「私は一生独身で居たい派なの。人に全く干渉されないで自由にのうのうと生きていく人生に憧れがあったのよ」
俺の元カノ、花巻雪音は、やさぐれていた。今日の彼女はまるでゾンビのような風貌で、髪の毛はボサボサで化粧もガサツ。着ているワンピースの柄もよれよれの皺のように見えた。
「拓哉も私と別れる時、俺結婚に向いてないわとか言ってたじゃん…? それを踏まえて、拓哉に一生のお願いがあるんだけどさ…」
雪音は、チーク材でできたテーブルを両手でバシッと叩いた後、伸びきった前髪に隠れた瞳を濁らせながら俺に宣言をした。
「……私と結婚してください!」
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雪音と会う前日。
そう。彼女から結婚宣言をされる前の日に、彼女から一通のLINEが届いたのだ。
『最悪。誰かに私の祝い餅拾われた』
俺はそのLINEの文面を見てドキリとした。当たり前だ。久しく連絡を取っていなかった元カノから、突然『祝い餅に関する連絡』が来たら、誰だってびっくりするだろう。
急いで『大丈夫か?』とLINEを返して、ついで電話も掛けてみる。電話の発信音が耳の奥で虚しく鳴り続ける。その間も、手汗がどばどばと湧き出て止まらない。それから十回ほどコールをしたけれど、結局彼女には繋がらない。
俺は一旦深呼吸して、自分の気持ちを落ち着かせようとするが、脈拍は早くなっていく一方。
何しろ祝い餅を失った彼女の精神状態を考えると、心配でたまらないのだ。
思わず俺は、本棚に仕舞ってあった【鏡餅について】という名の本に手を伸ばした。
この本では現代日本の鏡餅について詳しく考察されているのだか、何より他の書物と比べて分かりやすく解説されている。黄色い付箋の付いている箇所を開いてみると、【鏡餅のならわし】の題目がそこに記載されていた。
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【鏡餅のならわし】
○鏡餅とは?
二段に重ねられた丸いお餅のことで、神仏に飾られるお正月の縁起物である。穀物神・子宝神である”歳神”への供物、神霊が取り憑く依代でもあった鏡餅は、その後様々な研究が成されるようになり、保存が利く食材として重宝された。
○鏡餅形式プロジェクト
日本政府は保存が利く鏡餅に目を付けて、鏡餅を個人証明物とするプロジェクトを開始した。内容としては単純で、鏡餅の一段目(大)を男性、二段目(小)を女性に見立て、生後間もなく国民一人一人に性別毎の丸餅を配布した。その丸餅には個人情報や個人住所などを記憶させた(この丸餅は通称『個人餅』と呼ばれ、本人証明により再発行可)。それにより、様々な契約や手続きが個人餅で代用可能となった。またGPSを埋め込むことによって、人間の行動を明確に計測することができるようになった。それにより、重大犯罪の検挙数も大幅に上昇した。
○鏡餅冠婚制度
以前少子化問題、孤独死問題に悩まされていた日本政府は、鏡餅形式プロジェクトの派生として、鏡餅冠婚制度を導入した。その制度を施工するために、個人が大事に保管する個人餅とは別の「冠婚葬祭用の鏡餅」が作られた(この鏡餅は通称『祝い餅』と呼ばれており、再発行はできない)。結婚においては、男女ペアの祝い餅を二段に重ね合わせることによって婚姻成立となる。それにより、煩雑な手続きが要らない簡素な結婚手続きを行うことができるようになった。また、死者を弔う際も、祝い餅鏡開きの儀を神社にて執り行うことが決定された。それにより、孤独死した者を死国へ送り出すといったシステムが構築された。
○祝い餅トラップ
祝い餅をわざと落とし、異性に拾わせることでお見合い形式で結婚できるという祝い餅トラップ、所謂「餅婚」が2030年代から増加した。日本政府は「餅婚」を縁起の良いものとし、25歳以上35歳以下の未婚男女は祝い餅を屋外に置くという義務を設けた(外出時に祝い餅を所持することは可能。しかしながら、屋内に祝い餅を持ち込むことは禁止とされている)。但し、祝い餅を拾えるのは25歳以上35歳以下の祝い餅を所持する未婚男女で、条件を満たさない者が拾うと罪に問われる場合がある。餅婚制度の導入により少子化問題、さらには孤独死問題が一気に解決する運びとなった。
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俺は本の内容を読んでから、ふぅと一息吐いた。そう、祝い餅というモノは、知らない誰かに拾われたらマズイ物なのだ。
だからと言って、婚姻が強制される訳ではない。婚約を防止できる対策法としては二つある。一つは奪われた祝い餅を回収すること。ただ、この方法については現実問題かなり厳しく、昨今の日本法律に反してしまう可能性がある。
もう一つは、違う誰かと結婚する方法が挙げられる。具体的には、個人餅を違う誰かと重ね合わせることによって、婚約適用を変えることができるのだ。餅婚によって望まない結婚をした場合にのみ、このシステムが適応される。
「早く雪音に連絡しなきゃ…」
俺は改めて雪音のトークルームを開き、これらの鏡餅についての情報を送った。しばらく時間が経ってから、雪音から返信が届いた。
『…拓哉、明日って会えない?』
俺は雪音のLINEに”YES”のスタンプを一つ返して、そのままスマホの電源を落とした。
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「それを踏まえて、拓哉に一生のお願いがあるんだけど…私と結婚してください!」
雪音はボサボサの髪を耳にかけながら「知らない人と結婚するより拓哉と結婚できたら良いなと思う。気を遣わないで別々で暮らすこともできると思うし」と言葉を続けた。
俺は「正直俺も知らない奴と結婚するより、雪音と結婚した方が良いかもしれない」と返事をした。
雪音は涙を浮かべながら俺に感謝を告げた。その後、彼女は今の日本政府の結婚の在り方について文句を垂れ続けていた。
確かに日本はいつかの時代に歯車が急に噛み合わなくなって、このような負の状況に陥ってしまったのだ。祝い餅のシステムは良いとは思うが、やはり人権の尊重はないように思える。
でも、俺はまた雪音の側にいられることに嬉しく思った。その辺に関しては今の日本に対して唯一感謝できるポイントである。
俺は何となく家の本棚のことを思い出した。同時に、あの本の隣に置いてある俺と雪音の祝い餅をどう処理しようかなぁと少しだけ悩んだ。
案 木野花音さん
お題 二番(2段) トラがつくもの
コメント
3件
最後の文で、前半の優しいとも思える主人公の印象が一気に変わりますね。
とても斬新なストーリー設定ですね!! 元カノにとっても、主人公にとっても、これが最善の解決策だと安心した後の、ぞわりとするオチ……。短編ながらも深みがあり、とても面白かったです!!
少子高齢化対策に思い切ったシステムですね…!