薄明の光が、東の空を淡く照らし始めた頃、ペイン家からの使いがウールウォード邸にやってきた。
「ランディリック侯、ペイン家より急ぎの書簡が届きました」
まだ使用人たちの大半が目覚めてこない未明のこと。控えめなノックの後、寝室にあてがわれた主寝室の扉を開けたランディリックに、ウールウード家の執事ラウが、声量を抑えた声音でそう告げた。
ランディリックは夜着の上にガウンを羽織った状態でその知らせを受けたのだが、差し出された手紙を愛用の小さな銀ナイフで開封するなり、その形の良い眉を寄せた。
『セレン殿下の部屋で、少々問題が起きた。
人目を避けて来て欲しい。
詳細は会ってから話す。
ウィリアム・リー・ペイン』
封筒の文字も急いで書かれたものだったが、筆跡と封蝋でそれが紛れもなく友・ウィリアムからの信書だと判断したランディリックである。
ウィリアムがあえて手紙に多くを記さなかったのは、用件が軽々しく証拠を残せるような内容ではないからに違いない。
ランディリックは手紙へ目を通し終えるなり。それをすぐさま蝋燭の火に翳して燃やした。手紙にはセレノ皇太子殿下のことを、偽名のセレン・アルディス・ノアールとして書いてあったけれど、もしそうだとして……たかだか北の辺境の侯爵家三男坊に何か問題が起きたからといって、こんな時間に使者を立てること自体おかしな話と言われたら、言い訳のしようがないではないか。
(不安材料はひとつでも少ない方がいい)
そう思った。
ランディリックは静かに部屋の片隅へ控えるラウに目配せすると、
「ラウ、済まないがすぐさまリヴィアーニ家のクラリーチェ・ヴァレンティナ・モレッティ女史へ、八の刻に迎えをやると伝えてもらえるか?」
言って懐中時計へ視線を落とす。
八の刻まであと三時間。
リヴィアーニ家はウールウォード家から馬で二十分と掛からない距離に建つ家だ。貴族女性の身支度の時間を考えると、少々無理をさせてしまうだろうが、彼女ならば間に合うように出かける準備を整えてくれるだろう。
「僕は支度を整えたらすぐに出る」
やたらと急いだ様子でクラリーチェを呼び寄せるのだ。てっきり、彼女が到着するのを待ってからことを起こすものと思っていたラウは、驚いてわずかに目を大きくした。
「……この時間にどちらへ? とお聞きしてもよろしいですか?」
リヴィアーニ家に、こんな早朝に使いを出すこと自体異常自体だというのに、手紙を見るなりランディリックは出かけてしまうという。
さすがにランディリックが〝何処へ向かうのか〟は執事として把握しておかねばならない。
ラウの真摯な眼差しを受けたランディリックは、小さく吐息を落とすと、
「少し問題が生じたらしい。ウィリアム・リー・ペインの元へ行かねばならなくなった」
一息にそう告げた。
「ペイン卿のところへ、ですか」
「ああ。――悪いがリリアンナのことを頼む。クラリーチェは彼女の家庭教師だ。しっかり勉強をして待つように伝えてもらえるかな?」
「かしこまりました」
すぐさまリヴィアーニ家へ使いを出してくれると言うラウ執事に礼を述べると、ランディリックは自らも出かける支度を開始した。
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