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「ちみ」ってご存知ですかね・・・?
こういう↓生き物のことです!
こういうのを「ちみ」っていうんですよね!
ちっちゃくて可愛い生き物!
このちみ太宰とそれを保護する中也の話です。
太宰が「み」ぐらいしか喋れないです。
カップル表現なし。
雨の日は、嫌いだ。
中原中也は、びしょ濡れになった黒い帽子の庇から滴る水滴を疎ましげに払い、路地裏のショートカットを選んだ。任務帰りの体は程よく疲れ、早く自宅のソファで上質な赤ワインでも開けたい気分だった。重力使いの彼にとって、雨粒の一つひとつを弾くことなど造作もないが、今はあえてそれを使わず、湿った都会の匂いを肺に流し込んでいた。
カサリ、と。
ゴミ捨て場の隅、積み上げられた段ボールの隙間から、何かが動く音がした。 ネズミか、あるいは野良猫か。中也は無視して通り過ぎようとしたが、その隙間から聞こえてきた微かな「音」に、足を止めざるを得なかった。
「……み……」
消え入りそうな、けれど確かに意思を持った鳴き声。 中也は眉を潜め、革靴の先で汚れ、ふやけた段ボールをそっと退けた。
そこにいたのは、猫でもネズミでもなかった。 それは、驚くほど小さな、掌に乗ってしまうほどに「ちんまり」とした生き物だった。 ボロボロに汚れた白い包帯を全身に巻き、泥と雨水に塗れたその生き物は、中也のよく知る「ある男」に酷似した顔立ちをしていた。
「……はぁ!? 太宰……? いや、ちみっこい、太宰……?」
そこにいたのは、いわゆる『ちみ太宰』だった。 しかし、その状態は悲惨という他なかった。ふわふわしているはずの茶髪は泥で固まり、あちこちに小さな切り傷や火傷の跡がある。誰かに石を投げられたのか、それとももっと酷い「虐待」を受けていたのか。 ちみ太宰は、中也の気配を感じると、怯えたように小さな体をさらに丸め、震えた。
「……みぅ……っ……」
「おい……。テメェ、何でこんなところに……。……畜生、どこのどいつがこんなことしやがった」
中也の胸の奥で、静かな怒りが燃え上がった。 相手が本物の、あの憎たらしい太宰治であれば、蹴り飛ばして「何してんだ手前」で済む話だ。だが、目の前にいるのは、自分の指一本で簡単に潰れてしまいそうなほど脆く、傷ついた、小さな命だった。
中也は迷うことなく、自分の高価な黒い外套を脱ぎ捨てた。それを丁寧に折り畳み、泥まみれのちみ太宰を包み込むようにして抱き上げる。
「みっ!? み”〜〜〜っ!!」
一瞬、威嚇するように小さな声を上げたが、その体には中也を拒む力すら残っていなかった。ちみ太宰は中也の掌の熱を感じると、安堵したのか、あるいはあまりの衰弱に意識を保てなくなったのか、そのままがっくりと頭を垂れて動かなくなった。
「しっかりしろ。今、温めてやるからな」
中也は懐のちみ太宰を潰さないよう細心の注意を払いながら、雨の路地裏を駆け抜けた。
マンションに辿り着くなり、中也はすぐに浴室の暖房を入れ、洗面台にぬるま湯を張った。 外套の中から取り出したちみ太宰は、想像以上に軽かった。まるで綿菓子を濡らしてしまった後のように、実体があるのか疑わしいほどに儚い。
「……よし、少しずつ洗うぞ。痛かったら言え……って、言えねぇか」
中也は自分の大きな手が凶器にならないよう、指先だけで、ちみ太宰の汚れを落としていった。固まった泥が溶け出し、その下から現れたのは、痛々しいほどに痩せ細った体だった。 やはり、ただの野良として生きてきたわけではない。不自然な痣や、何かで縛られていたような跡。人間への恐怖がその小さな体に刻み込まれているのが分かった。
汚れを落とし、新しい清潔なガーゼを包帯代わりに巻いてやると、ようやくちみ太宰の顔色が少しだけ良くなった。中也はキッチンへ向かい、冷蔵庫から牛乳を取り出すと、少しだけ温めて砂糖を溶かし、スポイトでその口元へ運んだ。
「ほら、飲め。これが飲めなきゃ、死んじまうぞ」
ちみ太宰は、最初こそ警戒して口を真一文字に結んでいたが、鼻先をかすめる甘い匂いに誘われるように、おずおずと舌を伸ばした。
「……み……。……みっ!」
一口飲んで味が分かると、必死になってスポイトに吸い付いた。小さな両手でスポイトを抱え込み、ごくごくと喉を鳴らして飲む姿を見て、中也はようやく安堵の溜息を漏らした。
「……食欲はあるんだな。なら大丈夫だ」
一通りお腹を満たしたちみ太宰は、中也の指に頭を擦り寄せるようにして、小さな欠伸をした。 中也はソファの上に、自分が着ていた一番柔らかいカシミアのセーターを敷き詰め、その中央にちみ太宰を寝かせた。
「寝ろ。ここには、テメェを苛める奴は誰もいねぇよ」
ちみ太宰は、中也の顔をじっと見つめていた。その瞳は、深淵を覗くような暗い色をしていたが、中也がその額を指の背で優しく撫でると、安心したように瞼を閉じた。
「……みぅ……」
静かな寝息が、リビングに響く。 中也は、ちみ太宰が起きないように物音を立てず、ワインを飲むのも忘れて、ただその小さな命が呼吸を刻むのを見守っていた。
翌朝。 中也が目を覚ますと、セーターの山からひょっこりと茶色の塊が顔を出していた。 ちみ太宰は、中也の気配を感じると、トコトコと短い脚を動かしてソファの端まで歩いてきた。
「お、起きたか。気分はどうだ?」
中也が声をかけると、ちみ太宰は首を傾げ、それから元気よく返事をした。
「みっ!」
昨日の衰弱ぶりが嘘のように、その瞳には光が戻っていた。どうやら中也のケアが功を奏したらしい。 ちみ太宰は、中也の手のひらに飛び乗ると、そのまま腕を登り、中也の肩にちょこんと座った。
「おい、そこは俺の定位置……いや、俺の体か。勝手に登るなよ」
そう言いながらも、中也はちみ太宰を退かそうとはしなかった。 それからの毎日は、中也にとって未知の体験の連続だった。 マフィアの幹部として血なまぐさい戦場を駆け抜ける日々から一転、帰宅すれば小さな相棒(?)のお世話が待っている。
まず、食事だ。 ちみ太宰は非常に偏食で、特にカニカマと高級な豆腐、そして甘いカスタードには目がない。中也が自分の食事を用意していると、どこからともなく現れ、「みっ、みっ!」と催促してくる。
「分かったよ、今やるから待ってろ。テメェ、栄養バランスも考えねぇと、また昨日のみたいにフラフラになるぞ」
中也は、野菜を細かく刻んで豆腐に混ぜ込んだ『ちみ用スペシャルハンバーグ』を自作した。ちみ太宰はそれを「み”〜〜〜!」と文句を言いながらも(野菜が入っているのに気づいたらしい)、結局は全部平らげて、お腹を丸く膨らませて寝転がるのが日課だった。
次に、遊び。 ちみ太宰は、中也が脱ぎ捨てた帽子が大好きだった。 中也の黒帽子の中に潜り込み、そこでスヤスヤと眠ったり、帽子の縁をステージにして踊ってみせたりする。
「おい、俺の帽子をアスレチックにするんじゃねぇよ」
中也が帽子を持ち上げると、中から「みっ!」とちみ太宰が飛び出してくる。その遊びに付き合っているうちに、中也の方も、いつの間にかこの小さな生き物なしの生活が考えられなくなっていた。
けれど、虐待の傷跡は、そう簡単には消えなかった。 たまに外で大きな音がしたり、テレビから怒鳴り声が聞こえたりすると、ちみ太宰はパニックになり、ガタガタと震えてクローゼットの奥に隠れてしまう。
そんな時、中也は黙ってちみ太宰を抱き上げ、自分の胸元に引き寄せた。
「大丈夫だ。俺がついてる。……誰にも、手出しはさせねぇよ」
中也の低い声と、一定のリズムで刻まれる心拍。 それがちみ太宰にとっての、この世で一番安全な子守唄だった。 中也の腕の中で、ちみ太宰は次第に落ち着きを取り戻し、小さな手で中也のシャツをぎゅっと掴んで、再び眠りに落ちる。
一ヶ月も経つ頃には、ちみ太宰は毛並みはつやつやになり、体格も少しふっくらとして、中也の指先を甘噛みするくらいの元気がついていた。
ある日のこと。 中也が仕事から戻ると、ちみ太宰が玄関で待っていた。 それだけでなく、その口には一輪の、庭に咲いていた小さな黄色い花を咥えていた。
「……なんだよ、それ。俺への土産か?」
中也が苦笑して手を差し出すと、ちみ太宰は花を中也の掌に置き、誇らしげに胸を張った。
「みっ! みっ、み〜〜〜っ!!」
まるで「いつもありがとう」と言っているかのような、晴れやかな鳴き声。 中也はその花を大切に受け取り、ちみ太宰を優しく撫でた。
「……ああ。ありがとな、太宰」
その瞬間、ちみ太宰は今まで見せたことのない、満面の笑みを浮かべた。 虐待されていた頃の恐怖も、孤独も、もうここにはない。 ただ、自分を救ってくれた、世界で一番無骨で温かい「相棒」との、平和な日常があるだけだった。
中也はふと思う。 いつかこのちみ太宰が、元の(?)あの忌々しい太宰治に戻る日が来るのだろうか。 けれど、たとえ戻ったとしても、今のこの時間は決して消えはしない。 掌の上の温もりも、自分を呼ぶ「みっ!」という声も、すべてが中也の枯れた心に花を咲かせていた。
夕暮れ時、二人はソファに並んで座っていた。 正確には、中也の膝の上にちみ太宰が乗って、一緒に映画を観ている。
「おい太宰、ポップコーンは一粒ずつだぞ。一気に詰め込むな」
「み”〜〜〜〜〜っ!!」
中也に注意され、太宰はぷくーっと頬を膨らませて抗議した。 けれど、その怒った声さえも、中也にとっては愛おしい旋律に聞こえた。
「はいはい、わかったよ。ほら、もう一粒だ」
中也が指先でポップコーンを差し出すと、ちみ太宰は嬉しそうにそれを奪い取り、満足げに咀嚼した。 窓の外には、あの拾った日と同じ雨が降っていた。 けれど、もう寒くはない。 温かな部屋の灯り、甘いお菓子の匂い、そして隣にいる大切な体温。
「……ずっと、ここにいろよ」
中也の独り言に、ちみ太宰は不思議そうに首を傾げたが、すぐに中也の手のひらに潜り込み、幸せそうに「みっ」と鳴いた。
それは、世界で一番小さくて、世界で一番平和な、救済の物語。 ボロボロだった小さな狼は、真っ赤な外套を纏った重力使いの手によって、世界一幸せな「ちみ」へと生まれ変わったのだった。