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ピンポーン……。
突如として静まり返ったリビングに、インターホンの電子音が鳴り響いた。
張り詰めていた空気を、一瞬にして切り裂くような高音。
僕の頭に乗せられていたはやちゃんの手が、そっと名残惜しそうに離れていく。
はやちゃんの手はどこまでも優しくて、それが余計に僕の胸を締め付けた。
ピンポーン、ピンポーン……。
その気まずい沈黙を破り、焦るように二度目、三度目のチャイムがしつこく夜の闇を叩く。
こんな時間に一体誰だろう。
全く心当たりがない。
時計の針はすでに21時を回っている。
静まり返った部屋に、機械的な電子音が容赦なく突き刺さる。
焦るように執拗に繰り返されるその独特なリズムを聴いているうちに、血の気がすーっと引いていくのが分かった。
その瞬間、頭の奥でパチンと何かが弾けた。
……脳裏を過ったのは、過去のあの悍ましい記憶。
はやちゃんの家から出て、念願の一人暮らしを始めたばかりの僕を襲ったあの執拗なストーカーの恐怖。
あの時も夜中に鳴り響く不気味な呼び鈴に怯え、泣きながらはやちゃんに電話して助けに来てもらったんだ。
その最悪なトラウマが、生々しいフラッシュバックとなって一気に押し寄せてくる。
急激に心臓が壊れたように暴れ出す。
呼吸の仕方が分からなくなって、背筋に冷や汗が伝った。
僕はガタガタと震える指先で、隣にいるはやちゃんの服の裾をぎゅっと強く掴んだ。
さっきあんなふうに傷つけてしまったばかりなのに、いざこの地獄のような恐怖に引きずり戻されると、真っ先にはやちゃんに縋ってしまう自分が、酷く浅ましくて惨めだった。
だけどはやちゃんは僕の異様な怯えをすべて察したように、僕の手を大きな手のひらでそっと包み込んでくれた。
安心させるように、もう片方の手で優しく何度も頭を撫でてくれる。
いつもの頼れるお兄ちゃんの顔。
僕の傷もトラウマも全部知った上で守ろうとしてくれる、大好きなはやちゃんの顔。
『怪しい奴かもしれないから、俺が代わりに出てくる。お前はここで待ってろ』
「……うん、」
喉の奥から、やっとの思いで声を絞り出す。
はやちゃんがソファーから立ち上がり、足早にインターホンのモニターの前へと向かって画面を覗き込む。
『ん? 誰だこいつ……』
モニターを見つめたまま、はやちゃんが不思議そうに首を傾げて呟いた。
画面に映るのは、フードを深く被った顔の見えない人影。
その不審者のビジュアルが、僕のパニックを決定的なものにした。
あの時の奴だ。
また来たんだ。
「ひゅ、……っ、……」
過呼吸気味に短い悲鳴を上げながら、僕は立ち上がり、はやちゃんの背中にピタッとくっつくようにして隠れた。
……待って。
さっき、僕、ちゃんと玄関の鍵、閉めたっけ…?
もし閉めていなかったら…。
恐怖が限界を超え、狂いそうになった僕は、確認するために玄関に向かって走り出そうとした。
『ちょっ! おい、待てって!』
僕の暴走を堰き止めるように、はやちゃんが僕の手首をがっしりと力強く捕まえた。
そのまま自分の背中の後ろへと、僕をグッと引き戻す。
『大人しく俺の後ろに隠れてろ』
「……っ、うん、……っ、」
有無を言わせない、だけど絶対的な安心感を孕んだその声に引っ張られるまま、僕ははやちゃんの広い背中にすっぽりと隠れて身を縮こませる。
はやちゃんがインターホンの通話ボタンを押し、低く冷たい声を響かせた。
『はーい。どちら様でしょうか』
インターホン越しに、スピーカーから男の微かな声が返ってくる。
「あ、え……? ここって山中さんのお宅ではなかったでしょうか…?」
……え?
ノイズの混ざったその声を聞いた瞬間わかった…。
それは聞き馴染んだ声。
「……しゅん、…?」
僕の後ろからの呟きに、はやちゃんの背中が一瞬ピクッと強張ったのが分かった。
はやちゃんがハッと目を見開いてモニターを二度見する。
『え? 舜太くん……? なんで、ここに……?』
僕はまだトラウマの余韻で息が荒いまま、心臓がバクバクと暴れている。
はやちゃんの背中の温もりとしがみついた指先が、小さく震え続けていた。
はやちゃんが念のために玄関のドアスコープを覗いて外を確認する。
そこには確かに、パーカーのフードを目深に被って、今にも泣き出しそうな顔で立ち尽くしている舜太の姿があった。
『……柔太朗。あいつと、今夜ここで会う約束とかしてた?』
はやちゃんが背後の僕を振り返る。
その声はいつもより少し低く、ほんの少しだけ冷たい焦りを含んでいるように聞こえた。
「ううん……してない、何も聞いてない……」
『……そっか。とりあえず、このまま外に置いておくわけにもいかんし、一旦入れるぞ』
「……うん、」
はやちゃんは僕に最終確認をしてから、カチリ、と玄関の鍵を開けてドアを押し開いた。
『どうぞ。中へ入ってください』
僕を自分の背後に完璧に隠したまま、はやちゃんの低く大人の余裕を纏った声が、夜の空気の中に冷たく響いた。
to be continued…
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