テラーノベル
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涼ちゃんが身を挺して作ってくれた隙を突き、二人は夜通し車を走らせた。
辿り着いたのは、地図にも載っていないような山奥にある、古い避暑地の廃別荘だった。
外は、音もなく雪が降り始めていた。
すべてを白く塗りつぶしていく雪は、まるで外界との繋がりを断絶してくれる、冷たいカーテンのようだった。
「……はぁ、……っ」
若井は凍える手で暖炉に火を焚べ、元貴を厚い毛布で包み込んだ。
元貴はもう、若井に背負われている間も、車に揺られている間も、一言も発さなかった。
ただ、若井の服の裾を、命綱のように握りしめているだけだ。
若井は元貴の顔を覗き込み、スケッチブックを広げた。
『 大丈夫だ、元貴。ここは誰も来ない。……寒くないか? 』
元貴は、ゆっくりと瞬きをした。その瞳は、以前よりもずっと透明で、何も映していないように見えた。
元貴が口を開く。
何かを言おうとして、喉が小さく震える。
「……あ、……ぁ……」
掠れた、湿った音。
言葉にならない、ただの呼気。
元貴は目を見開き、何度も喉を押さえた。
(……声、出ない……?)
元貴は絶望したように自分の口を両手で覆った。
音が消え、色が消え、ついに彼は自分の「思い」を外に放つ手段さえも奪われてしまったのだ。
「元貴……」
若井はたまらず元貴を抱き寄せた。
元貴の喉が震え、嗚咽が漏れる。
けれど、その泣き声さえも、若井の耳には届かないほど微かな、消え入るような音だった。
元貴は、震える手で若井のスケッチブックを奪い取ると、マジックを握りしめた。
視界はもう、ほとんど灰色の霧の中。
自分の書いている文字さえ見えているか分からない。
それでも彼は、魂を削るようにして、ページいっぱいに文字を刻んだ。
『 ひろと。ぼくの なかから ぜんぶ きえていく。 』
ぐちゃぐちゃの、震えた文字。
『 わかいの かおも、 こえも、 ぼくの なまえも。 』
『 でも、 この むねの いたみだけは、 きえないんだ。 』
元貴は、若井の胸元を拳で弱々しく叩いた。
「……ぅ、……うぅ……」
声にならない叫び。
若井は、その細い手を自分の両手で包み込んだ。
「消えさせない。
お前が忘れても、俺が覚えてる。俺がお前の記憶になる。お前の声になる。
……だから、そんな悲しいこと書くな……っ!
柔弱な愛で、守り抜くから…。」
若井は、元貴の指先を一本ずつ、自分の唇に押し当てた。
「(見てろ、元貴。)」
若井は、元貴の掌に、指でゆっくりと文字をなぞった。
『 愛 』『 し 』『 て 』『 る 』
元貴の瞳に、ポタポタと大粒の涙が落ちる。
言葉がなくても、声がなくても、触れ合う肌を通じて、若井の剥き出しの愛が流れ込んでくる。
その時、元貴がふと窓の外を指差した。
モノクロームの世界の中で、元貴の瞳には、暖炉の火に照らされて舞い落ちる雪が、一瞬だけ「淡いオレンジ色」に輝いて見えた。
それは、若井がかつて言った「俺がお前の色になってやる」という言葉の魔法。
元貴は、若井の首に腕を回し、その耳元に唇を寄せた。
音にはならなかった。
空気の震えだけだった。
けれど、若井にはハッキリと聞こえた。
( ありがとう、 滉斗。 )
二人は、雪に閉じ込められた静寂の中で、互いの存在だけを確かめるように深く、深く口づけた。
一方、ふもとの街では——。
警察に拘束された涼ちゃんが、取調室で窓の外の雪を見上げていた。
「……逃げ切ってよ。
二人だけの、卒業式まで。」
涼ちゃんの机の上には、没収されたはずの「もう一冊のノート」が隠されていた。
それは、元貴が病室で書き残した、若井に宛てた最後のラブレター(歌詞)だった。
コメント
2件
すごい感動しました😭