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◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ外縁/乾いた川筋・石壁の切れ目】
石壁の影が短くなってきた。
王都の外郭が、もう“街”の匂いを運んでくる。
煤の匂い、焼きたてのパンの匂い、馬の汗の匂い。
――医療棟は、あの壁の内側だ。
ハレルはバッグを抱え直した。
肩紐が食い込み、腕が痺れているのに、離せない。中にはユナのコア。
青いカプセルが、さっきから小さく熱を持ったまま脈を打っている。
リオがマスク越しに息を吐いた。
「もうすぐ。……でも、来る」
言い終える前に、空気が裂けた。
シュッ。
背後の石壁が、白く切り取られる。
刃の線が走った場所だけ、石が粉みたいに崩れ、砂になって落ちた。
サキが声にならない悲鳴を飲み込む。
「っ……!」
「止まらない。迎える」
アデルが言った。声は落ち着いている。
剣を下げたまま、足だけを一歩前に置く。
逃げるための構えじゃない。守るための位置取り。
二人の精鋭隊員も、すぐに間合いへ入った。
一人は槍。もう一人は短弓と短剣。どちらも顔色ひとつ変えない。
イヤーカフからノノの声。早い。でも押し付けがましくない。
『ここ、石が多い。刃が滑る。気をつけて。
――あと、来た。距離、もう短い』
ハレルの背中に、冷たい指が触れる感覚。
“見られている”じゃない。
“狙われている”。
石壁の切れ目の上に、影が立った。
葛原レア。
スーツでも教員の上着でもない。
今は、薄い笑みだけが“制服”みたいに顔に張り付いている。
「逃げるの、早いね」
声が軽い。軽いのに、落ちる場所が深い。
レアの両手に、光が生まれた。
片手だけじゃない。左右同時。
白い刃が二本、腕の延長みたいに伸びていく。
「〈光刃・第三級〉――展開」
レアが淡々と言う。
二本の光刃が、交差する。
バツ印の軌跡が空中に残り、空気が“薄く”なる。
切られた場所だけ、音が遅れて届いた。
「――下がって!」
ハレルが叫ぶ。
遅れた音が、石を割った。
石壁の角が、まるで紙みたいに裂けて落ちる。
レアが跳んだ。
速い。人の跳躍じゃない。
二本の刃を振るう姿は、踊りに近い。楽しくて仕方ない、という動き。
槍の隊員が前へ出た。
槍先を低く構え、刺す――のではなく、まず“距離”を作る。
「来る!」
隊員が叫ぶのと同時に、レアの刃が横に走った。
白い線。
次の瞬間、隊員の腕の装甲が裂けた。
血が飛ぶ。赤が石に落ちる。
「っ……!」
隊員が歯を食いしばり、槍を落とさない。落とせば、門が開く。
サキが小さく叫ぶ。
「やだ……!」
「見るな、サキ」
ハレルが言う。自分にも言い聞かせるみたいに。
「――守る。絶対」
リオが一歩、踏み込んだ。
掌を前へ出す。指先が白い刃の軌道を“読む”。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
空気に細い光が走り、鎖が形になる。
レアの右腕へ巻きつく。二重、三重。
刃が一瞬だけ鈍る。
「……へえ」
レアが笑う。
「ちゃんと“縛れる”んだ」
左手の刃が、今度は鎖を切ろうとする。
白い線が走り――鎖の外側が削れる。
アデルが、その一瞬を“上書き”した。
「〈拘束結界・第一級〉――光よ、ここに“枠”を」
剣先から淡い光が落ち、地面に四角い線が描かれる。
線が立ち上がり、透明な枠になる。
箱じゃない。檻だ。
鎖と檻が重なり、レアの上半身の動きを締め付ける。
レアの刃が、枠に当たって鳴った。
キン、と乾いた音。
切れない。切れない“厚み”がそこにある。
「……面倒」
レアが言って、眉をひとつ動かした。
怒りじゃない。興味の顔。
ノノの声が飛ぶ。
『長くは持たない。結界の“角”から削られる。だから――今』
アデルが頷いた。
「行く。医療棟まで」
槍の隊員が、負傷した腕を押さえながらも立ち直る。
短弓の隊員が、レアの足元へ矢を二本、地面に突き立てた。
牽制。動かれた時の“次の一手”を遅らせるための。
「ハレル、サキ、走れる?」
リオが振り返らずに聞く。
声は短い。けど、ちゃんと“二人”に向いている。
ハレルは頷いた。
「行ける。……行く」
サキも、唇を噛んで頷く。
「……うん」
アデルが最後にレアを見る。
「今は、置いていく。追ってくるのは分かってる」
「もちろん」
レアが笑った。
檻の中でも、余裕が消えない。
ハレルの背中が冷える。
(置いていく、って言っても――置ける相手じゃない)
でも、置くしかない。
リオが先頭に立ち、石壁の切れ目から街道へ出た。
王都の門へ向かう道。
医療棟は、その先。守りがある。
走り出す直前、ハレルは一瞬だけ振り返った。
檻の中のレアが、こちらに向けて刃を立て直すところだった。
白い刃が、檻の角を“削り始めている”。
削れる。確実に。
「……急ごう」
ハレルが言い、サキの手を強く握った。
ユナの器へ。
今度こそ、戻すために。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/石造り建物・地下廊下】
銃声の反響が、壁に残っている。
石粉が舞い、ライトの輪の中で白く浮いた。
倒れなかった狼型の個体は、撃たれて後退した。
だが“引いた”だけだ。
暗闇の奥に消え、爪音が増えていく。数がいる。
コツ、コツ、コツ。
城ヶ峰が指で合図する。
“進む”。
止まったら、囲まれる。
特殊部隊が静かに前へ滑り、鉄の扉が並ぶ区画へ入った。
扉の一つが半開きになっている。
中から、冷たい薬品の匂いが漏れていた。
木崎が小声で言う。
「……牢屋じゃねえ。ここ、作業場だ」
床に、擦った跡。
重いものを引きずった跡。
そして――床の溝に沿って、黒い焼け跡。線だ。
日下部が息を呑む。
「……この線、見覚えある」
「どこでだ」
城ヶ峰が低く問う。
日下部はノートパソコンを開いた。
指が震えているのに、打鍵は早い。
「俺の中の“ずれ”が、こういう形で……繋がってた。
夢じゃない。頭の中に“焼き付いてた”」
木崎が喉を鳴らす。
「それって、つまり……ここが、原因の一部ってことかよ」
答えの代わりに、爪音が近づいた。
暗闇の奥。廊下の曲がり角から、影が滑り込む。
狼型。
さっきの個体とは別だ。
毛並みが濡れた黒。目が光る。
唸り声が低く、重い。
「……来る」
城ヶ峰が言った。声が硬い。
「撃つ」
隊員が頷く。
その瞬間、日下部が顔を上げた。
「待って……この奥、音が違う」
「何だ」
城ヶ峰が眉を動かす。
日下部は、耳を澄ませるみたいに目を細めた。
「……人の声、じゃない。機械の……起動音みたいな。まだ生きてる」
狼が踏み込む。
速い。石を蹴り、ライトの輪へ飛び込んでくる。
城ヶ峰が短く言った。
「――撃て。押し返して、奥へ」
銃声。
石壁に火花。
狼が跳ね、壁にぶつかり、それでも踏ん張る。
「倒れない!」
隊員の声が震える。
「倒す必要はない。通すな」
城ヶ峰の声は冷たい。
守りと同じ言葉だ。現実側でも。
狼が後退した隙に、隊列が扉の中へ雪崩れ込む。
木崎もカメラを抱えて入る。
日下部も、特殊部隊員に腕を掴まれながら入る。
室内は、牢屋じゃなかった。
机。配線。古い端末。
壁に貼られた紙は、半分剥がれて読めない。
でも床の中心に――円形の焼け跡がある。
白く、薄い円。
その円だけ、影が薄い。
木崎の背中が冷えた。
「……これ、見たことある白さだ」
日下部が、円の縁へ一歩近づいた。
止める間もない。
「やめろ!」
特殊部隊員が引く。
「危険だって!」
日下部は振り返らず、低く言った。
「……ここ、繋がってる。上の森とも、学園とも。たぶん――“向こう”とも」
その言葉の直後。
床の白い円が、一瞬だけ“廊下”みたいに見えた。
白い。
乾いた白。
影が存在できない白。
城ヶ峰が息を止める。
木崎がカメラを構える。
隊員たちの銃口が揃う。
そして、円の向こう側で――
コツ、と爪音がした。
今度は、“こちら側”じゃない。
白の奥から、叩く音だった。
◆ ◆ ◆
レアは捕まったままじゃ終わらない。
現実側の地下も、ただの廃墟じゃない。
それぞれの“入口”が、同時に開き始めている。