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約束の時間ちょうど。
新沼晴永は祖父・角宮盛晴、母・新沼清香とともに藤井田家を訪れていた。
応接室へ通されると、すでに藤井田夫妻と千紗が席についていた。
「本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」
盛晴が静かに頭を下げた。
藤井田家当主・藤井田一誠も穏やかに頷く。
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」
簡単な挨拶を交わしたあと、使用人がお茶を置いて退室した。
扉が閉まると、応接室には静かな空気が流れる。
最初に口を開いたのは盛晴だった。
「本日は、お詫びとお願いがあって参りました」
その言葉に、一誠も琴葉も表情を引き締める。
盛晴はゆっくりと晴永へ視線を向け、それから再び藤井田夫妻へ向き直った。
「晴永には、愛する女性がおります」
静かな声だった。
「そして、その女性以外と結婚するつもりはないと、何度も告げられました」
晴永は何も言わず祖父の横顔を見つめる。
「……しかし私は、それを認めることができませんでした」
盛晴は一度目を伏せた。
「そちらのお嬢さんとの婚約を進めれば、いずれ諦めるだろう。時間が解決してくれるだろう。そのように考えておりました」
その言葉に、自嘲するような苦笑が滲む。
「ですが、それは私の思い違いでした」
静かに顔を上げる。
「晴永の覚悟は、少しも揺らぎませんでした」
晴永は盛晴の言葉にただ静かにうなずいた。
「家も地位も仕事も失うことを覚悟の上で、それでもなお一人の女性を選ぶと私に訴え続けました」
盛晴は穏やかに微笑んだ。
「祖父として、その想いを尊重することにいたしました」
短い沈黙が流れる。
そして盛晴は深々と頭を下げた。
「うちの都合だけで婚約を強引に進め、今度は反故にしていただきたいと申し出る。――藤井田家の皆様には……殊、お嬢さんには多大なご迷惑をお掛けいたしました」
さらに頭を下げる。
「誠に、申し訳ございませんでした」
その姿に続くように、清香も晴永も頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
応接室は静まり返る。
しばらくして、一誠が静かに口を開いた。
「……頭をお上げください」
三人が顔を上げる。
一誠は隣に座る千紗へ優しく視線を向けた。
「実は、私どもにもお話ししなければならないことがございます」
その言葉に盛晴たちが耳を傾ける。
千紗は少し緊張した面持ちで息を吸った。
「……私にも、お付き合いしている方がいます」
晴永は小さく頷いた。
すでに知っていることだった。
盛晴と清香もまた静かに頷く。
調べれば分かることだった。
だが、それを本人たちの口から聞くことに意味があると、今は何も口を挟まなかった。
「木朝良介さんという方です」
琴葉が娘の言葉を引き継ぐように口を開いた。
「私たち夫婦も以前から娘にいい人がいることは存じておりました。そちらから婚約のお申し出をいただいた時、千紗は本当に苦しんでおりました」
そこで一瞬だけ千紗に視線を送る。
「……ですが、本人からわたくしどもに何も言ってこない以上、こちらから言うのも筋近いと思い、黙って見守っていたのです」
一誠も静かに続ける。
「藤井田ホールディングスにとりましても、角実屋フーズとのご縁は大変光栄でした。しかし、親として娘の気持ちも無視できません。こちらから角宮さんへ連絡せねばと思っていた矢先、そちらから会いたいとご連絡をいただいたのです」
千紗は申し訳なさそうに頭を下げた。
「私も……どうしたらいいのか分からなくて。本当に申し訳ありません!」
その姿を見た盛晴は、ゆっくりと首を横へ振る。
「そうでしたか……」
短く漏れたその声には、安堵と悔恨が入り混じっていた。
一誠も苦笑する。
「どうやら、お互い同じ悩みを抱えていたようですね」
「ええ」
盛晴も小さく笑みを浮かべた。
「もっと早く、子供らと腹を割って話していれば、このような遠回りはしなかったのかもしれません」
重苦しかった空気が、少しだけ和らぐ。
琴葉が柔らかく笑った。
「でも、今日こうしてお話しできて、本当に良かったです」
その言葉に誰もが頷いた。
一誠が改めて姿勢を正す。
「それでは、この婚約は双方合意の上で解消という形にいたしましょう」
「異論ございません」
盛晴も即座に答える。
「共同で正式に発表した方が、余計な憶測も避けられるでしょう」
「わたくしも、その方がよいと思います」
今後の日程や発表方法について簡単な確認が行われ、双方の認識はすぐに一致した。
話し合いは、驚くほど穏やかに終わった。
コメント
2件
祖父の株が上がった気がする。私の中で(爆)
祖父が晴永の覚悟を認めて謝罪するところ、グッときたわ…。ああいう“家と家”の話し合いって重くなりがちだけど、お互いに相手がいるって分かってからの空気の変化がすごく自然で、ほっこりした。腹を割って話せば無駄な遠回りしなくて済むんだなあって、いいエピソードだった!
鷹槻れん

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鷹槻れん

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鷹槻れん

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#契約結婚
鷹槻れん

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