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あはは――あははははは――
笑いが止まらない。
楽しくて、楽しくて仕方がなかった。
真っ黒な自分がずっと隣で笑っている。
もう、戻れないのかもしれない。
でも、今はそんなこと、どうでもよかった。
「はぁ……」
少しだけ、笑い疲れて。
佐藤はその場にふらりと倒れ込んだ。
床に手をついて、息を整えて、それでもまだ微かに口元は笑っていた。
けれど――
そのまま、だらりと倒れることはなかった。
すぐに起き上がる。
冷めた目でデスクの引き出しを開け、
そこに入れておいたスニーカーを取り出して、ヒールを脱ぎ捨てた。
カチ、カチ――
スニーカーの紐を整えて、ゆっくりと履き直す。
「……よし。」
そう小さく呟いて、また先輩の方へと歩き出す。
倒れ込んでいる先輩の腹に、ためらいなく蹴りを入れた。
鈍い音が社内に響いた。
「っ――!!」
先輩が呻く声。
それすらも、もうどうでもよかった。
「あははっ。
良かったー!これも覚えてた!!」
ニヤ、と口角を上げ、楽しそうに言い放つ。
「痛い? あはは笑、わかる、わかるよ?
わしも痛かった! 痛くて、泣いて、家に帰れなくて、
眠くて、お前の仕事ぜーーーーーんぶ、引き受けて、
っていうか、お前が勝手に押し付けたんだけどさ……」
先輩は何も言えず、ただ震えていた。
「……まぁ、もう良いですよ?許さないけど。」
その一言を落とすと同時に――
もう一度、先輩の腹に蹴りを入れた。
周囲の誰かが小さく声を漏らす。
けれど、誰一人、止められない。
そのまま佐藤は社長の方へ歩いて行った。
周囲が見守る中、社長だけがまだ正気を保っているような顔をしている。
「社長、ご飯ください!」
唐突すぎるその言葉に、社長が一瞬だけ目を瞬かせた。
「……え? ご飯?」
「はい!」
佐藤は、無邪気な笑顔を浮かべたまま応える。
その温度差に、周囲がさらに混乱していた。
社長はふっと鼻で笑った。
「このタイミングか?笑」
「まだ、この遊びは終わってないんですよ?
力はつけないと!」
その言葉に、社長はほんの少しだけ悩んだ素振りを見せ――
やがて、軽くため息をついた。
「うーん……まあ、良いか笑」
そして、肩を組むようにして佐藤に近づき、こう言った。
「俺よりも、君の方が作るご飯美味しいやろ?」
佐藤はそこで、またくすくすと笑った。
「あは笑、頭のおかしいこと言うんですね笑」
まったく遠慮なく言い放つその姿に、周囲はさらに固まった。
けれど、社長はただ静かに笑っていた。
「はっ……君にだけは言われたくないわ。」
それだけ言ってから、社長は肩を組んだまま、
「飯に行くぞー!」
と、声を張り上げた。
「おー!」
佐藤も無邪気に応える。
だが――
そこで、佐藤はふと振り返った。
先輩の方へ向き直って。
「先輩!」
その声に、先輩はびくりと身体を震わせた。
佐藤はゆっくりと微笑んで、軽く手を振った。
「続きは帰ってきてからしましょう!
……逃げたら終わりますよ?」
その最後の一言に、誰もが息を飲んだ。
社内の空気が、完全に止まったようだった。
夢魔とすかーは、反射的に追いかけようとした。
でも――
できなかった。
佐藤が振り返った時に見せた、あの冷たい視線が――
目に焼き付いて、足が止まったのだ。
まるで、
「近づくな」
そう言われたかのように。
2人はただ、その場に立ち尽くしていた。
遠くなる佐藤の後ろ姿を、目を見開いたまま。
何も言えないまま、何もできないまま――
その場に。
――午後。
静かな個室の店内。
高めの椅子、磨かれたテーブル。
空調の音すら耳に入らないほど、そこには静けさがあった。
そんな中、社長と佐藤が向かい合って座っていた。
皿の上には、栄養バランスが考えられた料理。
しかし、佐藤はフォークを持つ手を緩めず、当たり前のように口に運んでいた。
口元には、壊れたままの笑み。
社長はその様子を黙って見守っていた。
「……まだ、壊れたままか」
ぽつりと社長が呟く。
それに佐藤は、くすりと小さく笑って。
「壊れてる、かぁ……。まあ、どうでもいいですけど?」
また一口、淡々と食べ進めながら。
そして、ふと箸を置いた。
「社長。」
「ん?」
「これ食べ終わったら……少し、服を買えない?」
「服?なんで?」
社長は眉をひそめた。
佐藤は静かに、けれど少し不機嫌そうに、ため息を吐く。
「この服……走ったりする時、不便だし、素材が気に入らない。」
その目は、何かに苛立っているような色だった。
社長は軽く肩をすくめて、深くため息をついた。
「はぁ……お前ってやつは……。まあ、良いけどさ?」
その答えに、佐藤は一瞬目を輝かせた。
「やったー!」
その声だけは、妙に素直だった。
けれど、やはり目元はどこか冷たいままで。
それから2人は静かに食事を終え、服屋へと向かった。
――店内。
動きやすい素材、通気性の良い服をいくつか試着してみる。
佐藤は、鏡を見ながら何度か腕を振ったり、軽く膝を曲げたりして。
「あぁ……簡単に動ける、楽だぁ。」
そう呟き、目元だけほんの少し、緩んだ。
社長は後ろからその様子を眺めつつ、
「ほんと、戦闘用かよ」
と苦笑していた。
服を買い終えた佐藤は、新しい服をそのまま着て、会社へと戻る。
――部署フロア。
ガチャリ、とドアが開いた瞬間。
「……あは笑、良かったー!まだ居た!」
佐藤は妙に明るい声でそう言って、逃げる先輩たちの方へと歩み寄った。
「鬼ごっこをしよう。
大丈夫、手加減はする。」
そのまま静かに数を数え始める。
「10…9…8…7…5…」
ひとつ飛ばしてカウントする佐藤の声。
それを聞いた瞬間、先輩たちは顔を青くして逃げ出した。
佐藤は振り返って社長に言った。
「社長?わかってますよね?」
社長は苦笑しながらポケットに手を突っ込み、
「あー、1年だろ?分かってるわかってる」と。
「ったく、1年も寝てたら体がなまるぞ?
それに、心配する奴だって居るだろ?」
呆れたように言う社長に対して――
佐藤は、目を細めて。
「えー?居ないですよ笑」
その瞬間。
「は?」
「は?」
夢魔とすかーの声が重なった。
2人とも、声を詰まらせたようにして立ち尽くしている。
それに佐藤は目も向けず――
「……あ、もう10秒たってる!」
そう言って、社長に向かって手を差し伸べた。
「行こう?」
社長は一瞬だけ目を閉じ、深くため息を吐いたあと、
その手を静かに掴んだ。
「しゃーねぇな……」
そう言いながら、2人は一緒に歩き出す。
逃げた馬鹿な先輩たちを追いかけるために――。
――夢魔とすかーは、その場で動けずにいた。
そんな2人の横に、社長の秘書が静かに歩み寄ってきた。
「佐藤さんが睡眠期に入っても、
食事と睡眠は取ってください。」
冷たい声。
それから一拍置いて、さらに続ける。
「彼女を心配させるような事は――
絶対にしないでください。」
静かに、けれどはっきりとした口調でそう言い残し、
秘書は部署から立ち去った。
夢魔とすかーは、まだ何も言えないまま――
ただ、俯いていた。
――ビルの廊下。
靴音が鳴り響く。
先輩たちは必死に逃げていた。
後ろを振り返る余裕もないほどに――けれど、わかる。
そこに佐藤がいる、追ってきている。
それが怖くて、たまらなかった。
「はぁっ、はぁっ……!」
逃げた先輩の一人が、角を曲がる瞬間――
ガシッ、と肩を掴まれた。
「見ーつけた。」
耳元で、静かな声。
振り返る暇もなく、先輩はそのまま床に押し倒された。
「楽しい、ですねぇ、先輩?」
佐藤は、無邪気に笑いながら見下ろしていた。
その手には、もう遠慮というものはなく――。
「捕まえた、っと。」
そのまま、先輩を動けないように押さえ込み、
数秒後にはまた足音を立てて、別の誰かを探し始める。
誰も彼も、同じフロアの社員たちは顔色を失っていた。
がたがたと震えながら、逃げ場を探す――しかし。
「見つけたー。」
「はい、捕まえた。」
「逃げたって無駄だって、わかってるでしょう?」
そんな言葉を繰り返しながら、佐藤は一人ずつ、確実に捕まえていった。
髪を掴む時もあれば、腕を取る時もあれば――
時にはそのままデスクに押し付けることすら、平然とやってのけた。
追いかけ、捕まえ、押さえつけ、笑い続ける佐藤の姿に、
もう誰も逆らう者はいなかった。
――そして。
フロアの中央。
全員が捕まえられ、佐藤の前にひざまずいていた。
「よし、全員捕まえた。」
満足そうに佐藤がそう言った、その時――。
バタン、とドアが大きく開く音が響いた。
数人の男たち。
明らかに、会社の人間ではない。
ナイフや鉄パイプを手にした変質者たちが、フロアに入ってきた。
ざわめきが一瞬広がる。
だが――。
社長はまるで慌てず、
ただ佐藤の方を向いて、こう言った。
「佐藤、やれ。」
その言葉に、佐藤は一度だけ深く息を吸って。
ゆっくりと右手を上げ、スッと髪をかき上げた。
そして、静かに呟く。
「……1年2ヶ月。」
その瞬間。
佐藤はまるで、風のように動いた。
――ドンッ!!
床を蹴った音と同時に、
一人目の変質者の腹へ拳がめり込む。
「っ……!?」
声にならない声が漏れた。
倒れる暇すらなく、次の一撃が飛ぶ。
「ははっ、遅い!」
そのまま、二人目の肩を掴んで壁に叩きつける。
ガシャン、と額が壁にぶつかり、鈍い音が響く。
三人目はナイフを振りかざしてきた。
が、それすら佐藤には届かない。
「それ、雑。」
手首を掴んで捻ると同時に、ナイフを取り上げ、
そのままナイフの背で頭を叩き――動きを止めた。
「……ふぅ。」
全員を瞬く間に倒したあと、佐藤はポケットからハンカチを出し、
手についた汚れをふき取りながら社長の方へ振り向いた。
「君の会社って、なんでこんなに野蛮な人多いの?」
目は全く笑っていないまま、ただ淡々と。
その問いかけに、社長は手を後ろに組んだまま、
小さく肩をすくめた。
「分からねぇ……笑」
冗談のように言って、少しだけ笑った。
――その静けさの中で、誰も声を上げることはなかった。
フロア全体を支配する、佐藤の圧倒的な空気。
それはもう、ただの会社ではなかった。
静かに、静かに――
佐藤の笑い声だけが、微かに響いていた。