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入学式から数か月。
新しい友達もたくさんできたし、授業も楽しくて毎日が充実している。
しかし──。
「お、ルシンダ。気をつけて帰れよ」
「あっ、はい……さようなら、レイ先生」
放課後、玄関で出くわしたレイに挨拶する。
レイは片手をあげて応えてくれたが、ルシンダまで手を振る訳にはいかず、軽く頭を下げる。
レイの背中が遠のくと、あとから玄関にやって来た同級生たちがきゃあきゃあ騒ぐ声が聞こえてきた。
「ねえ、レイ先生ってかっこいいよね!」
「ね〜! うちの担任だったらよかったのにね」
「そしたら毎日頑張って勉強するのに〜」
「でも数学と合同練習の授業で会えるから、そのときに目に焼きつけておこうよ」
「そうだね〜」
あははと笑いながら去っていく彼女たちを眺めながら、ルシンダが小さく溜め息を吐く。
(魔術学園に入学して、レイのクラスになれてすごく嬉しい。でも、学園では先生と生徒だから前みたいに気軽には話せないし、それに……)
他の生徒たちがレイを「かっこいい」と言っているのを聞くと、なぜだか胸がもやもやする。
自分でもよく分からない感情に思わず胸を押さえると、突然、「どうしたの?」と横からぴょこんと薄桃色の頭が飛び出してきた。ルシンダが驚いて肩を跳ねさせる。
「ミ、ミア!? びっくりしたよ……」
「ごめんごめん。なんか青春を感じる背中をしてたからさ」
「なにそれ……」
ミアはルシンダと同じ転生仲間で、そのことを知って以来、一番の仲良しになっている。
同い年なのに妙に大人びて色々と悟ったような発言をするミアは、少し不思議ではあったが、ルシンダにとって頼れる存在でもあった。
(もしかするとミアなら、今のこの気持ちが何なのか分かるかもしれない)
ルシンダは思い切って、ミアに相談してみることにした。
「あのね、ミアに聞いてもらいたいことがあるんだけど──」
◇◇◇
あっという間に月日が過ぎ、今夜はついにルシンダの卒業パーティー。
清楚な純白のドレスをまとい、丁寧に結い上げた髪にパールの髪飾りを差したルシンダが会場の控え室に入ると、クラスメイトたちからほうっと羨望の溜め息が漏れた。
「ルシンダ、とっても素敵!」
「ほんと大人っぽくなったよね〜」
友達のキャシーとマリンがうっとりした表情で褒めちぎる。
「ほら、レイ先生も見て! ルシンダ、すごく綺麗でしょ?」
キャシーに呼びかけられたレイが一瞬、驚いたように目を見張り、それからいつものように優しい笑顔を浮かべる。
「……ああ、綺麗だな」
レイに見つめられ、レイから綺麗だと褒められて、ルシンダの胸が早鐘を打つ。
(──ああ、やっぱり私はレイが好き)
ミアに相談したあの日。
彼女から返ってきたのは、ルシンダが想像もしていない答えだった。
『それはきっと “恋” よ、ルシンダ』
『こ、恋……?』
『ええ、そう。レイ先生のことが気になって、他の子たちにヤキモチを焼いて……。それって、ルシンダがレイ先生を好きだってことよ』
『そんな、まさか……』
たしかに、レイのことは尊敬しているし、好きか嫌いかで言えば好きに決まっている。
でも、その気持ちが「恋」だなんて、信じられない。
けれど、ミアはそう確信しているようで、楽しそうににこにこと笑っている。
『うふふ、レイとルシンダの組み合わせもいいわね。教師と生徒の禁断の恋、なーんて』
ミアの一言で、ルシンダはハッとした。
(そうだ。ミアの言うとおり、もし本当に私がレイに恋をしているなら、この気持ちは絶対に隠さないと……)
今の二人は、学園の教師と生徒。
誰かが面白半分で噂を流せば、たとえそれが事実無根でも、レイの仕事に支障が出てしまいかねない。
教師はレイの天職だと思うから、毎日教壇に立って頑張っているレイを困らせるようなことは絶対にしたくなかった。
だから、三年間ずっと模範的な生徒であるようにと努めてきたのに……やはり自分の心に嘘はつけなかった。
レイの眼差しひとつ、言葉ひとつで、これほど幸せな気持ちになるなんて。
(……でも、きっとレイは私のことなんて、ただの生徒や妹弟子としか思ってないはず。今の褒め言葉だって、キャシーがそう聞いたから言ってくれただけ)
レイは、みんなに公平な先生だから。
ルシンダは、嬉しさと切なさを心の奥に押し込めて、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます、レイ先生」
◇◇◇
魔術学園を卒業して少し経ったある日の休日。
ルシンダはフローラの屋敷を訪れていた。
念願だった魔術師団に就職して一週間。
フローラから調子はどうか尋ねる手紙をもらったルシンダは、近況を報告しに直接訪問することにしたのだった。
屋敷に到着するとわざわざフローラが出迎えてくれ、相変わらずの温かな歓迎に嬉しくなった。
「今日はレイもいるわよ。久しぶりに会いたいかと思って誘ったの。あの子も今日はお休みだから」
客間に案内される途中、フローラからそんなことを言われて、ルシンダの心臓がどくんと跳ねる。
(レイもいるんだ……)
本当は、レイにも会えたらいいなと少し期待していた。
卒業してからレイに会う機会はまったくなかったから、数週間ぶりの再会だ。
「さあ、どうぞ」
客間の扉を開けてくれたフローラに促され、ドキドキしながら部屋の中へ入ると、懐かしい彼の姿が目に入って、ルシンダの胸はさらに高鳴った。
「久しぶりだな、ルシンダ」
(レイ……)
低くて優しい声が、ルシンダの耳に心地よく響く。
背の高いレイを見上げるこの角度も、たまらなく懐かしい。
しばらく会えなかった分、レイへの想いが溢れそうになってしまうが、ぐっと抑え、教え子としての顔で挨拶する。
「お久しぶりです、レイ先生」
「今日はわざわざ訪ねてくれてありがとうな」
「いえ、久々にお二人にお会いしたかったですし、今までのご指導についても改めて直接お礼をお伝えしたかったので」
ルシンダの返事にフローラがしみじみと感じ入ったような声を漏らす。
「まあ、ルシンダったら、すっかり大人の女性になって……。でも、そうよね。出会ってからもう八年も経つんですものね」
「そうですね、八年……。長いようで、あっという間だった気もします」
「本当にね──……あらいけない、つい感傷に浸ってしまったわ。ほら、こっちの席に座ってちょうだい。ルシンダの好きなお菓子も用意してあるから、ゆっくりしていってね」
「ふふっ、ありがとうございます」
それからルシンダは、レイとフローラに魔術師団での初仕事や個性的な同僚たちの話をしたり、三人で懐かしい昔話をしたりして、楽しいひと時を過ごした。
あっという間に帰る時間になり、ルシンダは名残惜しい気持ちになりながらも、別れの挨拶をする。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「私もよ。またいつでも遊びに来てちょうだいね」
「はい、ぜひ」
フローラと抱き合って再会を約束していると、レイが見送りを申し出てくれた。
「ルシンダ、街まで歩いていくんだろ? 俺が送るよ」
「え、でもそんな、申し訳ないです」
「一人じゃ危ないだろう。それに、俺も用事があるから」
「……それならお願いします」
屋敷を出て、レイと並んで夕暮れの道を歩く。
近道だからといって連れられた小道は人通りがなく、まるで世界中でレイとルシンダの二人きりになってしまったみたいだ。
さっき、フローラと三人でお喋りをしていたときは、話題が尽きることはなかったのに、こうして二人だけになると、何を話したらいいのか分からなくなってしまう。
レイも先ほどからなぜか無言のままで、ますます居た堪れない。
「…………あの、レイ先生の用事って──えっ?」
気まずい雰囲気を払拭したくて話しかけると、突然レイがルシンダの手を取って立ち止まった。
もしかして水溜まりでもあったのだろうかと地面を見るが、水溜まりどころか、落ち葉や石ころのひとつもない、綺麗な道だ。
「急にどうしたんですか、レイ先生……?」
不思議に思って見上げると、いつになく真剣な顔をしたレイと目が合って、ルシンダはドキッとした。
レイは真面目な表情をしたまま、ルシンダに語りかける。
「お前が卒業して、社会人になったら伝えようと思っていたことがあるんだ」
いつも心地よいレイの声が、今は少しだけ硬く聞こえる。
いつも生徒たちみんなに向けられていた目が、今はルシンダひとりだけを見つめている。
(レイは何を言おうとしているの……?)
もしかしたらという期待と、そんなはずないと否定する気持ちが同時に湧き上がって、ルシンダの胸が苦しくなる。
けれど、次にレイの口から紡がれた言葉を聞いた瞬間、苦しくて切ない気持ちは、跡形もなく消えてしまった。
「──俺はお前が好きだ」
ルシンダがずっと願い、けれどずっと諦めていた言葉。
それが今、レイの口からはっきりと紡がれた。
レイの真っ直ぐな口調、真っ直ぐな眼差しから、彼の真剣な気持ちが伝わってくる。
あまりにも都合がよくて信じられないけれど、レイが嘘をつくはずがない。
それが分かるから、信じられないくらい嬉しい。
「どうして……いつから……?」
震える声で呟くルシンダに、レイがやや気まずそうに返事する。
「いつからかって考えると……お前がうちに魔術を習いに来てすぐの頃かな」
「そ、そんなに前からですか……!?」
まさか、レイのほうが先に好きになってくれていたとは思わず、ルシンダが驚きの声を上げる。
「俺も七歳も年下に惹かれるとは思わなかったから悩んだが、好きになっちまったんだから仕方ない」
「そんな……全然気づきませんでした」
「バレたら母さんがルシンダを教えるのを辞めると思ったからな。必死に隠したさ」
たしかに、フローラだったら、息子が教え子に恋をしていると知ったら、すぐにルシンダの教師を辞めて、別の教師を紹介しただろう。
「でも、学園でも全然普通でしたし……」
ルシンダがまだ信じられない気持ちでいると、レイが「はぁ」と溜め息をつく。
「お前の在学中は最後まで教師として接しようと決めていたからな。とはいえ、お前は男子たちに人気だったから、そのうち誰かと付き合い始めるんじゃないかと心配が尽きなかった。……まあ、ルシンダがそいつを選ぶなら仕方ないとは思っていたが……」
レイが誰かの顔を思い浮かべているかのように眉間にシワを寄せる。実際のルシンダはレイのことしか見ていなかったというのに。
「だが、お前は誰とも付き合わないまま卒業して、無事に就職もできたから、今日告白することにしたんだ。のんびりしていると、誰かに取られてしまうかもしれないからな」
レイがルシンダの手を握りしめ、熱を帯びた灰色の瞳でルシンダを見つめる。
「こうしてお前に想いを伝えられる日が来るのを、ずっと待ってた。嫌だったら断って構わない。……でも、俺じゃダメか?」
レイも、ルシンダと同じように、ずっと気持ちを抑えて、よき教師であろうとしてくれていたのだ。
そして今、これまでの平穏な関係が崩れるかもしれない不安を抱えながらも、勇気を出して想いを伝えてくれている。
(……それなら、早く安心させてあげなくちゃ)
ルシンダの答えなら、もう初めから決まっている。
「私も、レイ先生のことが好きです」
ルシンダの返事に、レイの目が大きく見開かれる。
「本当か……?」
「はい、本当です。私は鈍感だから、気持ちに気づいたのは学園に入学してからですけど……。ずっと片想いだと思ってたので、レイ先生も同じ気持ちだったと知れて嬉しいです」
今まで内緒にしていた気持ちを照れながら伝えると、レイの顔が嬉しそうに綻んで、大きな手がルシンダの頭を優しく撫でた。
「……教師の道を選んだとき、お前と結ばれることはないかもしれないと思ったんだ。だから、今こうして気持ちが通じ合ったことが奇跡みたいだ。本当に嬉しい」
「レイ先生……」
ルシンダを見つめるレイが、愛おしげに目を細める。
「これからは、”レイ先生” じゃなくて、昔みたいに ”レイ” と呼んでくれないか。敬語もいらない。俺はもう、お前の先生ではなくて、恋人なんだから」
“恋人” という響きに、ルシンダの顔が熱くなる。
そうだ、想いが通じ合った二人はもう “恋人” だ。
レイは、”みんなのレイ先生” ではなく、ルシンダだけの特別な存在になったのだ。
それを実感した途端、今まで無理やり蓋をしていた気持ちが一気に溢れ出してくる。
「……うん、大好きだよ、レイ」
もう我慢しなくていい言葉を、自然と浮かぶ笑顔とともに遠慮なく伝える。
すると、「お前な……」という溜め息混じりの声とともに、ぐいと手を引かれ、気づけばレイの腕の中に収まっていた。
「やっぱりすぐに告白して正解だった」
「えっ、それはどういう──……んっ……」
正解の解説を求めようとしたルシンダの声が途切れる。
レイが、ルシンダの小さく可憐な唇を塞いでしまったから。
もうルシンダの先生ではなくなった今、解説なんて後回しでいい。
レイは、みるみる顔を赤くする愛しい恋人を抱きしめながら、もう一度、唇を重ねた。