テラーノベル
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カイトという名を与えられた青年は、タニアに伴われて教会の中に入っていった。
教会の中はあまり広くはなかった。
木製の長椅子が四つ並べられており、奥には十字架と女神像が飾られている。
特別な装飾のほとんどない、質素な教会だった。
「おや、タニア」
教会の奥から、白いヒゲを蓄えた高齢の男性が出てきた。
「こんにちは、神父さま」
「そちらは彼氏かい?」
「ち、違います! ちょっと事情がありまして……!」
神父は笑った。
「そこまで慌てんでも。それで事情というのは?」
タニアは顔を赤らめながら、オホン、と一つ咳払いをした。
「こちらはカイトさん。東の森で魔物に襲われたところを助けてくださったんです」
「なんと!」
神父は深々と頭を下げた。
「カイト殿、タニアを助けてくださり、ありがとうございます」
「いえ、当然のことをしただけです」
神父は頭を上げ、頷いた。
白いヒゲのある顎を撫でながら難しい表情になる。
「それにしても、東の森に魔物ですか……」
「はい……。あそこに魔物が出るなんて、これまでなかったですよね」
タニアが言った。
「近年の魔物の凶暴化の影響かもしれませんな」
魔物の凶暴化。
その言葉を聞き、カイトは無意識のうちに両の拳を握っていた。
「ところで神父さま。こちらのカイトさん、記憶喪失みたいなんです」
タニアはこれまでの事情を説明した。
「ふーむ……。頭を打ったことによる一時的な症状なら、しばらくすれば元に戻りそうなものですが」
カイトはかぶりを振った。
「頭を打ったとは思えないんです」
「では心因性によるものかもしれませんな」
「どういうことです?」
タニアが訊いた。
「たとえば、何かとてもつらいこと──それこそ、忘れることでしか心を守れないほどの経験をすると、記憶喪失になると聞いたことがあります」
「とてもつらいこと……」
タニアは、恐る恐るといった様子でカイトを見てきた。
カイトは、やはりどう応えたらいいかわからず、首を傾げるしかなかった。
「ところで」
神父がカイトの右手を指さして言った。
「その紋様は……」
「これですか?」
カイトは右手を胸の前に持ってきた。
手の甲に、奇妙な紋様が刻まれている。
神父は身を乗りだし、まじまじと手の甲を見つめた。
「どこかで見たことがあるような……」
しばらくして神父は、ふうっとため息を付いた。
「年はとりたくないものですな。色々と忘れっぽくなってしまいます」
彼は咳払いをした。
「何にせよ、記憶が戻るまでゆっくりしていったほうがいいですね。しばらく村で療養していくといいでしょう」
カイトは気まずそうに俯いた。
「ですが俺、家も金もないので──」
「あたしの家に泊まればいいじゃないですか!」
「タニア。うら若き乙女の言葉とは思えませんね」
タニアはかっと顔を赤らめる。
「べ、別にそういうつもりじゃないですよ! あたしの命の恩人ですし、恩返しをするのが当然でしょう!?」
「私は教会で過ごしてもらおうと思ったのですが……タニアがそこまで言うのなら反対はしません。しかし独断で決めてはいけませんよ。まずは村長に相談なさい」
「は、はい! もちろんです!」
* * *
村長の家は高台にあった。
階段を上った先に大きな家が佇んでいる。
二人は応接間に通された。
村長は、小太りの五十代くらいの男だった。
テーブルを挟んで向かい合うように座ったタニアとカイトは、神父に語ったように事情を説明した。
村長は、まずタニアを救ってくれたことを感謝した。そして、しばらく村に留まる許可も与えてくれた。
「それで村長。カイトさんは、しばらくあたしの家に泊まってもらおうかと思うのですが」
「うーむ」
村長は腕組みをして唸った。
「タニア本人が良いというならば」
タニアはほっと息を吐き、嬉しそうにカイトを見てきた。
カイトも微笑を浮かべて頷いた。
順調にことが運んでいたと思われた、そのとき。
「俺は反対だね!」
男の声が響いた。
応接間のドアが勢いよく開き、若い男が入ってきた。
茶色の短髪、鋭い眼光の青年だ。
「ハンス!」
タニアが驚きの声を上げた。
ハンスと呼ばれた男は、ギロリとカイトを睨みつけた。
「外で聞いていた。この男を村に留めるなんて反対だね。タニアの家に泊めるなんてもってのほかだ! 親父もタニアも、人が良すぎるのも大概にしろよ!」
「しかしだね、記憶喪失でどこに行けばいいかもわからない人を追いだすのは──」
「その記憶喪失とやらも疑わしいな。口だけなら何とでも言える」
タニアが勢いよく立ち上がった。
「ちょっとハンス、失礼なこと言わないで! あたしを助けてくれた恩人なんだよ!」
ハンスは、ふんっと鼻を鳴らした。
「それだってわからねぇぜ。お前に取り入るために、そいつが魔物をけしかけたのかもしれない」
「ひ、ひどい! どうしてそんな言いがかりを──」
「待ってください」
これまで黙っていたカイトが口を開いた。
「ハンスさん。あなたの言っていることは、もっともだと思います」
ハンスは、片眉を上げてカイトを見てきた。
カイトは、申し訳なさを感じながら視線を落とし、続ける。
「俺自身、自分が何者かわからないです……。後ろ暗い人間ではないと、強く主張することもできない人間です」
「ほらみろ。当の本人が言ってるじゃねぇか」
村長はうーむと唸った。
「ハンスの言うことは、たしかにもっともだ。しかしタニアを救ってくれた恩人を追いだすというのも、村長としてはできかねる。そこでどうだろう。しばらく我が家で寝泊まりするというのは」
「親父!?」
「カイト殿が何か企んでいたとしても、目の届く範囲にいるなら、ハンス、お前が防いでくれるじゃろ」
「それは、まあ……」
村長は大きく頷いた。
「よいな、タニア?」
「……わかりました」
カイトは頭を下げた。
「ありがとうございます」
それから姿勢を正し続ける。
「ただ……何もせずお世話になるわけにもいきません。村のために、何かをさせて頂きけませんか?」
村長は首を傾げた。
「何か、というと?」
「俺は、自分自身が何者かはわかりませんが、どうやらそれなりに強いようです」
ハンスが「自信満々だな」と鼻で笑った。
カイトは構わず続ける。
「先ほど、魔物が凶暴化しているという話を訊きました。だから魔物の討伐に協力しようかと」
「それはありがたい話じゃが……」
村長は難しげな表情になる。
「ここから南に洞窟があるんじゃ。そこは昔から質の良い鉱石や特別な水晶が取れるということで、アルヒ村の重要な資源での。しかしひと月ほど前から強い魔物が棲み着いてしまってな……。以来、鉱石の採取ができなくて困ってるんじゃ」
「そんなに強い魔物なんですか?」
「うむ。村の腕自慢が集まって討伐に向かったが、倒すことは叶わなかった。そうじゃろ、ハンス」
ハンスは鼻を鳴らし、不快げに視線を逸らした。
「ただのう、強いことは間違いないんじゃが……」
村長は腕組みをしながら言った。
「その魔物、討伐に向かった者たちを迎撃はするものの──誰一人、殺しはしなかったんじゃ」
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