朝早く、こはるは小さな風呂敷に米の代わりになる芋と、古い櫛を一つ包んだ。
家には、父と拓也がいる。でも今日は、父の具合も悪く、拓也も仕事の手伝いに出ている。
「今日は、こはるが行くけんね……お父ちゃん、寝とってええよ」
玄関先で小さく声をかけると、こはるは草履を履いて、戸をそっと閉めた。
小さな背中が、冷たい朝の風に揺れる。
道中、焼け焦げた電柱や、崩れた瓦礫の間を縫うように歩く。
目の前には、仄かににぎやかな声と、人の熱気が渦巻く一角――闇市が現れた。
「いらんもんでも売ってけぇやー!」「米一合と交換や!」
声を張り上げる大人たちの間を、こはるは小さな体で進む。
焼け跡に無理やり立てかけた屋根の下、男たちが目を光らせ、食料や物品を物々交換していた。
「これ……櫛と、芋、あるんよ」
こはるは震える声で、小さな手を差し出した。
すると、年配の女性が彼女を見て、ふっとため息をついた。
「あんた、一人で来たんか?……まあ、ええ。これで……お粥くらいにはなるじゃろ」
そう言って、手のひらに少しばかりの干し芋と塩を置いてくれた。
「ありがとう……ありがとう、ございます」
そのとき背後で、アメリカ兵の笑い声が聞こえた。
片言の日本語で何かを売る声――そして、彼らの靴音の重さに、こはるの背筋が少しだけ震える。
「……怖ない。だって、がんばらにゃいけんけん」
こはるは顔を上げて、袋をしっかりと握りしめ、闇市をあとにした。
その手には家族のために持ち帰る、わずかな命の糧があった。
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