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戦いは決した。
傷こそ負っているものの浸は立ち上がり、赤マントはそのままその場に崩れた。
「……負けたな」
ややよろめきながら、赤マントは立ち上がる。そんな赤マントに向き直り、浸は武器を収めた。
「では、話してもらいますよ。そして協力させていただきます」
「……不思議な奴だな。まさか協力させることを強要されるとは思わなかったよ」
赤マントはそう言って肩をすくめた後、ゆっくりと話し始める。
「……私には、妹がいる」
「妹さんが……?」
問い返す浸に頷き、赤マントは言葉を続ける。
「あの子は……春子(はるこ)はもう死んでいる。霊なんだ」
「えっ……?」
驚く和葉とは裏腹に、浸は赤マントの言動に納得して深く頷く。彼女がゴーストハンターと戦っていたのは、恐らく霊である妹を除霊されないためだったのだろう、と。
「……それで、以前出会ったゴーストハンターに除霊されかけた、と」
「……ああ。強制的にな」
その判断自体は、決して間違っていない。感情的な部分はともかく、霊化した霊魂を早期に祓うというのはゴーストハンターとしては当然の行動だ。
「まだ悪霊化はしていないのですね?」
「勿論だ。まだ、な……」
どんな霊でも、いずれは悪霊化する。それは多分、赤マント自身も理解していることだ。
悪霊化すれば、大抵の霊は自我を失い本能的に他者を襲うようになる。
仮に自我を保っていたとしても、そこには必ず負の歪みが生じている。悪霊による被害を未然に防ぐ一番の方法は、悪霊化する前に祓ってしまうことなのだ。
「私はせめて……彼女が未練を断ち切って成仏出来るようにしたい。雨宮浸、早坂和葉……お前達は、本当に協力してくれるのか?」
浸と和葉を交互に見つめてから、赤マントはそう問うた。
その声音は、まだどこか不安そうだった。それを察してか、浸は穏やかに微笑みかける。
「当然です。そういう約束でしたからね。それに、悪霊化する前の霊を強制除霊するような真似はしたくありません」
「何が出来るかわかりませんけど、私にもお手伝いさせてください!」
二人の言葉に、嘘はない。それが表情から理解出来て、赤マントは安堵のあまり肩の力が抜ける。
もう、ずっと長いこと気を張り続けていたような気がする。もしかすると、もうすぐ肩の荷が下りるのかも知れない。
「何がも何も、これは早坂和葉に適任ですよ! あなたの霊感応なら、妹さんの未練の理由がわかるハズです」
「あ! 確かに! 確かにそうです!」
そんな風にはしゃぐ二人を見て、赤マントは肩肘を張っていたのが馬鹿らしくなってため息をつく。最初に出会えていれば良かったという浸の言葉に、今は心底同意出来る。
「本当に……お前達に最初に出会えていれば良かったよ」
そう言って、赤マントはゆっくりと仮面を外す。素顔をさらけ出し、二人とは対等な関係でいたくなったのだ。
赤マントの素顔を見て、浸はなんとなく察していた正体が当たっていたのだと理解する。
「……赤羽絆菜」
素顔を晒した赤マント――――赤羽絆菜に、浸は微笑みかける。
「これから、よろしく頼む」
「……ええ、こちらこそ」
絆菜の差し出した手を、浸はしっかりと握る。返ってきた人としての温かみが嬉しくて、絆菜はそのままずっと握っていたいような気分になっていた。
「だが私がやってきたことは罪だ。これからは、それを償えるように生きたい」
「そうですね……良ければ私の事務所に来ませんか? 助手は早坂和葉がいますので……役職はどうしましょうか」
「ふふっ……最高の提案だな。ならまずは、助手の助手から始めさせてくれ。一から教えてほしいんだ」
絆菜がそう言った瞬間、驚いて和葉が肩を跳ねさせる。
「やりましたね早坂和葉。後輩が出来ましたよ!」
「え!? 先輩!? 私先輩なんですか!?」
「ああ、よろしく頼む。先輩」
「わ~~~~~~!」
先輩、と呼ばれたのが新鮮だったのか、和葉は大はしゃぎで絆菜のもう片方の手を取る。
「こちらこそよろしくお願いします!」
ずっと欲しかったのはきっと、こんな温もりだ。孤独に戦い続けた日々はもう終わり、新たな道が開けたような気がした。
「細かいことは後日にしよう。今日はもう、休みたい」
「そうですね。私も傷の治療がしたいですし、良ければ赤羽絆菜も……」
「いや、良いよ。私は傷の治りが早い」
そう言ってマントを翻した絆菜の身体に、もう傷口はない。だがそれと同時に、和葉は絆菜の変化に気づく。
「……あの、もしかしてですけど……さっきより、霊に近づいていませんか?」
恐る恐る和葉が問うと、絆菜は小さく首肯する。
「……ああ。傷が早く治るのは、私が霊体に近づいている証拠だ。よく気づいたな」
「早坂和葉の霊感応は普通の霊能者とは比べ物になりませんからね」
「……頼もしいな。妹の時は頼む」
「……はい」
絆菜は和葉が頷いたのを確認してから、その場を立ち去っていく。その背中を、和葉は不安げに見つめていた。
「霊体に近づいてるってことは……」
「ええ、いずれは」
決定的な言葉を、浸も和葉も口にしなかった。
***
二人と別れ、絆菜が帰路につく頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
今までは不安なだけだった。暗い夜道は、不安なものを想起させる。襲ったゴーストハンターが、いつお礼参りにくるかもわからなかった。
だが今は何も怖くはない。手を差し伸べてくれる誰かがいるだけで、強くいられる。
「……浮かれているのか、私は」
普段より数段軽い足取りに自ら驚きつつ、絆菜は歩いて行く。
そんな彼女の前に、小さな影が立ちはだかった。
「おっす」
「誰だ」
すぐに、絆菜はその影の違和感に気がつく。何か、何かがおかしい。
「誰だとはご挨拶ね。ま、初対面だししゃーないしゃーない」
その甲高い声は少女のものだったが、違和感が拭えない。違う、普通ではない。人ではない。絆菜の感覚がそう叫んでいる。
「でも私はあなたを知ってますぅ」
瞬間、影が絆菜の背後に回っていた。
「……!?」
違和感に気を取られて油断していたせいもあったが、少女の動きは予想よりも速い。すぐに臨戦態勢を取ろうとしたが、影が手に持っている白い仮面に気づいて、絆菜は再び動きを止めた。
手に持っていたハズの仮面が、消えていた。今この瞬間に奪われたのだ。
「怪人赤マント」
「お前……いつの間に」
「逢魔ヶ時に現れて、子供をさらってぶっ殺す。そういうものでしょ」
「……私は違う」
「うん、違う。だから変だと思うなぁ」
少女は白い仮面を弄びながら、ケラケラと笑みをこぼす。
「これはそういう霊具のハズ。わざわざマントを羽織るのも、この仮面の影響でしょう? でもすごいのね、あなたこの仮面をコントロールしてたんだ」
「……それをこっちに渡せ」
仮面を取り返そうと手を伸ばす絆菜だったが、少女は素早く後ろに引いて回避する。
「こんな仮面で幽霊もどきになってまで、あなたは何がしたかったのかな?」
「お前に話す……道理はない!」
次の瞬間、絆菜の手から数本のナイフが放たれる。しかしそれらは、一本足りとも少女には命中しなかった。
「オイ、人が喋ってんだろうがこのトンチキが。最後まで聞けよボケ」
少女の身体から生えた数本の不気味な触手が、絆菜のナイフを掴み取っている。それが何なのか理解出来ず、絆菜は思わず狼狽えた。
「お前は一体……!?」
「お仲間よ」
少女のその言葉と同時に、伸びた触手が絆菜の身体に巻き付く。身体の自由を奪われてもがく絆菜だったが、触手の拘束はきつく、抜け出せない。
「この仮面の使い方、教えてあげる」
「待て……何をする気だ……? やめろ!」
絆菜を縛り上げたまま、少女はゆっくりと歩み寄る。そして眼前まで迫った少女の顔を見て、絆菜はその表情を驚愕に染め上げた。
「何人の顔見てチビってンだよ」
継ぎ接ぎだらけの顔が、嘲笑で歪む。不揃いな両目が、ぐにゃりと曲がったまま絆菜を見ていた。
「トンカラトンだけじゃ足りないらしいし、丁度良いや」
驚愕に染まった絆菜の顔が、白い仮面で覆われる。それと同時に絆菜の身体が、薄暗い紫色のモヤに包まれる。
「くっ……あぁっ……!」
呻く絆菜を少女が静かに嗤う。
「それじゃあよろしくね。怪人赤マントさん」
触手の拘束が解かれると同時に、”怪人赤マント”が静かに揺らめいた。
***
その日の朝宮露子の仕事は、中学校に出没し始めた上半身のみの姿をした悪霊の除霊だった。
その悪霊は既に学校中で”テケテケ”という名前で知れ渡っており、てけてけ怖さに学校を休む生徒までいる程だと報告を受けている。
「しっかし……マジでこのご時世にテケテケとはね。恐れ入ったわ」
てけてけの噂は、露子が生まれるよりももっと前のものだ。知識としては知っていたが、あくまで座学的なものに過ぎない。昨今ではフィクションの題材にされることも少なく、露子も霊能者でなければ知ることはなかっただろう。
暦は既に春だが、夜の校舎はまだ少し冷え込む。普段通りのゴスロリスタイルで歩く露子は、スカートの中に入り込む冷えた空気に嘆息した。
校舎内は、厭な雰囲気が立ち込めている。位置までは特定出来ないが、間違いなく悪霊がいる。
和葉がいれば正確な位置まで特定出来ただろう。そう思う自分に、露子は嫌気が差す。
(……負けてらんないわね)
彼女の才覚は本物だ。このまま行けば、いずれ強いゴーストハンターになる。
その時、まだ前を歩いている自分でいたい。
「……」
そんなことを考えている内に、周囲に漂っていた負の霊力が濃くなり始めた。
「……いるんでしょ。さっさと出てきなさいよ。夜勤はお肌に悪いんだから」
――――次の瞬間、露子の足元に一雫の赤が落ちた。
「――っ!」
即座に飛び退いた露子の眼前に、一体の霊が落下する。
べちゃりと厭な音を立てて落ちてきた霊は、ずるりと顔を上げて三日月型の笑みを浮かべた。
「何……? こいつ」
怪異、テケテケ。
上半身のみの女性の霊とされることが多く、その逸話は様々だ。有名なのは、北国で女性が電車に跳ねられて下半身を喪ったがあまりの寒さに出血が止まり、しばらく生きたまま這いずっていたという逸話である。もっとも、日本の北部の寒さではこのようなことは起こらず、電車に轢かれた際もこのような状況にはまずならないとされているのだが。
このようなエピソードが語られ、テケテケという怪異は各地で語り継がれ、様々な尾ひれがついた形で複数のバリエーションを持っている。
テケテケのエピソードを聞いた者の前に現れるだとか、このように脈絡なく校内に現れるなど……。そのビジュアル的な怖さからか、怪異としてはポピュラーな部類で多く語られた方だろう。
ここまでが、露子が座学で知っている範囲だ。
「キキッ……」
テケテケは奇声を上げると、即座に露子へ飛びかかる。
それをひとまず回避し、露子はひとまず逃走をはかった。
(大した霊じゃないわ……! ここで強引に戦うより、外に誘い込んで一撃で祓う!)
そう考えて走りながら、露子は違和感に顔をしかめる。
(こいつ……なんでテケテケなのよ!?)
和葉程の霊感応はなくても、このテケテケから感じる負の感情が普通の悪霊よりも小さいことくらいはわかる。
悪霊には、悪霊化するだけの理由がある。時間経過によって悪霊化するのも、霊魂が、想いが時間経過で淀むからだ。
だがこのテケテケはそれが足りない。このような姿の怪異に至る理由も、凶暴化する理由もまるで見えてこない。仮に下半身が切断されるような大事故や猟奇的な殺人を受けたのであれば、それこそもっと強大な負の感情が感じ取れれるハズなのだ。露子にも、それを感じ取れるだけの霊感応力はある。
違和感を覚えながら走っている内に、校舎の外まで出てしまう。慌てて振り返ったが、テケテケは露子を追ってきていなかった。
しかし次の瞬間、露子は思わず深い溜め息をつくことになる。
「は……?」
校舎のガラスが砕け散り、テケテケが校庭に飛び出してきたのだ。
「ふざけんな! 弁償じゃないのこれ!」
物質的に存在しない悪霊は、ドアやガラスをすり抜けられることが多い。しかし霊にとっての物理的なルールは生前の意識に依存する。それらを破るためには、強い意志の力が必要になる。つまるところ、強力な霊程物理的なルールを無視した行動が取れるのだ。
ガラスをわざわざ破って出てきたところから、露子は確信する。このテケテケは脆弱な悪霊でしかないことを。
すぐに、テケテケは露子へ飛びかかってくる。
露子は銃を構えると、それをギリギリまで引き寄せ――――眼前まで迫ったところで頭部を撃ち抜いた。
露子の霊力が込められた弾丸を受けたテケテケが、かき消えていく。
ひとまず仕事が終わったことに安堵しつつも、露子は胸に残った違和感を拭えずにいた。
「……なんか変な感じするわね……。まあ、後で浸にでも相談しようかしら」
ここで考え込んでも仕方がない。そう判断した露子はそのままその場を立ち去ろうとする。
しかしその足元に、一本のナイフが突き刺さった。
「……めんどくさ」
心底気怠そうに呟き、露子はナイフの飛んできた先へ視線を送る。そこには、月光を背に、夜風でマントをひらめかせながら屋上に立つ”赤マント”の姿があった。
赤マントは勢いよく屋上から飛び降りると、露子を見据える。
「後にしてくんない? 今日は疲れてんだけど」
どうせ返答はわかり切っていたが、気持ちよく戦いに応じてやるつもりは露子にはない。
しかし、赤マントから返ってきた答えは露子の想定とはまるで違ったものだった。
「ヒ、ヒ……ヒ」
「……は?」
カクカクと首や手足を不規則に蠢かせながら、赤マントは奇声をこぼす。
「アカイ、マント……イリ、マス……カ?」
不自然に首を傾げ、赤マントはそう問う。
「……悪いけど、あたしは黒が好きなの」
露子がそう答えた瞬間、一直線にナイフが飛ぶ。すかさずそれを回避して、露子は二丁の拳銃を赤マントへ向けた。
「何よアンタ。とうとうほんとにただの霊になっちゃったってワケ?」
「アカイ、マント……」
言いかけた赤マントに、露子は容赦なく弾丸を撃ち込む。急所は外したが、肩には命中した。しかしそれで怯む赤マントではない。再びナイフを飛ばしながら、高速で露子との距離を詰める。
「このっ……!」
赤マントの動きが、以前会った時よりも速い。ジグザグに動く赤マントに、露子の弾丸は命中しなかった。
瞬く間に距離を詰めた赤マントが、露子の銃を片方蹴り上げる。即座に露子はもう片方の銃で弾丸を撃ち込んだが、赤マントは止まらない。
「アカ……イ……マント……イリ、マスカ……?」
「…………やば」
眼前の赤マントが、ナイフを振り上げていた。