまう。
その時、
ガラッ。
廊下の戸が開いた。
***
「失礼します」
場違いなくらい冷静な声。
「何だっ」
大声を上げた部長。
「鈴森商事の高田です。今日はうちの鈴木との会食と伺いましたので、ご挨拶にまいりました」
冷たく無表情な顔。
「あ、ああ。そうか」
さすがに、部長が私の上から降りた。
ハー、助かった。
絶対にやられると思った。
気持ちが緩んだ途端、涙があふれ出した。
「大丈夫か?」
高田が私を抱き寄せる。
ウンウンと頷くのが精一杯。
「鈴木は体調が優れないようですので、これで失礼します」
「あ、ああ」
「今日のことは後日改めてお話しさせていただきますので」
「あ、いや・・・その・・・」
ゴモゴモと口ごもる部長を無視し、高田が私を抱き上げた。
「だ、大丈夫、歩けるから」
「いいからジッとしていろ」
怒った声。
私は何も言えなかった。
***
「大丈夫か?」
「うん」
「吐きたくなったら早めに言ってくれ」
「うん」
初めて乗った高田の車。
助手席のシートを倒してもらい、じっと目を閉じていた。
「お前、実家だよな?」
「うん」
「どうする?少し酔いを覚ますか?」
「酔いを覚ましたい」
「俺んちでいい?」
「うん」
このまま帰れば兄さんが大騒ぎしそうだし、まともに歩けるくらいまでは酔いを冷ましたい。
15分ほど走って車はマンションの駐車場へ。
「行くぞ」
うん。
着いたのは最上階。
「ここ何階?」
「45階かな?」
うわ、高そう。
「ここ高田の家?」
「ああ、とは言っても親父の名義だけどな」
へー。
「水と薬を持ってくるから、ソファーに横になってろ」
「うん、ありがとう」
余計な物がなくてすっきりとした、まるでモデルルームみたいな部屋。
高田らしいな。
「ほら、これ飲んで少し寝ろ」
「今、何時?」
「9時」
「じゃあ、1時間だけ寝させてもらう」
「ああ、好きにしろ」
きっと言いたい事もあるんだろうけれど、高田は何も言わない。
こんな醜態をさらした私に呆れているんだろうか?
6年も営業をやってきて接待1つ満足にできないなんて・・・
ウトウトとまどろみながら、涙が流れた。
これは悔し涙。
ふがいない自分が、情けない。
***
ブブブ ブブブ。
携帯の着信。
カバンの中の携帯に手を伸ばす。
あ、あああ。
兄さんだ。
まだ頭も痛いし、気持ちも悪い。もう少し寝ていたいのに・・・
「もしもし」
「今どこだ?」
「えっと・・・友達の家」
「どこだ?」
「だから・・・」
困った。
まだ頭が回らない。
「一華ッ」
大きな声で怒鳴られて、思わず携帯を離した。
すると、
スーッ。と高田が携帯をとった。
えっ。
ああ、「ダメ」
止めなきゃいけないのに、体が動かない。
「突然すみません、一華さんの上司で高田と言います。一華さんの・・・」
電話の向こうから
『兄です』
と不機嫌そうな声。
「お兄さんですか。実は接待の席で気分が悪くなったようでして、今は少し休ませています。もう少し落ち着いてから送ろうと思いますので」
兄さんだって高田の事は知っているし、高田も自分の会社の専務を知らないはずがない。
まさか私の兄だとは思ってもいないでしょうけれど。
「え、ええ。はい。わかりました。はい、失礼します」
キョトンとした顔を向ける高田。
「兄さん、何か言ってた?」
「迎えに来るって」
はあ?
「ここに?」
「ああ。迷惑を掛けたら申し訳ないって言ってたけれど、相当怒ってる様子だったぞ。大丈夫なのか?」
「・・・わからない」
高田のマンションにいたってバレたら間違いなくキレるわね。
「兄さんが来るって?」
んな訳ないわよね。
「いや、家の者を向かわせますってさ」
へえー。車をよこすって事ね。
「鈴木のお兄さんの声って、聞き覚えがあるんだけれど」
うわ、ヤバ。
「ど、どこにでもある声でしょう」
「そうか?」
「そうよ。じゃあ、支度するから」
私は重たい体を起こし、カバンを手にする。
まだフラフラする私を高田が支えてくれて、エントランスに降りてしばらくすると、見慣れた車が到着した。
「じゃあ」
「ああ、あんまり調子が悪ければ明日は休めよ」
「うん」
子供の頃からお世話になっている我が家の運転手さんに支えられ、私は車に乗り込んだ。
***
運転手さんに抱えられて帰ってきた自宅。
父さんはまだ帰っていなかった。
倒れ込むように玄関に座り込んだ私。
「接待だったんだな」
「うん」
心配そうな顔の兄が待っていた。
「これからは1人で行くんじゃないぞ」
え?
兄さんは今日の事を知っている。
できれば知られたくなかったのに。
「あそこの部長は以前から悪い噂があったんだ。お前だって知らないわけがないだろう」
確かに知っていた。
完全に私の不注意でしかない。
う、うう。
話しているうちに、恐怖がよみがえってきた。
「こんな思いまでして仕事がしたいのか?」
呆れたような口調。
元々、兄さんも父さんも私が働く事には反対だったから、今日の事がしれれば仕事を辞めろって話になるだろう。
見合いをして結婚すればいいって、言うに決まっている。
でも、イヤだなあ・・・
「お前は危険な目に遭ったんだぞ」
「・・・わかってる」
でも、ここで投げ出したくはない。
逃げるのはイヤだから。
「母さんは?」
思い切って話の矛先を変えてみた。
「父さんの同伴で財界のパーティーに行ってる」
「そう」
専業主婦で、父さんや子供や家のためだけに生きてきた母さん。
私はその生き方が嫌いだった。
母さんのようにはなりたくないと思って生きてきた。
私が仕事にこだわるのは母さんへの反発でもある。
「今日の事はもういい。忘れろ」
兄さんにしては珍しく、説教が短い。
高田の事も追求されなかった。
さすがに私が弱ってるってわかったのかもしれない。
「二度と1人で酒席には行くんじゃない。いいな?」
「はい」
私も今日の事は反省している。