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◆ ◆ ◆
【異世界・旧街道/森の切れ目】
石の道は、走りやすい。
だからこそ、怖い。
足音が揃う。息が揃う。
追う側も、同じ“走りやすさ”を使える。
王都イルダの外壁が、遠くに見えていた。
灰色の線。高い。人の街の輪郭。
そこまで辿り着ければ――ユナの器がある。
だが背後で、森が裂ける音がした。
シュッ。
金属でも、枝でもない。
“空気が切られる”音。
サキが反射で肩をすくめる。
次の瞬間、旧街道の石畳が一筋、白く焼けたように割れた。
石の欠片が跳び、頬をかすめる。
「……レアだ」
ハレルが歯を食いしばる。言葉が喉に引っかかる。
リオは振り返らないまま、短く言った。
「道を切って、転ばせに来てる。真っ直ぐ走ると危ない」
アデルが一歩だけ横に寄り、全員の“走り幅”を作る。
「左右に散らない。バラけると、狙われる」
サキの指がハレルの袖を掴んだ。
怖いのに、離さない。離れない。
背後の森から、薄い笑い声が混じった気がした。
耳ではなく、背中で聞く笑いだ。
次の刃が来る。
リオが掌を軽く上げる。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
石畳の上に、細い光が走る。
鎖の形になって道の端へ伸び、木の根と石を巻き込むように“縛り”を作った。
罠というより、足を取らせるための線。
すぐ後ろの森が、ざわりと揺れた。
追跡の気配が、ほんの一拍だけ鈍る。
「今のうちに、道を切る」
リオが言う。
イヤーカフから、ノノの声が飛ぶ。
『旧街道、そのまま行くと正面で詰められる。
右に折れて、乾いた川筋に落ちて。石の壁がある。刃が通りにくい』
少しだけ息を吸う音。
『あと、今……空気の“白さ”が増えてる。変な重なり方。』
ハレルは眉を寄せた。
白い――という言葉だけで、あの廊下が浮かぶ。
でも今は、考える時間がない。
「右だ!」
リオが叫び、全員が同じ角度で道から外れる。
その瞬間――
シュッ、シュッ。
背後で連続して空気が裂け、旧街道の中央が縦に割れた。
まるで“走る線”を狙って、切り取るみたいに。
(真っ直ぐだったら……)
サキの背中が冷える。想像だけで足が止まりそうになる。
アデルが短く詠唱した。
「〈大結界・第一級〉――光よ、背後に“層”を」
剣先から淡い光が流れ、地面に円弧の線を描く。
透明な膜が一枚、二枚、三枚――重なって立った。
厚みのある“壁”。
次の光刃が、その壁に当たる。
パキン、と乾いた音。
刃が跳ね返され、森の枝をまとめて落とした。
「……効く」
3
橘靖竜
アデルが小さく言う。声は落ち着いている。
けれど額には薄い汗がある。維持に力が要る。
「長くは持たない」
アデルは続けた。
「だから、進む」
乾いた川筋へ落ちる斜面は急だった。
石が転がり、足が滑る。
サキがバランスを崩した瞬間、ハレルが腕を掴んだ。
「大丈夫、見るな、足だけ!」
サキが頷き、涙が出そうな顔で踏ん張る。
転ばない。転べない。
川筋の底は、石と砂。
両側に低い崖があり、確かに“壁”になる。
その瞬間、バッグの中の青いカプセルが一度だけ強く脈打った。
ユナのコアが、熱を持ったみたいに。
リオが走りながら一瞬だけ手を伸ばし、バッグの上から触れた。
指先が、かすかに震える。
「……温かい」
リオの声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「生きてる。ちゃんと」
ハレルは息を飲んだ。
ただの“物”じゃないと、改めて胸に刺さる。
背後で、石が切れる音がした。
乾いた川筋の崖が、白く削れた。
追跡の刃は、ここにも届く。
『追いつくよ』
ノノの声が早口になる。
『刃、壁を“覚えてる”。同じ角度で切ってくる。
だから……崖の内側を走って。外側は危ない』
「分かった」
リオが答え、全員が崖の内側へ寄る。
ハレルは息を切らしながら、胸元の主観測鍵を握った。
熱い。
その熱が、前を指すのか、後ろを呼ぶのか、分からなくなる。
(セラ……)
呼びかけたいのに、言葉にすると“確定”しそうで怖い。
その時。
ほんの一瞬だけ、耳の奥がチリ、と鳴った。
“声になりかけた気配”。
セラ――かもしれない。
でも、すぐに途切れた。白いノイズだけが残る。
サキが小さく言う。
「……今、誰か……」
「今は走る」
ハレルが言い、サキは頷いた。
王都の外壁が、少しだけ近づいた。
それが希望であり、同時に、次の戦場の入口だった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/森・石造り建物地下階段】
石の階段は、冷たい。
ライトの光が揺れ、壁に長い影が伸びる。
上では狼が唸り、銃声が反響していた。
だが階段を降りるほど、音は遠ざかっていく。
代わりに聞こえるのは――
コツ。
コツ。
爪が石を叩く音が、下から返ってくる。
「……下にもいる」
隊員が低く言う。声が硬い。
城ヶ峰は指を立て、全員に速度を落とさせた。
ライトを前に向け過ぎない。相手に位置を教える。
木崎はカメラを構えたまま、歯を食いしばる。
(ここ、完全に“現場”だろ……)
冗談も出ない。
日下部はノートパソコンを抱え、階段の途中で立ち止まった。
画面の明かりが、頬を青く照らす。
「……変だ」
日下部が言う。
「電源が、残ってる。死んでない。……ここ、誰かが“触ってた”」
「触ってた?」
城ヶ峰が振り返る。
日下部は唇を噛む。
「機械のログみたいなものが、断片で残ってる。
完全じゃないけど……線がある」
「線?」
木崎が聞き返す。
日下部は階段下の暗闇を見た。
「座標の線。……重ねた線。俺、あれ、前にも見た。頭の中で」
その言い方が怖かった。
理屈じゃない。感覚の話なのに、確信だけが強い。
下の踊り場に着く。
そこから先は廊下だった。
石壁。鉄の扉。
そして床に、古い車輪の跡みたいな溝。
「……刑務所の形だな」
城ヶ峰が低く言う。
「だが、改造されてる」
壁には、金具の痕。
鎖を通すための穴。
それが途中で切り落とされ、代わりに配線の束が通っている。
木崎はカメラを向けながら呟いた。
「牢屋を……実験室に変えた、って顔してる」
その時、廊下の奥で――
コツ。
コツ。
爪音が、はっきり近づいた。
全員が止まる。銃口が上がる。
城ヶ峰は小さく手を振った。撃つな、まだだ。
ライトの輪に、影が滑り込む。
狼型の個体。
だが上の森で見たものより、毛並みが濡れて黒い。
目が、妙に光る。反射じゃない光。
「……来る」
城ヶ峰が低く言う。
狼が唸り、踏み込んだ。
――その瞬間、廊下の壁が、一拍だけ“白く”見えた。
光じゃない。
色が抜ける白。影が薄くなる白。
木崎の喉が鳴る。
「……何だ、今の」
日下部が息を呑み、ノートパソコンを抱え直した。
「……近い。ここ、近い。俺の“ずれ”が……引っ張られてる」
城ヶ峰は判断を切った。
「撃て。倒れなくても、押し返せ。――奥へ進む」
銃声が地下に裂け、石粉が舞う。
狼が跳ね、壁にぶつかり、しかしまた踏ん張る。
倒れない。
それでも、後退はした。
その隙に、隊列が廊下を滑るように進む。
鉄の扉がいくつも並ぶ奥へ。
“中心”の気配が濃くなる方へ。
木崎はカメラを構えたまま走り、心の中だけで呟いた。
(学園の消え方と……この白さが、繋がってるなら)
(もう、偶然じゃない)
廊下の奥で、また爪音が増えた。
数がいる。
追ってくる。
城ヶ峰の背中が硬い。
日下部の指が震えている。
木崎のカメラはぶれない。
彼らは地下へ進む。
そしてその地下は、世界の“裏側”に繋がっているみたいに冷たかった。
◆ ◆ ◆
【異世界・乾いた川筋/王都外縁】
川筋の先で、視界が開けた。
王都の外壁。
その足元に、警備局の外郭に似た高い塀が見える。
「……もう少し」
サキが息を吐く。
だが背後の崖が、白く光った。
レアが、壁ごと追ってくる。
リオが唇を噛み、手を上げた。
次の一手を選ぶ目だ。
アデルが小さく言う。
「医療棟の門まで届けば、守りがある。――届かせよう」
ハレルはバッグを抱え、頷いた。
「絶対、届かせる」
その言葉の直後、崖の上で白い刃が一度だけ弧を描いた。
追跡の影が、見えた気がした。
次の瞬間――風が冷えた。
背中に、ぞくりとした“見られている”感覚。
追跡は、もうすぐ背中に触れる距離まで来ている。
(間に合え)
今度の願いが何か、ハレルははっきり分かっていた。
医療棟へ。
ユナの器へ。
そして――追いつかれる前に。
彼らは走る。
石の街へ向かって。白い刃から逃げながら。